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閑話 王都の凋落と、後悔する人々

これは、出来損ない令嬢と蔑まれた少女が、北の地で愛と本当の居場所を見つけ、少しずつ幸せを噛み締め始めていた頃の物語。

時を同じくして、彼女を追放した王都では、静かな、しかし確実な凋落が始まっていた。



オルタンシア公爵家の当主、アルフォンス公爵は、最近どうにも気分が優れなかった。

次女セレスティアとエリオット王太子の婚約も決まり、一族の栄光は頂点に達したはず。目障りな出来損ないの長女フィーリアを追放し、家の汚点も消し去った。全てが、順風満帆なはずだった。


だというのに、どうしたことか。

あのフィーリアを追放した夜から、公爵家の栄華を支えてきたものが、少しずつ、しかし確実に崩れ始めているのだ。


まず、庭の草花が枯れ始めた。

どんな名うての庭師を呼んでも、原因は不明。手入れの行き届いていたはずの美しい薔薇園は、今や見る影もなく、枯れ木が並ぶ寂しい場所に成り果てていた。


次に、食事がまずくなった。

一流の料理人が作る料理は、どれもこれも味がぼやけ、素材の力が感じられない。まるで、生命力を失った抜け殻を食べているかのようだ。


そして、最も深刻なのが、原因不明の体調不良を訴える者が、家中、そして王都全体で増え始めたことだった。

咳が止まらない。常に身体がだるい。夜、眠れない。

人々は、目に見えない何かに、じわじわと生命力を吸い取られているかのようだった。


「セレスティア、どうしたのだ! お前の治癒の力で、この者たちを癒やしてやれんのか!」


アルフォンスは、娘のセレスティアに苛立ちをぶつけた。

歴代最強と謳われた聖女である彼女の治癒の力をもってすれば、この程度の病、すぐに治せるはずだった。


「申し訳ありません、お父様……。私の力をいくら注いでも、皆さんの症状が、全く改善しないのです……。まるで、器に穴が空いているかのように、力がすり抜けていってしまって……」


セレスティアは、青白い顔でかぶりを振る。

彼女の自慢だった輝かしい金髪も、心なしか(つや)を失っているように見えた。


そう、誰も気づいていなかったのだ。

あの「出来損ない」のフィーリアが、その存在だけで、無意識のうちに周囲の土地と人々の生命力を活性化させていたという事実に。

彼女の『生命の祝福』は、この地に張られた、薄い結界のようなものだった。

その結界が失われた今、王都は、北の地から漏れ出す微かな呪いの瘴気(しょうき)に、ゆっくりと(むしば)まれ始めていたのである。



エリオット王太子は、婚約者であるセレスティアの元を訪れていた。


「セレスティア、聞いたぞ。お前の力が効かなくなっているというのは本当か?」


「エリオット様……」


「情けない! お前は国一番の聖女ではなかったのか! このままでは、民の不安が募るばかりだ!」


エリオットは、自分の思い通りにならない状況に、苛立ちを隠せない。

彼は、セレスティアの美貌と、その「聖女」というブランドを愛していた。しかし、その力が役に立たないと知るや、彼の関心は急速に薄れ始めていた。


「そうだ、セレスティア。お前の姉……あの出来損ないは、どうした? 追放したとは聞いているが」


「フィーリア姉様、ですか……? 北の辺境地へ送ったと、お父様が……」


「北だと? ふん、今頃、雪の中で凍え死んでいるか、魔物にでも喰われているか、だな。まあ、あの女はどうでもいい」


エリオットは、せせら笑う。

彼らはまだ、自分たちが失ったものの本当の価値に、全く気づいていなかった。



転機が訪れたのは、それから数週間後のことだった。

北の地から戻ってきた一人の商人が、王都で信じられないような噂を広め始めたのだ。


「聞いたか? あの呪われた北の地が、緑を取り戻し始めたらしいぜ!」


「なんだって? 馬鹿な、あそこは草木一本育たない不毛の地だろう」


「それが、本当なんだと! なんでも、氷竜王様が、どこからか『奇跡の聖女様』を見つけてこられたらしくてな。その聖女様が力を振るうと、枯れた大地に花が咲き、病人はたちどころに癒えるんだと!」


その噂は、瞬く間に王都中を駆け巡った。

そして、その噂を、聞き逃さなかった者たちがいた。

アルフォンス公爵と、エリオット王太子である。


「奇跡の聖女……? まさか……」


アルフォンスは、嫌な予感を覚えた。


(もし、万が一、あのフィーリアが、何らかの力に目覚めていたとしたら? いや、ありえん。あいつは、出来損ないだったはずだ)


しかし、エリオット王太子は、違った考えを持った。


(聖女だと? もし、その女を手に入れれば、この国の問題は全て解決するではないか! セレスティアなどより、よほど利用価値がある!)


彼は、すぐさま密偵を放ち、その「奇跡の聖女」の正体を探らせた。

そして、数日後、密偵がもたらした報告に、エリオットは、そしてアルフォンスは、絶句することになる。


「……報告します。北の地に現れた聖女の名は、フィーリア。オルタンシア公爵家の、長女様に間違いありません」


「なっ……!?」


「フィーリア様は、氷竜王ゼノヴァルドの庇護下にあり、その寵愛を一身に受けている模様。『竜王妃』として迎えられるのも、時間の問題かと……」


「馬鹿な……! あの出来損ないが、竜王妃だと!?」


アルフォンスは、信じられないというように叫んだ。


一方、エリオットは、下卑た笑みを浮かべた。


(フィーリアだと? あの地味で薄汚い女が、そんな力を持っていたとはな! 好都合だ!)


彼は、自分がフィーリアをどう扱ってきたかなど、棚に上げていた。


「よし、決めた! オルタンシア公爵! 今すぐ、フィーリアを王都へ連れ戻せ!」


「は……? しかし、殿下……」


「『しかし』ではない! 元々、あの女はお前の娘、つまり我が国の民だ! 国の危機に、その力を差し出すのは当然の義務だろう! 氷竜王ごときに、我が国の至宝を独占させてなるものか!」


エリオットは、完全にフィーリアを自分の所有物として見なしていた。

彼女の意志など、全く考慮していない。


「いいか、これは王命だ! 何としてでも、フィーリアを連れ戻せ! もし逆らうようなら、氷竜王が相手だろうと、我が国の軍を動かすことも(いと)わん!」


その尊大な命令に、アルフォンスはただ頷くしかなかった。

彼もまた、心のどこかで、フィーリアを取り戻せば、失われた公爵家の栄光を取り戻せるかもしれない、という浅ましい考えを抱いていたのだ。


こうして、自分たちの都合で少女を捨てたくせに、その価値を知るや、今度は力ずくで取り戻そうとする、愚かで厚顔無恥な者たちが動き出した。

彼らは、まだ知らない。

その先に待っているのが、後悔では済まない、完全なる破滅だということを。

そして、彼らが捨てた少女が、もはや、か弱く怯えるだけの存在ではないということを。


彼女の隣には、彼女を守るためならば、国一つを滅ぼすことさえ(いと)わない、最強の氷竜王がいるのだということを。


愚者たちの過ちは、まだ始まったばかりであった。

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