終業のチャイムと青い約束
フォトスポットを後にした澪とひなたは、文化祭の賑わいの中を並んで歩き出す。
廊下の先で見つけたお化け屋敷に、澪は足を止めた。
怖がるひなたは強がりながらも、中へ入った途端、澪の腕にしがみついてしまう。
思わぬ距離の近さに動揺しつつも、澪は自分から手を差し出した。
暗闇の中、繋いだ手の温もりが二人の鼓動をそっと重ねていく。
出口を抜けたあとも離れない手のまま、二人は甘い匂いのする方へ歩き出した。
冷たい風が窓を撫でる今日は、暖房の低い唸りと、紙をめくる乾いた音だけが教室に満ちていた。
背の低い太陽が斜めに差し込み、机の上に長い影を落としている。吐く息こそ白くならないものの、ガラス越しに伝わってくる冷たさが、季節が確かに冬へと移り変わったことを教えていた。
期末テスト、最終日。
答案用紙の上を走らせていたペンを一度止めて、澪は小さく息を吐いた。
(……もう、十二月か)
転校してきたばかりの頃は、毎日がどこか現実感のないまま過ぎていった気がする。教室のざわめきも、誰かの視線も、どこか遠くから眺めているようで。
けれど今は違った。顔を少し上げれば、斜め前に短い金色の髪が冬の日差しを受けて、やわらかく光る背中が見える。
それだけで、不思議と落ち着く。
ペンを持ち直し、再び問題に目を落とす。カリ、カリ、と静かな音が重なり合う。暖房の空気に少しだけ乾いた匂いが混ざり、眠気を誘うような穏やかな時間が流れていた。
もうすぐ、終わる。テストも、二学期も。
そして――明日は、クリスマスだった。
終了のチャイムが鳴った瞬間、張りつめていた空気が一気にほどけた。
あちこちから椅子を引く音がして、抑え込まれていた声が一斉にあふれ出す。「終わったー!」「冬休みだー」そんな声が飛び交い、さっきまでの静けさが嘘のようだった。
澪は背をぐっと伸ばし、小さく息を吐いた。肩に残るわずかな疲れと、胸の奥にじんわり広がる解放感。
「澪ちゃん、おつかれ」
目の前にはひなたがいつもの明るい笑顔で立っていた。続いて、みさきと詩乃も近づいてくる。
「いやー、終わったね!これで冬休みだよ冬休み!」と、みさきが両手を伸ばして大げさに伸びをする。「そうだね」と詩乃が呆れたように言いながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。
四人は自然と教室の後ろのほうに集まっていた。
「冬休みどうする?」
とみさきが口火を切る。
「とりあえず甘い物食べに行かない?」
「それはいつもでしょ」
と詩乃が即座に突っ込む。
そんないつものくだらないやり取りに、澪は思わず小さく笑った。
「初詣とか行きたいよねー」
とひなたが言う。
「いいねそれ。四人で行きたいね」と詩乃が乗る。
四人の話題はあっちへこっちへと飛び、気づけば「何して遊ぶか」の計画がいくつも挙がっていた。
実際に全部実現するかは分からないけれど、それでも、次に会う約束が自然に増えていく感じが、なんだか嬉しかった。
そんな中、ふとひなたが「あ、そういえば」と思い出したように言った。
「クリスマス、みんな予定あるの?」
「あー、クリスマスね」とみさきが少し間を置いてから「あたしたちはちょっと用事あるんだよね」と思い出したかのように話すと「……うん。前から約束してて」と詩乃も頷く。
「そっか」とひなたが軽く笑う。
「じゃあ二人はクリスマス忙しいんだ」
「まあねー」とみさきが肩をすくめる。
「澪ちゃんは?予定ある?」
ひなたから急に話を振られて、澪は一瞬だけ考える。
「私は特にないかな」
と、答えた瞬間、ひなたが、ほんのわずかに息を吸う気配がした。
「あのさ、澪ちゃん」
いつもより少しだけ控えめな声。
「もし、よかったら……なんだけど」
ひなたはそう言って、少しだけ視線を揺らしたあと、まっすぐ澪を見た。
「クリスマス、一緒に出かけない?」
冬の光が、彼女の髪をやわらかく照らしていた。
ひなたの言葉は、教室のざわめきの中でも不思議と澪の耳にまっすぐ届いた。まるで一瞬だけ、時間が止まったような感覚。
「…私でよければ」
気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。
ひなたは澪の反応が可笑しかったのか口を押さえて笑う。
「なにそれ澪ちゃん」
さらりと言われたその一言に、胸の奥がくすぐったくなる。
「おー、いいねぇ」と、みさきが意味ありげに笑った。「じゃあ、あとは二人でゆっくり決めなよ」そう言って、ちらりと詩乃を見る。
詩乃は小さく肩をすくめてから、澪とひなたを順番に見た。
「……まあ、私たちがいると邪魔でしょ」
意味深に目を細められて、澪は思わず視線を逸らした。
「じゃ、私たちは先帰ろっか」
詩乃がそう言うと、みさきも軽く手を振る。
「クリスマス、楽しんできなよ。お似合いだしさ」
最後にそう言い残して、二人は並んで教室を出ていった。
扉が閉まる音がして、教室に少しだけ静けさが戻った気がした。
なんとなく落ち着かない空気に、澪は視線を机の上へ落とす。
「……なんか、すごいこと言われた気がする」
小さく呟くと、隣からくすっと笑う声が聞こえた。
「ね。完全にデート扱いだったよね」
ひなたはわざとらしく肩をすくめて、少しだけ茶化すように笑う。
「どうする? 期待されちゃってるみたいだけど」
「……ひなたまで」
澪が困ったように言うと、ひなたは「冗談冗談」と手を振りながらも、どこか楽しそうだった。
少しの沈黙。
「じゃあさ」と、ひなたが机にもたれながら言った。「どこ行こっか」
澪は少し悩んだ後呟いた。
「……水族館」
ひなたの目が、少しだけ大きくなる。
「水族館?もしかして蒼波水族館のこと?」
「うん。この前テレビでやってるのを見て」
「……どうかな」
不安そうに小さく付け足す。
するとひなたは嬉しそうに微笑んだ。
「いいね、澪ちゃんまだ行ったことないでしょ」
「案内してあげる」
自信に満ちた迷いのない声だった。
「ひなたは行ったことあるの?」
そう言われたひなたは少しだけ照れたように笑った。
「中学の時に修学旅行でね。でも澪ちゃんと行けるなら、楽しみ」
胸の奥が、また少しだけ騒がしくなった。
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