写真に浮かぶ二人の笑顔
文化祭前半を終え、澪とひなたは二人きりで空き教室に残っていた。
制服に着替え、これからは「楽しむ側」として文化祭を回ることにする二人。
人混みの中、ひなたに手を引かれながらクレープの列に並ぶ。
甘い香りと味に夢中になる澪を、ひなたは微笑ましく見つめていた。
ふとした拍子に、澪の唇についたクリームをひなたが指で拭い取る。
何気ない仕草のはずなのに、澪の胸には、熱を帯びた鼓動だけが残っていた。
二人はフォトスポットを目指し、校内を歩いた。
廊下にはさまざまな出し物が並び、呼び込みの声や笑い声に、思わず視線があちこちへ向いてしまう。
そんな中ふとひなたが声を上げる。
「あ!澪ちゃんあそこ行かない?」
「ベビーカステラ」
あまりにも自然な声に、澪は一拍遅れて頷く。
「うん。いいね行こ」
人の流れに乗って、屋台の前には甘い匂いと、ベビーカステラの焼ける音が漂ってきた。
「一袋でいいよね?」
ひなたは振り返って確認するだけで、もう注文する気満々だ。澪は「いいよ」と答えながらも、さっき指が触れた唇の感覚を、まだ引きずっていた。
袋を受け取ると、ひなたは当然のように澪の隣に立つ。
「はい、どうぞ」
そう言って、紙袋を二人の間に差し出す。
ベビーカステラを食べ歩きながら、二人は再びフォトスポットへ向かっていた。
校舎の廊下を抜けると、装飾された中庭が見えてくる。そこには造花で縁取られた、大きなハート型のフレーム。ピンクや白の花が幾重にも重なり、文化祭らしい少し派手な装いだ。
足元には小さな看板が置かれていて、《チェキ撮影・その場でお渡しします!》と書かれている。
「わ、これだ」
ひなたは楽しそうに駆け寄る。
「結構人気だね」
澪はつま先立ちをして列の長さを測った。
「最後尾」と書かれた看板の前には、順番待ちの生徒たちが集まっていた。
ひなたは前の人の様子を覗き込みながら、落ち着かない様子で足を揺らしていた。次は自分たちだろうか、まだ先だろうか。そんな期待が、その仕草に滲んでいる。
澪はその隣に並び、ベビーカステラの紙袋を手に持ったまま、ぼんやりと列の進み具合を見ていた。
少しずつ、少しずつ列は前へ進む。進むにつれ、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
「もうちょっとだね」
ひなたがそう言って振り返る。澪は曖昧に頷きながら、無意識に紙袋の口を覗いた。中に残っているのは、最後の一つ。
(……あ)
二人はほぼ同時に手を伸ばした。指先が、軽く触れ合う。その感触は思ったよりもはっきりと伝わってきて、澪は反射的に手を引いた。
「あ……最後だね」
澪は袋を持ち直し、少しだけ間を置いてからひなたの方へ差し出す。
「食べていいよ」
その言葉に、ひなたは一瞬目を丸くしてから、嬉しそうに口元を緩めた。
「じゃあさ」
軽い調子で、冗談めかして言う。
「食べさせて?」
「……へ?」
「な、なに言ってるの」
澪は聞き返してから、ようやく意味を理解した。冗談なのかどうかを知るために、ひなたの方を見ると、ひなたはすでに期待するような目でこちらを見ている。
澪は少しだけ迷ってから、紙袋の中のカステラを指でつまんだ。
「…はい」
澪は視線を逸らしたまま、そっと腕を伸ばす。周りには人がいて、列はゆっくり進んでいる。それでも、この距離だけがやけに近く感じられた。
「……どうしたの?」
小さくそう言ってひなたの方に視線を戻すと、ひなたは少しだけ目を見開いた。
予想していなかった、という表情。それから、ゆっくりと口を近づける。澪の指先から、ベビーカステラがひなたの口へ運ばれた。
ひなたは噛みしめるように一口食べて、ほんの一瞬、目を伏せた。次に顔を上げたとき、そこには隠しきれない嬉しさが浮かんでいた。照れたようで、それでいて満足そうな、柔らかい笑み。
「おいしい」
澪はそれ以上見ていられず、ぷいと顔を背ける。
「もしかして冗談のつもりだったの?」
「冗談だったよ」
「…ひなたのばか」
ひなたはくすっと笑った。その声は澪には、ひなたが思った以上に喜んでいるのが伝わってきた。
しばらく並んだあと、ようやく順番が回ってきた。係の生徒に声をかけられ、澪とひなたはハート型のオブジェの前へ案内される。造花で縁取られた大きなハートは、近くで見ると思っていた以上に存在感があった。
「ここに座ってくださーい」
案内されたベンチに腰を下ろすと、自然と距離が近くなる。ひなたは気にした様子もなく、むしろ肩が触れるくらいまで寄ってくる。
「いきますよー」
すると、ひなたがふっと身を寄せてきた。
驚く間もなく、肩に腕が回されはっきりと抱き寄せられた。抱き寄せられたまま、澪は動けなかった。
心臓の音がやけにうるさい。
触れている部分から、ひなたに伝わってしまう気がして、澪は思わず息を殺す。
平然としていなければ。何でもないふりをして、写真に写らなければ。澪は意識して口元に力を入れ、笑顔を作った。
カメラの向こうから見れば、きっと自然に見えるはずだ。胸の奥がこんなにも騒がしいなんて、誰にもわからない。
「はいチーズ!」
掛け声と共にシャッターが鳴る
「はい、バッチリでーす」
そう声をかけられて、ひなたはようやく腕を離す。二人並んで、現像されたチェキを覗き込む。
そこには、少し驚いた澪と、楽しそうなひなた。二人は肩を寄り添って笑っていた。
「いいじゃん!」
ひなたはそう言って、一枚を澪に差し出した。
「はい。澪ちゃんの分」
澪は受け取りもう一度眺める。ハートの中には二人の笑顔並んでいた。
手のひらに残るチェキの感触が、妙に熱を帯びている。
澪は視線を落としたまま、小さく息をついた。
(……ずるい)
そう思いながらも、その一枚を、そっと大切に握りしめていた。
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