文字盤越しの惚気話
午後の部はダンス部の演技から始まり、みさきの堂々とした姿に澪たちは声援を送った。
昼下がりのゆるやかな空気の中、ひなたの無邪気な距離感に澪の胸は少し落ち着かなくなる。
借り物競走では、みさきに引っ張られ澪が競技に巻き込まれ、笑いに包まれたひとときが流れた。
やがて迎えた最終種目・紅白リレーで、怜はアンカーとして力強い走りを見せる。
昼に見せた孤独とは対照的なその姿に、澪の中で言葉にできない感情が揺れた。
赤組の勝利とともに体育祭は幕を閉じ、夕暮れの校庭には静かな余韻が残っていた。
体育祭が終わった翌日は、学校の振り返り休日になった。今日は、目覚ましが鳴る時間になっても、体はまるで布団に飲み込まれたままだ。
昨日の体育祭の後遺症なのか、体が鈍く感じる。起き上がろうとして、思わず布団の中で小さく呻く。
(……こんなに疲れてたっけ)
結局、午前中はほとんど布団の上でごろごろして過ごした。スマホの画面を眺めては、眠るでもなく起きるでもない、曖昧な時間が流れていく。
正午を少し過ぎた頃、スマホが小さく震えた。
――ひなた
画面に浮かぶ名前を見た瞬間、嬉しさのせいか、一気に目が覚めた気がした。
ひなた
《澪ちゃんおはよう!もしかしてまだ寝てるかな?》
枕を抱き抱えながら、ゆっくりと文字を打ち込む。
澪
《おはよう起きてるよ》
送信して数秒も経たないうちに、返事が返ってきた。
ひなた
《ほんとかな〜》
《今起きたんじゃない?(笑)》
澪はなんだか見透かされているような気がして、嬉しいような、恥ずかしいような、変な気持ちになった。
澪
《寝てはないけどだらだらしてる》
すぐに既読がついたが、しばらく返事が来ない。その僅かな間隔が、妙に気になってしまう。
すると、ぽんっと画面が光った。
ひなた
《澪ちゃんのだらだらしてるとこ見てみたいな》
……見られたら困る。というか、絶対見せたくない。
ぼさぼさの髪で、ダボダボのTシャツを着たままの姿を。でも、なんでだろう。「見たい」と言われたことが、少し嬉しい。
ひなた
《ちょっと通話しない?》
突然のことだったが躊躇はなかった。友達なんだから、普通のことだと思った。
澪
《いいよ》
しかし着信のボタンが現れた瞬間、何故か鼓動が一つ大きくなるような気がした。耳に近づけたスマホから、息を含んだ声が降ってくる。
「もしもし、澪ちゃん?」
いつもの明るい声――だった。
でも、こうしてスマホ越しで聞く声は、いつもと違ってなんだか胸の奥にじんと響く。
「足とか痛くない?」
「ううん、大丈夫だよ?」
「わたしちょっと痛いんだよね」
「え、大丈夫なの!?」
咄嗟に出た声は思ってたより大きかったらしい。
「大丈夫だよ〜澪ちゃん心配してくれたの?嬉しい」
ひなたは、思った以上の反応が返ってきた事が、嬉しいかのように笑っている。
ひなたの柔らかい声が、部屋に満ちていく。
普段の賑やかな学校とは違う、二人だけの静かな時間。見えないはずなのに、どうしてだろう。いつもより、自分が見られているような気がした。
「で、今日はずっとダラダラしてたの?」
「う、うん」
「澪ちゃんって、見た目はクールなのに、結構抜けてるとこあるよね」
「…抜けてるのは、別に…」
「あっ、違うの違うの!悪い意味じゃなくてね!かわいいな〜って」
「そのー…ギャップがね!かわいいんだよ澪ちゃんは」
ひなたの声が、スピーカー越しなのに妙に近く感じる。なんだか――楽しい。
「……かわいいとか、急に言わないで」
澪はそう言いながら、スマホを持つ手をベッドの上に落とした。
「急じゃないよ。前から思ってたし」
ひなたの声は、少しだけ笑いを含んでいる。
「前からって……?」
「だってもう半年だよ?澪ちゃんと知り合って」
そう言われて、胸の奥がきゅっと縮んだ。たしかに、思い返せばあっという間だった。
毎日のように一緒に帰って、話して、笑って。気づけばそれが当たり前になっていた。
「澪ちゃんさ」
「なに……?」
「緊張してる?」
いつもの様な明るい声ではなく、囁く様な声に思わず声が出た。
「そ、そんなこと」
「今とか、絶対顔赤いでしょ」
「赤くない!」
見透かされてる気がして、恥ずかしさのあまり即答したけれど、自信はなかった。
ひなたが、くすっと笑う。
「ねぇ、見えないから言うけどさ」
「……今度はなに」
「澪ちゃんのこと、好きだよ」
心臓が、どくんと大きく鳴った。
画面越しなのに、視線を向けられている気がする。
「………ずるい」
「え、なにが?」
「そういう言い方……」
「…わ、私も」
「ひなたのこと…す、好きだよ?」
通話の向こうで、ひなたが息を吸う音が聞こえた。
それきり、言葉が途切れた。ほんの数秒のはずなのに、時計の針の音だけが、部屋に漂っていた。
電波が切れたわけでもないのに、ひなたは何も言わなかった。
「……ひなた?」
名前を呼ぶと、少し遅れて声が返ってくる。
「え、あ、うん。ごめんごめん」
いつもの調子に戻そうとしているのか、どこか早口だった。
「ていうかさ、昨日の体育祭、すっごくよかったよね」
「二人三脚、練習より上手くいったし」
話題が、少し前に戻る。さっきまで触れていたところから、わざと距離を取るみたいに。
「そうだね、一位も取れたしね」
「来年も一緒に出たいな〜」
「同じクラスになれるかな?」
「なれるよ!」
ひなたの元気な声が聞こえてきた。
通話の向こうで、ひなたが笑った。
「……あはは、なにその言い方」
他愛もない話が続いて、気づけば最初の緊張はどこかに消えていた。
体育祭のこと。
クラスのこと。
どうでもいいような話題を行ったり来たりして、時間だけが、静かに過ぎていく。
「……あ」
ふと、ひなたが声を上げた。
「ごめん、ちょっと用事あったの思い出した」
さっきまでのゆるい空気を、少し名残惜しそうに切り替える声。
「今から?」
「うん。ちょっとね…」
「……そっか」
「また明日電車でね」
「うん、また明日」
2人は名残惜しさを胸に、通話を切った。
通話が切れ、画面が暗くなる。しん、と静まり返った部屋で、澪はスマホを胸の上に置いた。
――す、好きだよ。
自分の声が、頭の中で蘇る。
(……私、何言ってるんだろ)
顔が見えなかったから。通話越しだったから。ひなたの声に、つられて。考えるほど、耳まで熱くなる。
(言わなくてよかったことまで、言った気がする……)
枕に顔をうずめると、少しだけ、声を殺して息を吐いた。ひなたは、どんな顔をしていただろう。
驚いた?それとも、いつもの笑顔のまま?もしかしたら…そんな想像をすると、余計に恥ずかしくなる。
でも。
一緒にいる時間が、好き。
名前を呼ばれるのが、好き。
それを否定するほど、もう遠くはなかった。
澪は、布団の中で身を丸める。
(……明日、普通に話せるかな)
そう思いながらも、胸の奥には、照れくささの中に混じる、小さな期待があった。
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