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元カノが地下アイドルになっていたので後方彼氏面してみる ――また、君を見つめた夜

作者: 宵月しらせ

 まもなく退社時間。

 仕事が終わったらなにをしよう……といっても、ゲームをするか、溜まったアニメを消化するか、あるいはどこかの居酒屋に行ってみるか。

 それくらいしかやることがない。

 それが、まもなく三十歳になろうとしている俺の日常だ。

 まぁそんなに不満はない。

 給料は悪くないし、休みもちゃんとある。

 人生こんなもんかな……って感じだ。

 だけど、学生の頃の俺が今の俺を見たら、がっかりするかもな。


「――今日時間あるか?」


 帰り支度をしていると、大学時代の友人からメッセージが届いた。

 卒業後も仲良くしているが、最後に合ったのは三か月以上前。

 しばらくぶりに会って話でもするか。

 ひとりで過ごすよりずっと楽しい夜になるだろう。


「――暇だよ」

「――じゃあ渋谷駅にきてくれ。六時半までに来られるか?」


 時計を見る。


「――電車が止まらなければ」


 そうメッセージを送り、会社を出た。




 渋谷駅前で友人と合流した。

 向こうも仕事終わりらしく、スーツを着ている。

 なのだが、大きめのリュックサックを持っている。


「それで会社行ってるのか?」

「まさか。あらかじめコインロッカーに入れておいて、今回収して来たんだよ」

「何が入ってるんだ?」

「法被とか」

「法被!?」

「ペンライトとか」

「ペンライト!? なぁ、今日俺を誘ったのって?」

「一緒に地下アイドルのライブに行ってほしくて」

「地下アイドルって……全然興味ないんだが」

「行ってみたら推しが見つかるかもしれない! 今日は平日できっとお客さん少ないだろうから、じっくり推しを探せるぞ!」


 つまり新規勧誘。

 俺を沼に沈めようという魂胆か。

 しかし、そう思い通りにいくかな?


「若いアイドルがわいわいやってるの苦手なんだけど」

「安心しろ。今日のグループは割と年齢層高めだ。おれたちと同じアラサー中心だ」

「それはそれでどうなんだ?」

「年増アイドルはいいぞ。十代のアイドルだと『もしかして彼氏いるのかな?』っていうのが不安になるけど、アラサーだと『いたことないわけないよな』って思えるから」

「え、あ、うん……そういう考え方もある……のか?」

「おれもアイドルの彼氏問題にさんざん悩まされたが、ついにこの境地に達したよ。いることを最初から覚悟すればいいんだ、ってな」


 ちなみにアイドルに彼氏がいるのかをやけに気にしているこの友人。

 三十手前にしてすでにバツ2である。

 一体なにに夢を見ているのだろう?


「まぁ今さら帰るとは言えないから行くけどな。ライブは二時間くらいか? 終わったら酒飲みに行くだろ?」

「おお、来てくれるか、ありがとう、心の友よ。終演後はもちろん打ち上げだ。推し談義をしようじゃないか」


 それから俺たちは小さなライブハウスに向かった。

 チケット代二千円。

 お客さんは三十人ほど。

 どう考えても会場使用料にさえ届かない。赤字確定の場末アイドル。

 業界の底辺とも言えるそんな場所で。

 まさかもう一度君と出会えるなんて……。




 狭く薄暗い地下のライブハウス。

 客席はスカスカでいくらでも前に行ける。

 でも、一人も知らないグループだ。前で観るほどの気持ちはない。

 会場後方の壁に背を預け、リラックスして聞かせてもらおう。友人がずいぶんと入れ込んでいるらしいアラサーアイドルグループとやらを。


「お前、初めて来るグループのライブで後方彼氏面とかやるじゃないか」


 後方彼氏面……アイドルのライブなどで、前が空いているのをわざわざ後ろに行って静かに観る人の……ことを指す言葉だそうだ。

 アイドルである彼女のライブを観に来て、少し冷めた感じで全体を俯瞰している感じが、いかにもそれっぽいから。というのが語源らしい。

 本当に彼氏であるかは不明である。

 いや、“後方彼氏面”というワードがアイドルファン層以外にさえ広まった今となっては、本当に彼氏だったらこんなことできないだろう。

 今こんなことをするのは“彼氏ごっこ”をしている痛いファンくらいなものだろう。


「今日はのんびり観させてもらう」

「そうか、じゃあおれは最前列行ってくるから、また後でな」


 さすがに最前列は混んでいて、すでにスペースは埋まっていた。

 だが友人が行くと、他の人がいくらか場所を開けてくれた。

 三十人しかいない客がいないからな。顔見知りばかりだから、場所の確保を手伝ったりなど、ファン同士で互いに助け合う文化みたいなものがあるのかもしれない。

 後方彼氏面を決め込むことにした俺は、前方にいる彼らの様子を見ながら、横にも視線を向けた。

 同じように後方彼氏面がいる。俺以外に四人。

 もっと前で観ればいいのに。……まぁ楽しみ方は人それぞれか。




 七時になると会場が暗くなり、ステージのみが照らされ、ライブが始まった。

 ステージ袖から四人の女性が現れる。

 それなりに容姿が整った人たちではあるが、たしかにお世辞にも若いとは言えない。

 その中の一人に妙に見覚えがあるような気がした。

 まさか……勘違いかと最初は思った。

 だが、見れば見るほどそうとしか思えなくなる。声を聞けば、もう疑いようはなかった。


「みなさん、平日なのに私たち“紅かすみ”のライブに来てくれてありがとうございます! 明日もお仕事かもしれませんが、そういうことは忘れて楽しんでください! ってころで、紅かすみリーダーの小夜です。よろしくお願いします」


 元カノだ。

 高校時代に付き合っていた彼女……伊藤小夜だ。

 高校卒業後、進学して上京した俺と、地元の大学に進んだ小夜。関係は自然消滅していたが、小夜も上京して地下アイドルをやっていたとは……。

 とはいえ、最後に会ったのは成人式の時。

 向こうは俺のことをもう覚えてもいないだろう。


「平日なのに、さすが後方彼氏面さんたちは皆出席ですね。偉いですよ~。おや、今日は一人増えてますね。新しい彼氏面さんですか? ありがとうございます。これで四人のメンバーに対して彼氏面さん五人。誰か二股してますね。誰かな、誰かな?」


 笑いながらそう話す小夜の姿は、高校時代とはあまり重ならない。

 あの頃の小夜は、もっと大人しかった。マイクを持って人前に立つなどできない人だった。

 ……卒業から十年。

 そりゃ変わりもするか。


「もしかして紅かすみのライブに来てくれたのは初めてだったりします? だったら残念なお報せですけど、紅かすみでは後方彼氏面するには洗礼を受けてもらわないといけないんですよ。ってことで、照明さん。あちらのお兄さんを照らしてあげてください」


 次の瞬間、ライトが俺の方に向けられた。

 暗い会場の中で、俺だけひとりスポットライトに照らされる。

 よく見えないが、たぶん他の客たちも俺を見ているはずだ。

 くそ、友人め。後方彼氏面するとこんなことになるなら先に教えてくれよ。


「ではお兄さん、誰の彼氏面してるか教えてくださ……い」


 小夜の言葉が一瞬途切れた。

 すぐに元に戻ったが、かすかに動揺した様に見えた。

 小夜も俺のことを覚えていたのか?

 それとも、なんとなく見覚えがある程度にしか思わなかったのだろうか?

 それはともかく、どうやってこの場を乗り切るかな。

 まぁ無難に行くか。


「小夜さん推しです」


 俺がそう言うと、小夜はにこりと笑った。


「ありがとうございます。じゃあ小夜との約束、他のアイドルを見てもいいけど、私のことを一番たくさん見ててくださいね」


 ああ、そうか。

 小夜も俺を覚えていてくれたのか。

 だってその言葉……小夜が俺に告白した時に言った言葉じゃないか。




 小夜と出会ったのは高校一年生の時。同じ部活に入り、小規模な部だったこともあり、よく話した。

 割と気も合っていたし、お互いに異性の友達が多かったわけではない。

 だから、付き合うようになったのは自然な流れだったのかもしれない。

 映画のような劇的なことも、恋の障害などもなく、ごく普通に付き合うようになった。

 少しドラマチックなことがあるとしたら、告白の時くらいだろう。


「私よりかわいい子なんてたくさんいるのは知ってる。そういう人を見ないで、なんてわがままは言わない。でも、私のことを一番たくさん見ててほしい」


 なんというか、すごく作ったような告白の言葉で……きっと俺のことをいっぱい想って考えてくれたんだろうな、というのが伝わってきた。



 小夜との交際は順調だったと思う。

 たまにケンカすることはあったけれど、別れようなんて話は一度もしたことがなかった。

 付き合っているからこそのケンカ。

 お互いをもっと知るために必要なケンカ。

 そういう類のケンカだった。



 小夜とは高校卒業まで付き合っていた。

 いや、卒業後もしばらくは付き合っていたのかもしれない。

 だけど、お互いの生活圏やリズムが違い、だんだん疎遠になってしまった。

 成人式以外で最後に連絡をとったのがいつかはもう覚えていないが、内容は覚えている。


「――地元の大学じゃなくて、私も東京に行けばよかったな。こっちに残ったこと、今はちょっと後悔してる」


 そう言っていた。

 高校時代、小夜は成績が良かった。

 地元の国立に入り、その後は安定した職に就く。親から期待された道を順調に歩いていたはずだ。

 それでも何かに悩んでいたらしい。

 一方で、当時の俺はもがいていた。

 狭い地元にうんざりしていて、とにかく新しい世界に出たかった。

 目標なんてなかったけれど、東京に行けば何かが見つかるような気がして進学した。

 だけど、上京後は何も見つからなかった。

 大学に行って、バイトをして、友達と遊んで……楽しかったけれど、将来の自分の姿が思い描けない日々にもがいていた。

 そんな俺であっても、小夜から見たら、世界を飛び出して自由に羽ばたく鳥に見えたのかもしれない。


「――親が私に望む人生ではなく、私が私に望む人生を送れたらいいのに」


 その言葉にどう返事をしたのか覚えていない。

 当時の俺には、小夜の言っていることは難しすぎた。

 何を悩んでいるのかわからず……でも、俺がわからないことで悩んでいる小夜が、遠い存在になったような気がした。



 そうして今、俺の目の前にいる小夜は“アイドル”をやっている。

 国立大学を出て、地元ならいくらでも就職先はあったはずだ。

 見た目もいい。

 その気になれば、地方レベルなら十分ハイスペックな男と結婚することもできたはずだ。

 なのに、今はこんな場所でアイドルをやっている。わずか三十人のお客さんしかいない場所で。

 転落。

 小夜の学歴と、今の状況を見比べたら、きっとその二文字で表現できてしまう。

 だけど……すごく楽しそうだ。

 これが、君が君に望む人生――。




 ライブが終わった。

 友人は握手会の列に並ぶと言っていたので、俺は先に出た。


「せっかく後方彼氏面として認知してもらえたんだから、握手会に参加しなくてもいいのか?」


 なんて言っていたが、小夜と握手して何を話せばいいのかなんて、いくら考えてもわからない。

 それより早く夜風に当たりたい気分だった。

 渋谷の街は夜でも明るすぎて、しんみりした気持ちに浸るには向かない。それでも雑踏に佇めば物思いにふけることくらいはできる。


「君は、一体どんな人生を――」


 送って来たのだろう?

 俺が知らないどんな十年を生きてきたのだろう?

 君の知らない俺の十年は、結構簡単にまとめられる。

 夢は今も見つからず、ただ目の前を処理してきた十年だった。

 まぁまぁ給料は悪くない。

 休みもそこそこある。

 たぶん平均よりは上の労働環境ではある。

 でも……。



 小夜の今の生活がどんなものかはわからない。

 アイドルだけで食べていけないのは間違いないから、別の仕事もしているはずだ。

 会社員だろうか? それとも、アルバイトだろうか?

 もうすぐ三十才なのに地下アイドルを続けていて、生活が苦しくないはずがない。

 辞めた方がずっと楽だろう。

 それでも続けられるのは、きっと情熱があるからだろう。

 情熱。それは俺の人生にはないものだ。



 それから友人と飲みに行った。

 俺がすっかり紅かすみにハマったと思ったらしい友人は、いろいろな話をしてくれた。

 だから俺も質問しやすかった。


「みんな結構年食ってたよな。やっぱり芸歴長いのか?」

「だいたい長いよ。でも、小夜は半年くらい前に突然現れたな」

「他のグループでやってたとかじゃないのか?」

「いや、完全に初めてだってその時のトークで言ってた。でも今じゃメインMCやっててさ、すごいよ。惜しいなぁ、あと十年早くアイドルやろうと思ってたら、あんな地下じゃなくてもっと大きなステージに立てたかもしれないのに」


 十年。

 それは小夜と俺が最後にまともな話をした頃だ。

 もしかしたら、小夜はそのことで俺に相談したかったのかもしれない。

 東京に出てアイドルになりたい。

 でも、せっかく入った国立大学を辞めてアイドルになるなんて親が許してくれない。

 どうしたらいいだろうか?


 ――親が私に望む人生ではなく、私が私に望む人生を送れたらいいのに。


 その言葉に様々な思いを込めていたのかもしれない。

 俺は君の背中を押してあげることはできず、君は長い間迷い続けてきた。

 そして三十才を前にして、タイムリミットがすぐそこに迫っていることに気が付いて、ようやく動き出した。

 すでに手遅れだとしても、何もしないままでは終われないから。

 ……そういうことなのかもしれない。




 店を出て、駅で友人と別れた。

 電車に乗り自宅最寄り駅へ。駅前のコンビニで缶ビールを買い、誰もいない公園のベンチに座って飲んだ。

 高校時代、夜の公園で小夜と並んで座り、おしゃべりしたことを思い出す。

 あの頃の俺は、なんでも小夜に話していたっけ。

 あの頃の俺が、今の俺を見たらどう思うだろう? 情けなくてがっかりするだろうか?

 そう思われたくはない。昔の俺に呆れられないような俺でありたい。

 迷って、迷って、ついに一歩を踏み出した君に声を送りたい。

 迷って、迷って、まだ一歩を踏み出せない俺に声を聞かせてほしい。


 ――空を見上げる。


 スマホを取り出し、連絡先一覧を探す。

 あった。伊藤小夜。

 ずっと使っていなくて、ただ消せないままでいただけの番号。

 俺の女々しさの象徴みたいなものだが、消さなかったことを今はありがたく思う。

 この番号が今も使われているのかはわからない。

 だけど、もし繋がったらなんて言おう。


「最近どう?」


 軽すぎるかな?


「今度一緒に食事でも行こう」


 十年ぶりの最初がこれはどうだろう。


「今度は最前列で彼氏面するよ」


 こう言ったら笑ってくれるかな?

 もう繋がらないかもしれない番号だ。

 それでも、通話ボタンを押す。



 ――月が綺麗な夜だった。

読んでくださりありがとうございます。

もしこの物語を楽しんでいただけたのなら、長編「アイドルは今日もうちに来る」も覗いていただけたら幸いです。この作品とは別の角度から、“夢を追うアイドル”を書いております。

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