01 未知来訪
”可視境界”それは日常と隣り合った別世界が見える力。
孤独であっても、悲しく辛くても日常は進んでいく。
それでも少年は師匠の言葉を胸に今日も子供らしく学校へ向かうその道の途中……目の前に突如として現れた彼女。
「楽しくて愉快な世界を見に行いこう」彼女はそういって少年の手をひくのだった。
表と裏は表裏一体、直ぐ目の前に別世界はある。
「でもね表から裏は見えない、透けて見えるほど世界は薄くないのだよ」
辛いこと悲しいことがあっても日常は今朝もいつものようにやってくる。子供らしく学生らしく振る舞う為に、身支度を整え今日もこの道を変わりなく歩く……そのはずだった。
”可視境界”彼女は突如としてそう呟きながら、目の前に現れた。
色白の肌、両目を閉じ、透き通るほど滑らかに瑞々しく銀髪をなびかせる少女であり妖艶な淑女の彼女は腰を抜かしへたり込む僕に手を伸ばす。
「ようやく見つけたんだ君を、さぁ、早く立って。行こう!!」
彼女は酷くせかす。その細身だが女性らしい肉体に反し、目も開けず僕の手首をわしづかみにする握力の強さ。あまりの突然の出来事に強引と言うほかにない。
「ちょっとッ、あの、待ってください。離してくだっ……――」
連れ去りか、運命の人と称してロマンス詐欺か、はたまた怪しげな壺を買わされるのかと信じる事よりまず疑うこと、過去の経験からそんな事が頭をよぎり手を振り払う。こんな時ばかり取って付けたように大人びた思考。だが想定外の時こそ、もっと冷静に周りの状況を見て思考力を尽くし、最善でなくとも事態の好転の一手を即行動に移すことが大事だとお師匠は言った。
師匠の言葉によって自分の中の心が変化しつつある事を感じたこの頃だった、一呼吸を置いて師匠の言葉通り周りを見た。
周りの視線は歩道の中央でへたり込む自分のみに向けられ、視線が交われば直ぐに逸らされ足早にその場を離れる通行人。見てはいけない物を見るような、驚きよりも侮蔑。それは今この状況に始まった事ではない、親無し、兄弟無し自分にあるのは師匠と僅かな人との関係だけ。やはり周りはそう簡単には変わらない、諦めというより事実だ。
「君は楽しいこと、愉快な世界を見たい……とは思わない?」
空を見上げながら言う彼女、だが視線はもっと遠く遠く……言葉とは裏腹にどこか寂しげに思えたのは気のせいだろうか。気づけば同じように見上げる空はいつになくまぶしく感じ、酷い脱力感に襲われ立ち上がれない。
「私はそれを探してる、そう君とね!」
『迷った時は飛び込め、進めば良い。大丈夫、お前はいい目を持っているのだから、正しい道を選択できる目を』
それも師匠の言葉だった。師匠はいつでもどんな時に僕を導いてくれる人。しかし師匠はもういないのだ、しかしまだ自分一人で歩いて行くには勉強も世間も何もかも知らない子供なのに……。
「驚かせてごめんね。よい……しょっと、立てるかい?」
抱き込むように立ち上がらせる彼女は、皮の厚底ブーツで一段とスタイル良くなびく銀髪が冬晴れの柔らかな日差しを浴びて煌めく。寒さで白い吐息と正反対に握られた手は温かく柔らかくて温もりを感じる。
「――です」
「何か言ったかい少年?」
背丈は半分より少し高い位の自分ににあわせ、腰を落とし帽子を押さえながら顔をのぞき込む。
「お願いが……条件があります。それを守ってくれるなら、僕は一緒に行きます」
「もちろん、いいよ! 君が用心深く、打算的なのはよーく分かる。私と婚姻を結んで私の全てを君にあげるよ。その代わり私がまだ見たことない、新しく世界を君が見せてくれるのであれば」
頭に思い浮かべた事が彼女の口から出たのは驚きというより少し恐怖感を覚えた。けれど彼女は本当に真面目にそして嬉しそうに、僕の胸に両手を触れながら心臓の鼓動を聞くかのように自分だけを見てくれている。誰でも無い自分だけを。
自分との特別な関係、縁とでもいう何を感じざるを得ない。なぜなら突然現れた女性が自分を求めて一緒に行こうと言ってくれるなんて。おとぎ話の世界かやはり騙されているかのどちらか。でも前者だと確信出来るのは、彼女が僕が見えている世界の何か知っている事。もう自分と彼女以外の周りの視線と状況など何も見えなくなった。二人だけの世界とはこういうことなのだろうか。
「じゃあ行こう。私と君の家に!」
再び半ば強引に自分の手首をつかみ取り引っ張る、空いているもう片方の腕を目一杯伸ばす方角は彼女が突如現れた世界の狭間。普通の日常の世界と境界面は薄いガラスでもあるかのように光を反射し薄らと二人を映し出す。
見る事は数え切れない位に何度も会ったけれど、境界の先は暗く先が見通せず、師匠も不用意に近づいてはいけないと忠告を受けた。その先へ彼女に導かれるまま、足を踏み入れる。一体この暗闇の先に何が待っているのか分からないが、彼女といれば問題なのだろうと安心しきっていた。
明るい日常を振り返る事もせず、僕と彼女は常闇の世界の中へと進んでいくのだった。