決勝戦当日その1―三人称視点―
―――本戦最終日(決勝戦)から遡ること数十分前―――
大会運営委員会の委員長を務めるサミュエル・キャスパー(58歳)は、禿げ上がった頭が更に薄くなってきているのを感じていた。
あの発表以来(というか昨日)委員会に寄せられる厳しい意見が飛び交っていた。曰く「何を考えているんだ」を筆頭に、「どうにかしろ」だの「予選で敗れた選手を入れろ」だの「他ギルドからの陰謀に違いないから報復を!」という突拍子のないものまで、委員会にはありとあらゆる種類の厄介事が寄せられていたのだ。
「うぅ………どうすれば良いんじゃ………」
頭を抱える委員長は、体から哀愁がにじみ出ていた。ついでに頭に手を置いた委員長は、自分の髪がもうほとんど無くなっていることに今更ながらに気が付いて更に絶望した。
「あぁ、もーどうしようもないんじゃないっスかねー?」
横から来客用の(それも高級な)ソファーにどっしりと体を預けながら行儀悪く紅茶なんてものを飲んでいた秘書のチャーリー君が口出しをした。
この姿を彼を知っている者が見れば「こいつはチャーリーじゃない!」と叫んでいただろう。それほどまでに彼は生真面目な人間なのだ。しかし、ここに居るのはまぎれもなく正真正銘の本物のチャーリー君であった。
それでは何故、このような変貌を遂げたのかというと曰く”耐えられなかった”とのこと。
元来というか生粋のというか………彼は世渡りは下手糞であった。何が言いたいかというと糞真面目な性格で正義感が強く、気を抜くところは気を抜くといった現代人に必須なスキルを身につけていなかったり、妥協するということは鼻から選択肢に入れられないのだ。それにより何が起きたかというと、彼は大会運営委員会委員長のサミュエル・キャスパーの秘書として、彼よりも………いや、運営委員会の誰よりも矢面に立って非難・苦情を受け続けることとなったのである。
一日………そう。言葉で表せばほんの一瞬の出来事のように思えるが、彼ら………つまり大会運営委員会の人々にとってそれは忘れられない日になり、今まで生きた人生の中で最も長い一日だったと断言できるほど濃密だった。その中でも最も一日が”濃密”だったのがチャーリー君であったのだ。
次々と現れる罵詈雑言を放つ人々、悪意にまみれた手紙、そしてまた人………彼は瞬く間に精神崩壊を起こした。
委員長の横で突然バッタリと倒れながら白目&泡を吹きだすチャーリー君。その場は一時騒然となったが、委員長の適確な指示により早急な治療を受けることができた。
暫くして彼は意識を取り戻すと世界が色を失っていた。全てが白と黒で構成されるモノトーンの世界。あれだけ光り輝いていた人々が、大会が、委員会が………全てが色を失っていた。
「…………………」
目の前の誰かが自分に向かって話しかけてくるが、何も聞こえない。聞こえてくるのは吹きすさぶ風の音だけだった。
何も無い。
どうしてこうなったのだろう。彼は思う。
子供の頃から勉強が好きで暇さえあれば勉学にいそしんでいた。それでも友達は少ないながら居て、ほとんど不自由しない生活を送ることができた。大人になり、自分の勤勉さと才能を買われて秘書になり、それからがむしゃらに働いてさまざまな人の信頼を勝ち取った。
友達も高給取りは良いよなーなんてふざけられながらも、子供の頃と変わりなく自分に友愛をしめしてくれている。
世界は輝いていた。
まるで自分の為だけにある広大な世界は、どのような宝石よりも彼にとって素晴らしい輝きを放っていた。
それが今はどうだろう。
人が・物が・世界が彼を拒絶したのだ。
初めての挫折。しかも悪意を感じさせるほど強大な”力”だった。
レベルを積んでいない勇者が魔王に蹂躙されるが如く心をオーバーキルをされたのだ。
彼は耐えられなかった。
それと同時に一つの疑問が生まれた。
何故、自分がここまで耐えねばならないのかと。
その一つの疑問が彼の心の中で波紋となり、そして嵐となった。
「………耐える必要なんて無いじゃないか………」
病室でポツリと呟く彼の一言は室内でやけに大きく聞こえた。
「そうか………耐える必要なんてないよな」
そう言って、ハッと目を見開いている目の前の委員長を睨みつける。
世界は色を取り戻した。