回想
物心付いた頃から俺は親父の背中を見てきた。
親父は昔気質の鍛冶職人で、俺のような9歳の子供の目から見ても日用品の包丁を作るときでさえ一本一本丁寧に仕事をした。
今では当たり前となっている大量生産が可能な鋳造を行わず、昔から伝わってきた鍛造という金属加工の方法を親父は使っている。
鋳造とは出来上がる形をあらかじめ鋳型として作っておいて、それに液化した鉄やらなにやらを流し込んで品を作る方法だ。知り合いに言わせれば、型押しで星型のクッキーを作るみたいなもんだね、と一言で片付けられたが。
対して鍛造とは、熱した鉄をハンマーでぶっ叩いて剣やらなにやらを作る伝統的な方法だ。
もちろん、作るたびに一本一本丁寧に仕上げていく鍛造の方が鋳造品に比べて高性能な作品が仕上がる。
でも、戦争で大量に武具が必要になった場合、国が求めるのは質ではなく量だ。それに費用も鋳造品の方が安く手に入る事から、まさに国にとっては一石二鳥。
他の鍛冶職人が大量に召抱えられる中、俺の親父は頑なに鍛造にこだわった。
その頃からだろうか。どんどんと客足が減少していったのは。
包丁一本についても鋳造品と比べれば鍛造品は費用が掛かってしまう。
剣や鎧もそうだ。
そこそこの値段でそこそこの性能の物が買えれば、やはり大多数の人はそれを買っていく。
しかし、一部の冒険者や傭兵は親父の店をヒイキにしていた。
客足は若干遠のいたが、店の黒字を保てたのは一重に親父の腕が良かったからなのだろう。
以前ほどの贅沢は出来なくなったが、日々生活していくのに必要な金は稼ぐことが出来る。
このご時世、金を稼ぐなら鍛冶屋をやるよりも他を選んだ方が断然良い職業が幾らでもある。
少なくとも、同じ鍛冶屋であったとしても鍛造より鋳造で作った方が金は稼げる。
でもな。
俺は親父の背中をずっと見てたから分かることがある。
俺も鍛冶屋の血が流れているのだと。
将来の夢は既に決まっている。
立派な鍛冶師になって、両親に楽をさせてやりたい。
半端な鋳造品ではなく、本物の作品を作り出したい。
俺は本物の鍛冶屋になることを9歳の頃から既に誓っていた。