しりあう
池にかかった石橋の上に、渋い色の着物を着た男が立っている。水面を湧き立たせる鯉に餌をやっていたのか、両手を払うと、こちらを見て、ほお、と口を丸くした。
「意外と小柄だね。あれだけの声がでるなら、もっと大男かと思ったよ」
「大きさは関係ねえでしょ。旦那さん、買ってくれんのかい?いらねえのかい?言っとくが、呼び込んどいて、見るだけってのは、ナシにしてくれよ」
がさついた笑いをあげた相手は、側にある立派な庵を指して、あがっとくれ、と命じた。
ここの表が、自分にはまったく縁のない呉服屋だと知ったのは、後になってのこと。
「お茶屋じゃないってのに、ずいぶんと目の利く仕入れがいるんだね」買ったお茶を手ずからいれて味をみた男は、驚いたよ、と口を曲げ、言った。
「次も買おう。いつ来るかい?」
「―― いや、おれあ、毎日、売ってる品が、違うんですよ」
「じゃあ、このお茶が入ったときでいい」
「・・・旦那さん、おれあね、普段は『こんなとこ』で、物売りはしねえんだ」
いかにも、人に命じることに慣れていそうな年寄りは、ヒコイチの言い方に、いきなり笑った。
「そうかい、そうかい。いや、あんたみたいな商売人に会うのは久しぶりだな。こりゃおもしろい。あんた、碁か、将棋はできるかい?」
「はあ?ちょっと待ってくださいよ。年寄りの暇つぶしの相手するほど、暇でも、酔狂でもねえですよ」
「担いだ品は、ちゃんと買うさ」
「冗談じゃねえ。こちとら生活かかってんだ。一つ二つで半日つかまっちまうなんて、ごめんだぜ」
「はっきりもの言うねえ。じゃあ全部もらおうか」
「それも断る。買うだけ買って、同じものばっかいくつあってもつかわねえでしょ?そのまま捨てられるんじゃあ、しかたもねえ」
「・・・ふん。どうやら頭のつくりも意外だよ」
「口のわりい旦那だな。あんたみてえな年寄り、相手すんのは苦手だ」さっさと帰ろうと、棒を担いだときだ。大旦那?と若い男が母屋から足早にやってきた。
「―― その方、誰ですか?」
息子だと紹介された色の白い男は、いかにもさげすんだ目で父親に問う。
「ああ、新しい、将棋仲間でね。流しの行商もしておられる。おまえより年下だろうけど、たいした人だよ」
「――――」まるで、旧知の友であるかのようなその紹介に、ヒコイチはただ、頭を下げて名をなのった。息子は、いささか納得しかねる様子で軽く受けると、ちょいとお話が、と小声で言う。
頷いて、母屋で待っていろと息子を追い払った男は、「・・どうにも」と、その背中を眺めつぶやいた。
「どうにも、―― 頼りにならない男に育ってなあ・・」
「育てた親の顔が見てえ、ってことですかい?」
「・・・・ふん」
「じゃあ、おれは、これで」
予定よりも時間を潰してしまった男は、これからの道順を練り直しながら、さっさとお茶箱を下げ
た棒を担いだ。
「―― 商売の帰りにでも、お茶を飲みに寄っとくれ。売れ残った品があったら買い取ろう」
こちらを見送るように立つ年寄りには、先ほどまでの言いつけるような気配はない。
「・・・あいにくと、売れ残るような商売してねえんで、遠慮しやす。また、旦那が欲しそうなもんが入ったら、まわって来まさ」
「そうかい。・・・じゃあ、まってるよ」
その、なんとも人付き合いがへたそうな年寄りのところへ出入りするようになって、もう、五年たつ。
その間に、お互いの呼び方も旦那さんからじいさんへ。あんたからヒコへと変わり、立ち入ったことは聞かないが、よく知る相手となっていた。
お互い多くは語らないが、商売を託した息子とはあまり仲が良いとはいえず、その息子が見つけてきた若い嫁のことも、気に入ってはいないようなのも知ってはいた。
だからといって、じいさんは、どこぞの姑のように嫁をいびるなど、陰湿なことをする性格ではない。
どちらかといえば、客にだって、平気で、似合わないものは買うなと言ってしまう商売人なのだ。