まだ全部じゃねえ
「地蔵菩薩。ぼくも見せていただいたけど、なんとも優しいお顔だったね」
「・・・じじいが、・・このまえおれに見せながら、ずっと、撫でてやがった」
「・・・さ、これで、全部ですよ。あと、今回のこの話、書きはしないけど、買わせていただきます」
お坊ちゃまは胡坐のまま頭を下げる。
こんな狭くて汚い家に不似合いな洋装の男のつむじを見ながら、ヒコイチは手にした餅を、ようやくほおばった。
―――と、そのとき、窓際のそれに気付く。
「っこ、こらあああああ!!」
ヒコイチの怒鳴り声に身をすくめたのは、干した布団の上でくつろごうとしていた猫だった。
怒鳴っただけでは足りないのか、餅とドテラを落とした男は窓際に駆け寄り、両手をやたらと振り回した。
「・・・ヒコさん?どうしました?」
「・・・ノブさん・・」
「はい?」
「まだ、全部じゃねえだろ?」
「え?」
「か、乾物屋だよ!乾物屋!カンジュウロウじいさんだよ!!」
ああ、とのんびり笑うお坊ちゃんは、ヒコイチのひきつった顔に気付くこともなく、どう説明したものか迷った。
「実は、それに関しては、正直ぼくもなんとも言えないんですよねえ。セイイチさんには、あんなこと言ったけど、ぼくは、セイベイさんがボケたふりの中でしてるんだと思っていたから、それを強調したかっただけなんだけど・・・。どうも、セイベイさんは、ボケとかのふりじゃなくていまだに本当に信じてるみたいだし。そうなると、独り言も、『ふり』じゃあなくなるわけで・・」
「 『ふり』じゃあねえ 」
「はい?」
なぜか、ヒコイチの声は怒っている。
窓枠から布団を奪うように取ると、それを体に巻きつけて足音も荒く戻る。
「・・・乾物屋、ほんとに戻ってきやがった」
「・・はあ?」
拗ねたように、ヒコイチはそのまま布団に転がり、そっぽをむいた。
「西堀のじじいの見舞いに、桜餅持って行ったらよ ――」




