表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/23

大工のうわさ




 隠居の噂をはじめて耳にすることになったのは、つい前月寄った蕎麦屋。


 おもしろおかしく語ってくれたのは、先にいて蕎麦をすすっていた、知り合いの大工だった。

「おうヒコよ、西堀の隠居、ついに、近いみたいだぜ」

  ―― なにが、と聞けば、お迎えさ、と箸で上をさしてみせた。


 まあ、大抵が、年寄りがボケたと聞けば、あとはただ、するするとしぼむように小さくなり、しばらく見かけないと噂をすれば、知らないうちに墓に入っている、なんていうのが、あたりまえだ。 


―― どこの家だって、ボケた年よりは表に出さない。


 だから、さすがの西堀の隠居でも、もう、先はながくもねえだろう、というのが大工の言いたいことのようだ。

 おめえ、あのご隠居のところ、出入りしてんだろ?得意客が減るのは残念だなあ、と嬉しそうに蕎麦湯まで片付けた大工が財布を取り出したところで、でも噂だろう?と念押しするように聞いてやった。

 待ってましたとばかり、大工は顔を突き出し笑った。

 

 「おれあ、ちょっと前まで、あのお屋敷にあるお稲荷さんの、新しいおやしろをつくりに行ってたのさ。新しいのは、離れの庭にある池の側につくったんだがなあ、ときどき、庭の池を見るのにちょうどいい縁側にな、中から、隠居が出てくるのよ ――」

 

池の向こう側の離れ。すう、と障子がひかれると、そこからまず先に、座布団が出てくる。縁側の板にそれが置かれると、ゆっくりと隠居が現れ、そこへ座る。

池のほうをじいっと見つめる。

池のむこうがわで、社の土台を作る大工達の様子をながめながら、―― 口を、動かした。


「―― ・・ありゃあ、ひとりごとだ。おれたちに話しかけてんじゃあねえ」


ぼそぼそと口を動かす年よりは、ふいに口をつぐみ、頭を動かし、そして、笑う。


「なんだか、だれかの話にうなずくみてえに笑うのさ」

 

 それはそれは、なんとも嬉しそうな顔を、こちらにむけられ、職人達は、そろって目をそらし、あわ立った肌をさすった。困ったことに、気味が悪いだけで、これといった害はない。

 だが、気は散る。

 お社は、かなり気を集中させる作業を必要とするのだ。宮大工まではいかずとも、釘を使わず、木を喰わせることでつなぎあわせていかねばならないし、細工もこまかい。

 棟梁が、さすがに息子に訴えでれば、いや実は――。と、座敷に招かれた。

 

 ここだけの話にしていただきたいのですが、どうにも、ボケてきたらしくて 


 ――と、重ねた手をさすり、腰を落ち着きなく浮かす息子は、このところ理解できない言動をするおのれの父親を語り、鼻をすすりあげた。

 おれの飯に毒をいれたな、だの、寝ているところを狙うつもりか、とか。まるで、自分の命が狙われているようなことを言うのだと。


 「そりゃひでえ。だってもとは、 ――」と、言いかけたのを、相手の白い顔を見てすんでのところでのみこんだ。

 「いえ・・いいんです。・・・親父はきっと、フキコが亡くなり、わたしに怨まれているとどこかで思っているのでしょう。だから、ボケてもそんなことを口にするのだと・・・」

 「・・・・」返された息子の言葉に腕を組んだ棟梁はうなずき、この話はあっしのむねにしまっておきましょう、と約束した。



 

「―― ・・それを、棟梁にきいたあんたが、またおれにしゃべっちまってるのはいいのかい?」

「ヒコだから、しゃべってんだぜぇ?ほら、西堀の嫁さんが死んだときも、おめえだけ、なんだか隠居の肩持ってたからよお」

「だってありゃあ、おまえらがくだらねえこと言うからよ」

 西堀の呉服屋こと『とめや』に嫁いだ若い娘が自害したのは、二年ほど前のことだ。

 フキコ、フキコと名をよび、泣き崩れてしゃんと座っていられないほどの息子と対照的に、まだ隠居したばかりだった父親は、悔み事をいっさい口にせず、しかも、商売のことを何も心得ずに育った豪農とよばれる家から嫁いだ若い娘を、隠居が毎日のようにしかりつけていたのを、店の者どころか、客や近所のものまで知っていた。

 

 どこからともなく、―― 『大旦那が、嫁をいびり殺した』という噂がのぼった。


 合わせたように、店のものが、いちどきに辞めたことも、この噂をあと押しした。


「―― いいや。やっぱり隠居がいびり殺したんだ。急にボケたのは、そのバチよ。――これも、うちの棟梁が若旦那から打ち明けられたはなしだがよ、実はその新しいお稲荷のお社も、大旦那が言い出して、どうしてもきかねえから、作ることになったんだとよ。息子の若旦那は、お社を移すのはよくねえってんで、反対してるのさ。場所がな、今は店の入り口に向かうようにたってるのに、隠居が指した池のところじゃ、そっぽむいちまってるんだ。新しいお社はな、隠居の離れにむかって立ってンのよ。だからな、おれたちが思うに、その新しいお社にはよ、ほら、亡くなった嫁さんが化けてでねえように、なにかの強い神様をいれるつもりじゃねえかって」


 ・・・やっぱりくだらなかったが、こちらの蕎麦がのびそうなので、もう何も言わないことにした。




 大工の話は、棟梁から直接聞いた話だし、なにしろ、隠居を実際に見ている。

 だが、その話を聞く前に、先月、自分も隠居に会っているのだ。そのときの印象とまるで違う話に、ヒコイチはなんだか腹が立っていた。


 だからといって、ここでいきなり様子を見にいったら、まるで、心配しているようではないか。


「――お友達じゃねえってんだ」

 持たされた草もちを、ぐるりと振った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ