おさまりました
母屋の裏木戸から入り、見舞いをしたいと台所にいた女に伝えれば、驚いたことに若旦那が慌てた様子でやってきて、これはヒコイチさんありがとうございます、などと頭を下げられてしまった。
「実は、ここだけの話にしていただきたいのですが・・・」
―――まただよ。
思ったが、顔にださぬようにつとめて、案内にしたがえば、母屋の奥に通されて、上座の座布団をすすめられる。
尻が落ちつかねえと断って、先日のように隅に座って、息子の話をきくこととなった。
「――ご心配をおかけして、申し訳ございません。実は・・・親父がこのたび倒れましたのは、病ではございませんで・・」
「え?怪我ですかい?」
「いいえ、その・・・・・団子を・・」
「団子?ご隠居、詰まらせましたか?」
そのとき、ふ、と。
ほんの一瞬だけ、若旦那の口もとがなぜか緩むのを、見る。
「――ネズミ用の団子を、間違って、食いました」
「・・・・・・・・」
「いや、まさか、あの団子を親父が拾って食うなどと・・・まさかそこまでボケているなどとは・・・あの、あの親父が・・・」
息子はいきなり、声を震わせてうつむく。
「乾物屋さんの話も、先日お聞きして、信じられないような気持ちでしたのに、ここまでボケがすすんでいるとは、まったく気付きませんで・・・――息子として、失格です」
――― ヒコイチは、何もいえなかった。
そのまま、離れに通されると、隠居のそばに、サネがいた。
目が合えば、ああヒコさん、と力が抜けたような顔をむけられる。
一緒に入った息子は、親父どうだい?と布団にふせた父親の顔をのぞきこみ、手を取って撫でてから、サネに頼んだよ、といって母屋へ戻った。
なんとなくそれを見送っていると、「おい、ヒコ」と、聞きなれた声がかかった。
振り返れば、身を起こしてサネに羽織をかけられる年寄り。
「・・・なんでえ・・。元気そうじゃねえか」
髭はのび、少しやせたようだが、噂に聞いたように、言葉が出ないなどということもなさそうだ。
「毒団子食ったのに、いきなり元気になったらおかしかろう」
「・・・・まさか・・」
「食ったよ。だが、ほんのひとかけだ。それもすぐに、水で吐いたけれどね」
「はあ?ならべつに元気になったって、いいじゃあねえか」
「ヒコさん?あんた、一条のお坊ちゃまに」いきなりサネがとがった声をだす。
「まあ、いいさいいさ」隠居はサネの言葉をさえぎり、片手を振った。
「こいつはな、こういう馬鹿なところがいいのさ」
「な、・・・このモウロクじじい、てめえが」
「今度のことはな、この『とめや』のなかの揉め事が、ところどころ漏れでて、おかしな噂がたってしまった。ご先祖様に申し訳が立たないが、これでどうにか、おさまるさ」
「おさまる?」
「おまえにも、おかしなかたちで迷惑かけて、すまなかったね」
「いや、べつにおれあ・・・」
「一条の坊ちゃんに、よろしく伝えておくれ。『おかげで、おさまりました』とね」
「おかげで?」
「ああ、そうそう。あそこの祠、なにを入れるのか気になっていたのだろう?帰りにみていくといいさ。―― いいのが、できあがった」
少し開いた障子の向こうに、ちょうど銅で打った真新しい屋根が見える。
そのあとは、なぜか結局、一条のお坊ちゃまの話になってしまい、ヒコイチがはじめて知るようなことを隠居に聞かされて帰ることとなり、『今度のこと』の話はうやむやなままとなってしまっていた。




