戻る?
「―― 親父が、おかしいと思うようになる前、ぽつりと、こぼしたのです」
『 うまく、成仏できるかできないかってのは、どう、決まるのかねえ 』
「ああ、なるほど。セイベイさんは、亡くなった方の、その後を、気にしておられたわけですね?」
「ええ、まあ。身内も、母は早くに亡くなっておりますし、わたくしの家内が二年ほど前、それから翌年には、カンジュウロウさんがいってしまって・・・。やはり、親父も、ひどくこたえたようで、このところ一気に老け込みました」
「そうですねえ。それは仕方ないことです。ことに、ご自分の身に置き換えて考えたりするお歳でしょうし」
「いえ、そうではごさいません」
「そうではない?」
はい、としっかりうなずく若旦那は、ふいに口元を緩めた。
「『たとえば、亡者はお盆にかえってくるのだから、うっかりした者はその時期以外でもかえってくるのかもしれない。そうして戻ったのを、こわがるのはおかしな話しで、こっちはそういう者に、おまえはもうこの世の者ではないのだから、ちゃんとあの世に戻れと、言い聞かせてやらなきゃならない』 ――と。・・・身内として、お恥ずかしいはなしでありますが、親父は己の身に置き換えるなどとは考える人でなく、ただ、迷う者を、とっとと追い払うような気持ちをもつだけでございます」
その、笑いをこらえるように肩をふるわす息子を見て、ヒコイチは、なんだか固いものを喉に押し込まれたような気分で着物の衿をなおす。
「きっとボケがすすんで、カンジュウロウさんも、戻ってきたと思ったのでしょう。わたしもいきなりお稲荷さんをうつすといいはじめたのに驚きましたが、そういうことなら、・・・そうですか、親父は、そこまで、ボケてしまってますか・・・」
若旦那のもらしたつぶやきは、あきらめたような言葉なのに、安心したような響きがあった。
どうにも言いたいことが溜まって、いろいろとむずかゆくなっていたヒコイチは、たまらずに口をひらいた。
―――が、先をこされた。
「カンジュウロウさんが、本当に戻ってきているのなら、セイベイさんはボケてなどいないわけです」
「 ―――は?」
「・・・お坊ちゃま、なに言い出すかと思えば、また・・・」 ―― ろくでもねえ。
眼を丸くした若旦那に、その、ろくでもない男と見比べられるヒコイチは、しかたなく、男の後ろ首をつかみ、帰りましょうと、ひきずった。
最後はおかしな様子になったが、上等な着物を頼んだ客として坊ちゃまとヒコイチは店の者総出で見送られ『とめや』をあとにした。
「ヒコさんも、そう思いませんでしたか?」
帰ってから同意を求められたが、面倒くさくて無視をきめこんだ。
―――その、二日あと、セイベイが倒れた。




