表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/23

うわさ




 西堀にしぼりの隠居がボケたという噂がたったのは、暖かい風が強くなったころ。そろそろ桜もほころび始めた、季節の変わり目だった。



「――まあ、ずいぶんといいお歳ですしねえ」

「長生きしすぎだぜ。ありゃあ。息子は早いとこイッてくれって願掛けしてんじゃねえのか?」

「・・・ヒコさん、言いすぎですよ?お友達でしょう?」

「だあ~れが」

 出された草餅に、かぶりついた。


 何度来ても、この家の洋間ってのは落ち着かないと、尻も浮くような感触の布張りの椅子の上、着物の裾をからげたヒコイチは、胡坐をかく。

 淹れたお茶を、ご丁寧に茶托つきで出したこの家の若い当主は、そういえば、と、自分用の湯飲みを両手で包み、思い起こすように眼を動かした。


「昨年、でしたかねえ。ご隠居のお友達、乾物屋の大旦那が亡くなったのって」

「ああ、乾物屋な」たしかにそうだ。「―― あんときゃ、じいさん、かなり気落ちしちまって、普段は声もかけねえ息子が、おれのこと呼んだぐらいだったなあ・・」

「ほら。いい息子さんじゃないですか」

「そうよ。だからな、本当はおれのことなんざ、呼ぶ必要なかったのよ」

「いやいや。ヒコさんは、お友達だから呼ばれたんですよ」

「じじいの暇つぶしの相手させられるのを、『お友達』っていうのかよ?」

「だって、お金、もらってないでしょう?」

「そりゃ、あれよ。商売物をしっかりと売りつけてから、相手してやんだ。むこうだって、金払って相手させてるって、考えるだろよ」


 ほおばった草もちをお茶で流し込めば、おもしろそうな顔で腕を組んだ男が、ぼくは違うと思うなあ、などとにやける。


「だって、ヒコさんが売るものって、季節によって違うし、金魚みたいな生物から、七味とかの薬味までで、ご隠居が必ずしも欲しいものじゃないと思いますよ。なのに、それらを買ってまで、ヒコさんを呼びたいってことは、――いいかえれば、ヒコさんと絶対に遊びたいってことでしょう?」


「・・・あれは、そんなにかわいげのある隠居じゃねえぜえ」

 いいたいことは包み隠さず口にし、遠慮もない。

 家人でさえ、隠居の住まう離れには、用事がなければ顔もださないのだ。


 むかいで、新しい茶を急須に足す男が、嬉しそうに何度もうなずく。

「そうそう。そういう方だからこそ、ですよ。――本当は、ご自分の息子さんとも、もっと良い関係になりたいと思ってらっしゃるのかもしれない。それができないから、ヒコさんみたいな、見かけも中身も正反対の、何の因果もない男を選んだのかもしれない。ああ、これ、いいなあ。次の作品にいかせそうだなあ・・」

「どうでもいいけどよう。おれだけじゃこんなに食いきれねえぜ。――お坊ちゃま」

 皿に積まれたそれとは別に、まだ紙に包まれたままの草色の甘物を睨んでみせる。さあどうぞ、とすすめた『お坊ちゃま』は、いまだひとつにも手をつけない。


「それとも、例の作家先生方の集りへ手土産ですかい?」

 さきほど、ちらりとこぼしたようにこの『お坊ちゃま』、金と時間をもてあましているもんだから、なにやら文筆活動なるものをしていらっしゃる。

 同じようなことをしている人間が集まり、『同志』と称して月に何度か集まり、互いの書いたものを批評しあったり、外国の本をまわし読みしたり、たまに自分達で本を作ってみたり。―― が、いまだ、そのうちの一人も、ちゃんとした出版社から声がかかったこはなく、『同志』とよぶ他の人間が、あきれるほど金がないのを知っているこのお人よしは、そいつらのパトロンもしている。


 ―― なんの得もないだろうに。


 呆れた目をむけるこちらへ、相手は見開いた目をむけてきた。

「――だって、女性はみな、これぐらいぺろりと召し上がりますよ。手土産も無しで話を聞こうなんて、そりゃヒコさん、無粋な前に、『世の中、なめてますよ』」

「・・・・」

 その言葉は、自分が毎度この世間知らずな男に投げつけてやるものだ。


「きっと、『お友達』のヒコさんなら、気になって様子を見にいくだろうなあと思ってですねえ。お昼前に、松庵堂に買いに行っておいたわけです」

 それとも、洋風の珍しい菓子のほうが良かったかなあ、と、力仕事などしたこともない女のような手が、ひょいと草もちをつかみ口へ運んだ。


「っていうと・・・なにかい?このおれに、西堀のじいさんがボケたかどうか、確かめて来いって?」

「気になるでしょう?なにしろ、松庵堂に来るおかみさんどうしのおしゃべりにも、ご隠居のことが出てくるんですから」

「・・・そんなに、ひろまってますかい?」


 なんだかすまなさそうに、草もちを食う男はうなずいた。

「うん・・。うちも母がいた頃は西堀の呉服屋さんと付き合いもあったけど、すっかり疎遠になっちゃったし、息子さんはあまりよく知らないんだよね。―― だけど、あのご隠居のことはよく覚えているよ」

 母親の影に隠れていると、男らしくしろと怒られたという話を坊ちゃまは披露した。

「でもさ、悪い人じゃないよ。ヒコさんが、いちばん良く知ってるだろうけど。あんな、噂みたいに『ばち』が当たってボケただなんて、絶対ない」


「・・・いっつも思うんですが、あんたのその思い込み、どうしてそんなに自信持って言い切れるんですかね・・・」

「はずれたことないから」

「・・・・・・」


 ―― いつか、絶対にはずれて、一度、痛い目をみますように。


「とにかく、これはヒコさんのお友達の、沽券にかかわる一大事ですよ」

「だあーれが『おともだち』だよ。あんなじじい」

「いつもより、高値で買い取ります」

「・・・・ふん」

 そうなのだ。この酔狂なお坊ちゃまは、作品の題材にするとかで、売り歩きを生業としているこちらから、あちこちで聞き及んだおもしろい話を、買い取ってくれるのだ。


 口端をあげててみせれば、「はい」と菓子の包みが押し出される。

「ほんとは気になってたでしょう?」

「あんたがこの噂に喰い付くのを待ってたのさ」

「はいはい。そういうことにしておきますよ」

 まるで古女房のように受け流す男に、淹れなおしたお茶を渡された。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ