箱の中の象
学校が好きでは無い、全ての方へ。
箱の中の象
幼い頃からずっと。
学校が、嫌いだった。
小学校の頃を思い返しても、ろくな思い出が無い。
それはきっと、私が皆と同じように合わせられないから。
一年生の時から、そう。
入学と同時に。
同じ保育園の子達で固まったグループがあちこちにできていて。
私はすぐに一人になった。
同じ過去を共有していないって事は、同じ未来も共有しないって事だ。
見えない壁がある。
人見知りの私は、そう思った。
友達百人できるかな、の歌は苦手なのに。
先生は、その歌をオルガンで弾いては、歌わせたがった。
子どもは“お友達”って響きにワクワクしている。
っていう、大人の幻想に付き合うのは、しんどい。
小さな私は、ダンゴムシみたいに丸くなって、一人の時間を潰した。
二年生の時。
やたらと並べられた。
出席番号順や、背の高さ。
時には隣の子と手を繋いで。
集団の中に、私を繋ぐ鎖みたいに。
郊外学習で見たカエルの卵はいいな、と思った。
同じモノから産み出された同じように連なった卵達は、私が想像する本当の“お友達”みたいだと思った。
今、繋いでいる手は、“お友達”でも何でもない。
先生が「手を離しましょう」と号令した途端、消えてなくなる、気泡みたい。
私は、カエルの卵みたいな繋がりが欲しい。
そう思った。
三年生の時。
気の合う“お友達”ができた。
小学校に入って、初めての事だった。
大切だったので、今もフルネームを覚えている。
だから、人生で初めて、先生にお願い事をした。
席替えがあったら、その子の隣の席にして欲しいと。
決死の覚悟で、耳打ちして。
その時、確かに先生は微笑んだのに。
結局席替えでは、その子と席を遠く離された。
私の訴えは。
大人にとっては、愛らしい小鳥の囀り程度にしか聞こえていなかったのだろう。
その後すぐに“お友達”は転校してしまった。
小鳥の羽は、大人の都合で、簡単にもがれる。
私は厳しい現実を知った。
四年生の時。
朝のレクレーションなんてものが始まった。
非常に不快だった。
任意で、クラス全員が朝、十五分早く来なければならない。
そうして、レクレーション係の考案した遊びに参加するという決まりだ。
任意なのに。
出なかったらレクレーション係から囲まれて、文句を言われた。
理不尽だ。
ドッジボール?
誰も球を寄越してくれないじゃないか。
外野でボーっとしておくしかない十五分が、時間の無駄。
朝っぱらから“はないちもんめ”?
これはドッジボール以上に最悪だった。
誰も私を指名しないのに、ずっと列を組んで、同じ歌と動きを繰り返さなければならない。
人気のある子達だけが入れ替わり続け、笑顔だ。
十五分って、長い。
どれだけ自分に価値が無いか、思い知らされるには充分な時間。
逃げたいけれど、飛んで逃げる羽はもう、無いんだよね。
五年生の時。
皆が好きだというキャラグッズを何とか揃え。
無理矢理話しを合わせて、女の子達の集団に入る事に成功した。
かなり、頑張ったと思う。
放課後はその集団で、一つの家に集まり。
フェルトで人形を縫うのが流行った。
私は縫物が壊滅的に下手だったので、皆に合わせるのは、苦痛だった。
身体的にも、針が何度も刺さって血だらけになったし。
私はもっと、外で、自転車なんかを走らせていたい。
行動と思考は、分離する。
散々だったが。
私は一人ではなく。
一人では無いのに、退屈で、苦痛。
憧れた“集団”は、入ってみたら居心地が悪かった。
私にとって、退屈は、皆の中に居て感じるものとなった。
帰り道。
下を向いて歩いていたら、蟻が行列を作っていた。
蟻って凄い。
私は、蟻の巣の一員になれない。
所詮、私は偽物の仲間だ。
本当は、誰とも繋がっていない。
一人も、“集団”も、辛いのだ。
六年生になったら。
一年生の面倒をみろ、と先生に言われた。
何だか知らないけれど、一年生から懐かれた。
誰かに求められるのは、悪くはないな、と思って。
親身に世話を焼いた。
そしたら一年生は、段々ワガママになっていった。
付き合いきれなくなって。
「バイバイ」と手を振って、私から別れた。
それっきり。
一度振り返って去ってく、野良猫みたいに。
二度と、その子と会う事は無かった。
人と人が一緒に居る為には。
きっと、適切な距離が必要なんだと思った。
・・・・中学生になったら、何か変わるかもしれない。
淡い期待を抱いて入学したけれど。
そう簡単に、変わる物では無かった。
部活に入れと先生が言うので入ったが、馴染めなくて部活を辞めた。
そしたら、いつもは話し掛けても来ないくせに。
「どうして勝手に辞めたの」って部活のメンバーに詰め寄られた。
「そういう相談、できる雰囲気じゃなかったよね?」って言い返したら。
私の悪口を言ってた子達が、急に黙った。
本当の事を言われると、どうやら頭の中が空っぽになるらしい。
クラスでも居心地の良い場所を見付けられない私は。
度々学校をサボるようになった。
担任の先生から呼び出され「お前みたいな奴には、友達なんかできない」と言われた。
私は、泣いた。
どうして泣いたのか、私には分かっている。
それが、本当の事だと思ったから。
本当の事を言われると、私の頭も真っ白になる。
それから私は。
苦肉の策として。
好きな自転車に乗って、図書館に通う事にした。
端的に言うと、逃げたのだけれど。
慣れてくると、大人の声真似で、学校に休みの電話を入れるのも、お手の物。
図書館では、皆が静かに本を読んでいる。
見知らぬ人達なのに、皆が同じ目的で来ていて。
集団のようであり、集団ではない。
この距離感が、心地良いと思った。
朝から夕方まで、本を読んでいても、司書さんは何も言わない。
私は制服のまま、堂々と本を読み耽った。
よく学校をサボる私の成績は、最下位を彷徨ったが。
国語だけは、いつも学年一位だった。
成績の良い子に呼び止められ「どうやったら、そんなに国語の成績が良くなるの?」って尋ねられても、上手く答えられなかった。
学校をサボって図書館に行くといいよ。
そんな答えはきっと、期待していないだろうから。
廊下で担任が「あんな奴が何で」と言っているのを聞いた。
そしたら、担任の近くに居たクラスメイトが。
「“あんな奴”、って言い方は無いんじゃないですか?」って、ボソリと言った。
担任は苦笑いして去って行った。
辺りは、しん、となった。
その子は別に“友達”じゃない。
普段、話しもしない。
だけど。
何だかちょっと、ホッとした。
私には、丁度良い距離感。
集団ではないけど、ちゃんと私は集団の中に居る。
だから私は今日も。
自転車で疾走中。
一人、図書館へ向かう。
空はこんなに晴れているのに、誰一人青空を見上げようとしない。
勿体ない。
まるで人の意識を地上に戻す装置のように、張り巡らされた黒い電線。
学校みたいだ。
窮屈で。
無遠慮に。
人の行動を制限し、一ヵ所に押し留めようとする。
負けるもんか。
私は今、箱の中に閉じ込められた象。
いつか箱をぶち破って。
今度こそ、自分らしく生きてみよう。
例え他人とは違っても。
それで良いと思えるくらい。
大きな自分でいたいから。
私は勢い良く、ペダルをこいだ。
人との距離感を難しいと感じたり。
友達が、なかなかできなかったり。
自分が思うように日常は進まないし。
自分は、人より劣っている気がする・・・。
学校が好きだと言う人が、羨ましい。
だけど、楽しめない人だっている訳で。
その中で、必死に藻掻いて、頑張っている。
その日々は、無駄では無かったと思いたい。




