327話 月の歌(5) 〜小さな夜の月の歌〜
「ソラ兄!? いやっ、やめてよトーチ! なんでこんなことを―――」
「なんでって、、君を守るためだよ? 変なことを聞くんだね、ツキカ。でももう大丈夫だよ。この男で最後だから―――」
その言葉にハッとしてあたりを見渡すツキカ。そこで初めて今の穴蔵の地獄絵図を知った。辺り一面、所狭しと敷き詰められた皆の死体。その隙間を埋めるように波打つ血の海―――。この世に地獄があるならそれはきっとここだと思えるような、、ツキカは「うっぷ、、」とこみ上げてきた不快感に思わず体内のものをすべて吐き出す。ズキンズキンと頭が痛かった。その凄惨な状況を見ているだけで脳が焼ききれそうで、目をほじくり返して捨ててしまいたいという衝動にかられる。そんなツキカを慌ててなだめるのはアネモネ。その肩をゆすり、震えている手を握って温める。そんな二人を横目にトーチとソラが向かい合っていた。
「か、勘違いだトーチくん! 僕らは君たちを殺そうだの―――」
「嘘だっ! ならあなたが用意していたあれは何だって言うのかな? あれは、、武器だ―――」
「それはっ、、」
ソラはトーチの剣幕に言葉が出なかった。剣を握る手がプルプルと後悔に震える。そう、あの時、血に濡れた短剣を握ったトーチが穴蔵に駆け込んできたあの瞬間、祭りの準備をしてさえいなければ......豊穣の宴のために鎌や鍬を手入れなんてしていなければ―――。
村の者達がトーチとツキカを殺そうとしている―――そんな情報を聞いて洞窟に駆け込んできたトーチが目にしたものは手入れされた鎌や鍬だった。それは豊穣の宴で飾るために手入れされていたものだったのだが、“殺される”と疑念を持って駆け込んできたトーチの目には当然武器に映る。そうなればトーチが次に取る行動も当然、殺戮だった。
門番は暗殺したが、ここまでの人数は流石に暗殺とはいかない。ギリッと唇を噛み締めトーチは魔術を詠唱する。次の瞬間、引き起こした風の太刀が状況を飲み込めずボーッとしていた村人を簡単に斬り裂いていく。その血をみてソラが悲痛な声を上げるがもう遅かった。
「……殺してやるっ! 僕の、僕とツキカの平穏を乱すなんて許さない―――!」
「誤解している、トーチくん!」
必死でソラはトーチに呼びかけるが、トーチは一切聞く耳を持たない。そんな状況をツキカは震えながら見つめていた。血の海にもう感覚は麻痺しきっている。頭も痛みが限界をを越えたのかボーッと真っ白のまま。
……どうして、、こうなったんだろう、、、
自分の目の前で好きな人と尊敬する人が殺し合っている。そんな凄惨な状況に頭が一切働かない。が、そんな中でもツキカはやはり巫女だ。ふと頭の隅に地下にいる神様の存在が過る。
「そうだ! 神様は―――」
「俺様がどうかしたか? ツキカ―――」
心配そうに声を上げた途端、その声はハッキリと聞こえてきた。いつから居たのか、壁に持たれて腕を組みニヤニヤとこの状況を静観している。その様子に「えっ、、」とツキカは再び思考が停止する。皆を守るはずの神様がどうして黙ってみているのかと。供物も祈りも信仰も捧げたのに、どうして救ってくれないのかと。
だが、フィアロの姿にツキカ以上に驚いていたのはトーチだった。フィアロを見たその顔からみるみる血の気が引いていく。なんせその男は、フィアロはトーチに『村人が貴様らを殺そうとしている』と吹き込んだ張本人なのだから。
それがここに居て、ニヤニヤとこの場を静観している……聡明なトーチが最悪の結論に至るのにさほど時間はかからなかった。
「……ま、さか、、僕を騙したのか......?」
恐る恐る尋ねるトーチ。それをあざ笑うかのようにニヤッと笑みを浮かべたフィアロが絶望を与えるようにゆっくりと頷く。
「ああ、そうだ。……まぁ、今頃気がついても遅いがな―――」
血の海を見渡しフンッと鼻で笑うフィアロ。その通りだった。今更自分のしでかしたことに気がついてもときは戻らない。絶望に染まった目であたりを見渡すも、写るのは無情にも真っ赤な血と凄惨な死体のみ。トーチがその手で殺した99人の村人。つまり、何の罪もない人を殺してしまった―――その罪の意識がトーチに重く重くのしかかってくる。これまでの殺し『任務だ』、『自分の殺しが天帝の役にたっているのだ』と誇りを持てたが、今は違う。トーチが殺したのは敵意など持っていなかったただの村人、それは暗殺ではなくただの“人殺し”だったのだから―――。
「う、、うわあああああぁぁぁあAaawrwjksbdg,dっぐぇvでwm;m!!!」
声にならない絶望にまみれた嗚咽と吐瀉物がその口から漏れる。視界は狭まり、押しつぶされる意識にもう何も考えられなかった。そんなトーチの視界の端にツキカの顔が映る。トーチ以上に絶望し、泣きそうで寂しそうな、信じていたものに裏切られ精神の支柱を折られた......まさに絶望。
その表情にもう......限界だった。トーチは脇目も振らず逃げ出した。もうそこへは居られなかった。これ以上居たら精神が崩壊してしまいそうで、逃げてはいけないと思いながらも足は言うことを聞かない。そんな絶望に苦しむ二人を楽しそうに見つめるフィアロ。
(へぇ......あの変態科学者が悦ぶ”絶望”というものはいいものだな。見ていていい暇つぶしになる、クックック......)
そう、フィアロにとってこれはただの暇つぶしなのだ。トーチを焚き付けてこんな悲惨な事件を起こさせ、それを見て絶望するツキカをただ見たかっただけ。それだけのために皆は死んだ。許せない―――と剣を強く握り締め、ソラがフィアロと向かい合う。その光景にツキカの口からボソッと言葉が漏れた。
「神、様、、、」
「―――神様!? ……神様、、ツキカちゃん......まさか、、、まさかァァ!!」
その言葉を噛みしめるたびに血の気が引いていくソラ。一方でその表情を見てすっかり悦に浸っているのはフィアロだ。クルクルと空中から取り出した槍を回す。その槍から真っ赤な血がヒタヒタと落ちて......
「あ、あああ、、、」
「……貴様のせいだ、人間よ。貴様が“俺様のいた祭壇に女子供を送り込んできた”のでな。てっきり“供物かと思って全員殺してしまったぞ”―――?」
その言葉にギューッと力強く唇を噛みしめるソラ。その口からは血が滴り、剣の柄に強く突き刺した爪は剥がれかけて血に滲む。それでも決して倒れることはなかった。救うために祭壇へ避難させたのが裏目に出た、その指示のせいでもっと人が死んでしまった―――ソラは叫びたくなるような、我を失いそうな絶望の中でも自分を見失わなかった。なぜならその背中に二人の少女を抱えているから。
もしここで自分が引けば、ツキカとアネモネが死ぬことになるだろう。これ以上、自分のせいで何かを失うなんて御免だった。だから、
「―――逃げて、、くれ」
そう告げることしか出来なかった。震える声で、それでも必死で。ツキカだけでも生きてほしかった。これ以上失いたくなかったし、失ってほしくなかった。だがツキカはボーッとしたまま動かない。その様子を背中で感じ取ったソラは最後の勇気を振り絞って叫ぶ。
「僕を置いて逃げるんだ! ツキカちゃん―――!」
その剣幕にビクッと体を震わせたツキカの手が地面の血で滑って転ぶ。その痛みが、生暖かさがツキカを現実へと戻した。そんなツキカの手を引き、アネモネが洞窟の石段へと走る。ツキカも引かれるがまま、フラフラと走る。
「……それでいいんだ、ツキカちゃん......幸せになるんだよ、、僕らの分もね、、」
「くだらないな。貴様の命一つでツキカを救い、それで自分も許されるつもりか?」
「……許されない、さ。僕がしたいと思ったから、助けたいと思ったからこうして死ぬんだよ―――」
「やはり人間は傲慢で、、理解できない生き物なことだ、、」
スッとその手を動かすだけでソラの剣は砕け散り、自分を守る手段を失ったソラの胸にズブリとフィアロの槍が突き刺さる。痛みとともにぐるぐる回る走馬灯、、ソラは自分の体が血の海に浸かるまでのその一瞬に思わず笑みを浮かべる。
(……ごめんね、皆......僕もそっちに行くから......)
バシャッと水しぶきを上げて血の海に崩れ落ちるソラ。その胸に突き刺さった槍を引き抜き、フィアロはふと地上へつながる石段に目をやる。そこにはツキカも、それを引っ張っていったアネモネの姿ももう見えなかった。
「……まあ、今全てを味わわなくてもいいさ。俺様はメインディッシュは最後に取っておく派なんでな」
フィアロはニヤッと笑いその場をあとにする。その結果洞窟に残されたのは地獄と言われても疑わない、凄惨な穴蔵。その後、何も知らないイシュタルの人々はこれを穴蔵の一族の集団自決と呼んだ。
* * * *
逃げ出した外は真っ暗だった。それに、ザーザーと雨が降っている。冷たく寒い夜、必死で逃げるように二人は走った。どれぐらい走っただろうか、疲れ果てたところでドサッと地面に倒れ込むアネモネ。ぜぇ、ぜぇと苦しそうな呼吸をしながらチラッとツキカの方を見上げるとそこに居たのはもう“ツキカ”と呼べるのかわからない少女だった。
(……トーチ、、好きだった、すがっていたあの男に裏切られた絶望、、可哀想なムーちゃん......)
雨の中膝を付き、びしょ濡れで水の滴る髪など気にする素振りもなくぼんやりと真っ暗な空を見上げるツキカ。かつて自分をイジメから救ってくれた強く明るいツキカ・サヨの面影は完全になくなってしまっていた。その悲痛な姿にアネモネは俯く。気の利いた言葉も励ましの言葉も見当たらず、出来ることなんてただ名前を呼ぶだけ。
「ツキカちゃん、、」
「……ねぇ、それは誰のこと?」
「えっ―――」
だが、アネモネが思わず呟いたその名前に対するツキカの反応は首を傾げることだった。遠くで雷鳴がピカッと光り、少女の顔を照らす。その生気を失った顔と瞳。そして、素でかしげる首。
「……誰って、、ムーちゃん、君の名前だよ......?」
「……知らない、、知らない人、そんな人は知らないっ、、」
アネモネの震える言葉に雨の中、ブンブンと必死に首を横に振る少女。その顔を見てアネモネは言葉を失う。冗談ではなく、本気で少女が少女自身のことを分かっていないと理解したから。
それは“記憶喪失”―――というよりかは少女にとって思い出したくない凄惨な記憶と、それに繋がるこれまでの楽しかった思い出を全て封じ込めてしまったのだ。当然アネモネのことも覚えていない。
「……ムーちゃん、、」
その悲痛なつぶやきも雨に音にかき消された。少女は今にも泣きそうなアネモネに恐る恐る手を伸ばし、その震える冷たい体をギュッと抱きしめる。そう、あの花畑でアネモネがツキカにしたのと同じように。おそらくその包容は少女にとっても無意識のものだったのだろう。ギュッとアネモネを抱きしめる少女自身も呆然と自分の行動に驚いていた。でも......それでもその優しい包容にアネモネの目からとめどなく涙が流れる。
「……どうして、泣くの?」
「嬉しいから、かなっ、、今でもムーちゃんがネモちゃんを助けてくれることが嬉しくて、、」
「……嬉しいのに泣くなんて、変なの。それで、そのムーちゃんっていうのは私のこと?」
「嬉しくても泣くんだよ、ムーちゃん。うん、記憶がなくてもムーちゃんはムーちゃんだから、、」
お返しとばかりにその少女の背中に手を伸ばし、アネモネは決心した。イジメられていた自分を救ってくれた......仲良くしてくれた......すべてを与えてくれた“ムーちゃん”を今度は自分が守ろうと。絶望し心をやられ、記憶を失って笑わなくなった少女の側にずっと居続けよう―――と。
「……大丈夫、、だにゃー。ムーちゃんが笑わないならネモちゃんがその分笑ってあげるにゃっ! ムーちゃんの気分が沈んでいるならネモちゃんがその分明るく照らしてあげるにゃー!」
立ち上がり、ニコッと笑うアネモネ。そのわざとらしい口調も空元気も、全て少女に再び笑ってもらうため......今度は自分が少女を守りたかったから。ポカンとアネモネを見上げていた少女だったが、ふとその口元に微笑が浮かぶ。
「……ふふっ、変な喋り方なのね、、」
「ムーちゃん......! ふっふ、これからもネモちゃんがずーっと笑わせてあげるにゃ〜!!」
ただ笑ってくれる―――それがものすごく嬉しかった。
その日、アネモネ・フィリスは自分の一生をこの少女に捧げようと決めた。『レイン・クローバー』、それからそう名乗ることになった黒髪の少女に。
ツキカ・サヨ(小夜月歌)……第138話でレインが記憶の断片を思い出す話のタイトルは、、
ちなみに、アネモネが初登場時からレインのことを『ムーちゃん』と読んでいましたが、その理由はもう簡単ですね。ツキカ―――“月”からです(裏設定)。
* * * * *
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