240話 クトリ・ランズベリー
……分かるよ、アミリー
ボクがそう言ったのには訳がある......。
クトリ・ランズベリーは王国北西部の中流貴族の家の四男として生まれた。クトリには年の離れた兄が3人いる。一番上の兄は政治の才覚を生かして王国政府の官僚を努めている。二番目の兄は顔の良さとトークスキルを生かして王都でナンバーワンホストをしている。三番目の兄は天性の運動スキルの高さを生かして若干12歳ながら騎士団に入団を果たしている。ランズベリー家はいわゆる成功者の一家だった。
そんな中、基本何でも揃っていたランズベリー家に足りなかったものが一つだけあった。それが、女の子だ。政略結婚にも使え、家の身分を高めるためにも重要となる娘が、もしそんな目的に使えなくても家の空気を変えてくれる娘がいなかった。だから、新しく生まれてくる子は女の子を強く望んだ。だが、
「……チッ、また男なのか。まったく貴様は男しか生めんのか!!」
父親は母親を罵倒し激怒。母親は涙を流し、平謝りするだけだった。それはクトリが成長しても続く。
「お父様! お母様! 僕、大好きな二人の絵を描きました!」
幼いクトリが嬉しそうに両親の絵を見せる。決して下手ではなく、才能がある絵。それに子供が親である自分たちの絵を描いてくれたのだ。当然、褒めてもらえて当然だし、クトリだってそう思っていた。だが、現実は残酷だ。
「……絵なんか描いても何にもならん。貴様はもう無価値なのだ。ワシらに顔を見せるな――」
ゴミを見るような見下す目。貴族家の四男の持つ絵を描ける才能、そんなの使い物にならない。政治、名声、武力と全てを兄たちが叶えた今、クトリにかけられる期待など微塵も無く、家を第一に考える父親にとっては何も生産しない無駄な存在、母親にとっては家の和を乱す害悪な存在として思われていた。父親はクトリから無理やり絵を取り上げ、一瞥することもなく暖炉に放り込む。そして見下して一言。
「……貴様などいらんわ、このゴミが」
その言葉にクトリの目からスーッと光が消えていく。絶望に打ちひしがれたクトリはクルッと踵を返すと、トボトボ自分の部屋に戻っていく。
兄3人は王都にいるためクトリはずっと一人ぼっちだった。メイドや使用人はクトリと話すことで父親に睨まれることを恐れたので目も合わせてくれなかった。兄3人もクトリなんていないように扱った。無視は当然、食事すら一緒に取ることを許してもらえなかった。
それは大きくなっても続いた。1年、1年と永遠にも思える長い時が過ぎていく。もちろん一人で。
「……僕、寂しいよ......」
クトリの白い頬が薄桃色に染まり、ツーッと涙が伝う。ただとめどなく流れ、河を作る涙を拭う気力もなかった。もう、何でも良かった。自分は“いらない子”、そう幼い頭でもはっきりと分かる。それならいっそ消えてしまおうか、その時クトリは思った。ナイフを握り、そっと首筋に当てる。このまま少しでも手を動かせば解放される。クトリは不思議な感覚に襲われていた。
(……この子、可愛そうだな......僕が救ってあげなくちゃ、、、)
ナイフをあてているのは自分ではなく、どこかのかわいそうな子供。そのような幻を見るほどクトリは弱っていた。自分自身すらはっきりとわからない。誰からも必要とされなくて、それでも誰かに求められたくて―――だから、クトリは作り出した。明るく自分を肯定する、もう一つの人格を。
ふと、部屋の鏡を見る。そこに映っていたのは泣きながら微笑む“誰か”。ずいぶん長く外出していなかったせいか真っ白な透き通った肌、手入れされなく伸びっぱなしの髪。その顔をじーっと見つめているうちに、クトリの心の中で何かが消えた。ゆっくりと、ナイフを握った手を下ろす。そして代わりに櫛を手にした。母親のものだ。
クトリの住む部屋は物置も兼ねているため使わなくなったものが多く眠っている。その中の一つ、櫛を握ってそっと髪をとく。最初はガシガシ引っかかっていた髪も、何度も何度も繰り返すうちにいつの間にか流れるようなストレート、綺麗になっていた。時間なら腐るほどある。食事ですら忘れられるクトリだ。ただ無心に自分を変えていく。
絵を描いていた事もあって手先が器用で良かった。クトリは自分の髪を可愛く結び、鏡の中にニコっと微笑む。作られた顔はもう輝きを失っていた過去とは違い、明るく微笑み返していた。
「……君、可愛いね。僕と最初に出会ったときとは大違いだよ」
クトリが鏡の中の可愛い誰か、女の子にしか見えないその誰かに微笑み話しかける。鏡の住人はクトリの言葉にニコッと笑い、そして嬉しそうに頬を赤らめた。
「そうかな......ボク、可愛くなれたかな、、、これで振り向いてもらえるかな、、、」
その言葉はクトリの口から漏れていた。そして代わりに鏡の中には目の光を失ったみすぼらしい少年が一人。過去の辛い記憶、コンプレックス、それら要らないもの全てを押し付けられて儚げにこちらを見る死んだ少年。それはクトリが捨てた何か。
クトリは部屋に置かれた要らないものの山、先程まで自分もその一部だった中古品の中から女物の服を取り出す。誰がいつ買ったものなのか、もしかしたら将来生まれてくるはずの娘に着せるものだったのか......分からない。でも、クトリはそっとその服に袖を通す。不思議にもしっくり来る。ふわっと広がるスカートにきっちりしたリボン。サイドに結ばれた黒い髪に笑顔。クトリはドアノブを回し、部屋から出る。
階段をゆっくりと降りてリビングに向かう。扉の向こうでは兄3人も帰ってきていて、今頃一家団欒でもしているのだろう。その中にクトリが含まれていないのはいつものこと。とっくに慣れていた。緊張した面持ちでクトリはゴクリとつばを飲む。
――愛して欲しかった、必要だと言って欲しかった、家族に......なりたかった、、、
震える手をギュッと握り、ゆっくり息を吐く。大丈夫だ、落ち着こう。ランズベリー家が求めていた女の子は今ここにいる――『ボクはここだよ』ってクトリはニコッと笑顔を作る。そして勇気を出し、リビングに一歩足を踏み入れる。最初に気がついたのは正面にいた父親だった。兄3人も母親も、クトリが来たことには気がついても振り向こうとしない。
だが、父親は違った。クトリが今までに見たことのない顔。表情を震わせ、その顔はどこか弱々しく見える。そんな父親に驚いたのか、ついに全員の視線がクトリに集中する。そこに立っていた、可愛い女の子に。
「……ボクだよ? パパ、ママ......お兄ちゃん?」
ガタッと立ち上がり、クトリの座るスペースを作る家族。それは初めて、クトリの8年の人生で初めて家族の輪に入れてもらえた瞬間だった。
(……家族のために......ボクは女の子を演じるんだ)
だがすでにその時、それは演技ですら無かった。愛情に飢えた少年はもう後戻りできなくなっていた。クトリ・ランズベリーは女の子だ――兄に可愛がられ、両親がそばに置いてかわいがってくれる幸せを手に入れた今、嘘であってもその自分を手放せるはずがない。
それは、成長しても一緒だった。
「僕の名前はクトリ。よろしくねっ♪」
聖剣魔術学園に入学した日もクトリはそう挨拶した。男どもからは歓声が上がる。それは当然。初見でクトリを男だと見抜ける人なんているはずがないのだから。
そして結局いつも一緒。生活していく上で必ず性別はバレる。「ごめんね、ボク男なんだ」そう、明かすのはいつものこと。そして、その後でも、
「それでも可愛いよな、クトリちゃん」
「……同性として好きだわ! あっ、私女の子だから異性、、なんだね」
「あっ、俺もうホモでいいよ」
バレても男として扱われることなんて無かった。家でも学校でもどこでも、クトリ・ランズベリーは女の子としての振る舞いをしなければならなかった。なぜならそれしか認めてもらえなかったから。それしか、必要とされていなかったから。……男としてのクトリなんて、誰も見ていなかったから......
――でもね、だから嬉しかったんだ
聖剣魔術学園に入学できるような才能があったクトリは流石は貴族家の子供だ。幼少期から読みふけった魔術の本のおかげか、負け無しの天才として学園でもトップだった。選抜科のトップ、すなわち学園一位。クトリは認められて嬉しかった。だが、その分窮屈さも感じていた。
だから、新人戦で完膚無きまでに叩き潰された時はホッとした。薄桃色の冷たい女の子。かつての自分に似ているな、そう思ったクトリは放課後にA組の教室を覗いてみた。その子は一人、教室でボーッと外を眺めていた。クトリは驚かしてやろう、と悪戯なことを考え、そっと後ろから近づく。だが、
「……クトリ・ランズベリーくん。呼吸を殺しきれていません。見え見えです」
女の子は振り向くと真っ直ぐにクトリを見つめてそう言った。近い......クトリの頬がポッと赤く染まる。
「……君は、、、」
「私は1、いえ、アミリー・クラウスです。ところで何の用なのでしょうか。何か私に用事があるからここへ来たのですよね?」
アミリーは淡々と名乗る。だがいたずらをしようと興味本位で近づいたクトリになにか明確な目的は当然無かった。頭を抱え、目を逸らして「えっと、、、」とはにかんでどうにか誤魔化そうと頭を回転させる。沈黙が流れる放課後の教室。ジーッと待っていたアミリーがおもむろに口を開いてようやくその沈黙が破られる。
「……では私から一つ。実はあなたに聞きたいことがあったのです。あなたはどうしてそのような格好をしているのですか?」
「アハハ、、、えっ? どうして......?」
最初、その言葉を深く考えず愛想笑いをしていたクトリだったがアミリーの言うことの意味に気がつくとその目を大きく見開く。初めてだった。所見でクトリの性別を言い当てた人はアミリーが初めてだった。
「どうして分かったのか、ですか? 簡単です。私は古い癖で、戦闘時に一瞬で相手を観察します。どこが弱点か、どこに重心を寄せているか、どこか不調なところはないか、などです」
懐かしいものを思い出すように語るアミリー。そしてクトリをビシッと指差し、アミリーは言った。
「そうすれば簡単にわかりますよ。女の子にしてはあなたは出るとこが出て無くて、出ていない所が出ているのですから――」
恥じらうこと無くそうはっきり言い切るアミリー。逆に赤面したクトリが無意識に胸を隠し、スカートをギュッと握る始末。でも、嬉しかった。笑みが溢れる。……男だと気づいてくれて、それで気づいても何も変わらず接してくれることが。アミリーがただ人に興味がないだけかもしれない。それでも、アミリーといたら偽らない自分だとしても受け入れてくれる、それなら随分と気が楽だ――クトリはそう思った。
この人と仲良くなりたい......傍に居られたら何か変わるかも知れない――クトリはいつものような飾った笑顔を、明るいクトリ・ランズベリーの笑顔を作る。
「あっ、そうそう♪ ってことでボク、生徒会に入ったんだ。アミリーと一緒だね♪」
「そうですね。よろしくおねがいします」
ペコっと頭を下げるアミリー。誰にも認められなくて、誰からも必要とされなかった人生......それでも今、この子だけは素の自分でも気にせず受け入れてくれる――
……そんな君だからボクは好きになったんだよ?
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