170話 リコリスと憎悪
「……よし。とりあえず術式の矛盾はなさそうだ」
アザミがパタンっと呼んでいた魔導書を閉じる。アザミがいるのは王都立魔導図書館。王国中の魔術に関する書や、物語、歴史書が多数所蔵されている国内最大の図書館だ。
(魔界にはこんなとこはなかったからな。もし将来、魔界に復帰することがあればぜひ取り入れたいな、、、)
なんてことを考えながら本を棚に戻し席を立つ。ふと窓の外を見るとすでに日は落ちかけていた。空は赤く染まり、本を読む人より帰る人が目立つようになる。
「……そろそろ帰るか」
無造作に荷物を持ち図書館を後にする。大木を模した図書館からのんびりと出て寮の方向を目指すアザミ。図書館は王都の中心近くにあるので歩きだとまあまあ時間がかかる。
(でも聖剣魔術学園の図書館を超える蔵書数、種類あるのはここしかないからな〜)
それに学園内の図書館は皆使うので目当ての本を得られない可能性もある。それを考えると遠出してでもここに来る価値はあるのだ。
(……帰ったら術式の改良をして、、、明日、、はアーシュとイリスの新人戦を見る約束があるから明後日には誰かにテストしてもらうか。シトラあたりがいいかな? アックも頼んでた下準備はそろそろ終わりそうって言ってたし――)
何気ない帰り道。王都の中心ということもあり人通りは少なくない。だがその中でその声だけははっきりと聞こえた。
「……うふふ。みぃつけた、、、おにーちゃん......」
「――ッ!」
ゾクッと、形容し難い悪寒が全身を駆け巡る。体が動かなかった。だが振り向かないでも分かる。ハァハァと幼い息遣い、異様なプレッシャー。
(間違いなく俺の後ろに、、、誰かいる――!)
気づくとアザミの視界の届くところから人の姿が消えていた。王都の中心に近い街路なのに人がいない。それは魔術以外ありえない。実際、人払の結界をはられていた。つまりここにいるのはアザミと後ろの少女の二人っきりということ。
「ねえねえおにーちゃん。どこ行ってたの?」
「……俺の妹はシトラだけだ。他にはいないはずだが、、、」
「シトラ? ねえ、それっておにーちゃんとどんなかんけい? ニーナよりだいじなひと?」
「――! ニーナってまさか、、、」
少女の言葉に何とか返事をしていたアザミの脳裏にリコリスの言葉が蘇る。『出会っても決して戦わないで』と。その相手がまさかこんな早く、こんなところで接触してくるとはアザミも思ってすらいなかった。
「……そうだよ、おにーちゃん。憎悪の魔王、ニーナだよ? でもよかった。おにーちゃん、ニーナのことしってくれてたんだね! フフッ、よかった。あのとしょかんからでてきたのがおにーちゃんひとりで......」
矢継ぎ早にニーナが喋る。アザミはゴクリとつばを飲み込む。何も言えず、何も出来ない。そんなアザミにコロコロとニーナは笑う。
「――もしおにーちゃんのとなりにだれかいたら、、、殺してるとこだったから――」
急にヒヤッとニーナの言葉の温度が下がる。心臓をキュッと掴まれたような感覚。アザミの呼吸が一瞬止まる。魔眼を使わなくても分かった。ニーナの言っていることは本気だと。
「……質問、、いいか?」
「いいよ、おにーちゃん。ニーナのぜんぶをね、しってほしいから......」
「どうしてお前は俺を兄と呼ぶ? いや、他の魔王は“父”と呼ぶのに、と思ってな......」
時間稼ぎを狙ってアザミが質問する。話をして時間を引き伸ばす。そしていつか現れるかも知れない隙に賭ける。今、この場から逃げるためにはそれしか無かった。
「……だってね、おにーちゃんならニーナがいちばんになれるからだよ? おとうさんにはおかあさん、いちばんだいじなひとがいるでしょ? だから、ニーナがいちばんになれないじゃない。……でもおにーちゃんはちがう。おにーちゃんのいちばんはまだあいてるの。ね? おにーちゃん?」
突然、冷たい手がアザミの腕を掴みグイッと力強く引っ張る。その力に為す術なく振り向かされるアザミ。ニーナと目が合う。
エイドやクレアより小さい身長。身にまとっているのはボロ布1枚。赤い髪を三編みにして懐っこくゆらゆらと揺れる少女。異様に見開かれた金色の瞳がアザミを捉えて離さない。
「……ッ! な、なにをするんだ――!」
「うふふ、おにーちゃんつかまえたぁ、、、もうにどとはなさないから。だめだよ、おにーちゃん。もうおにーちゃんはニーナのものなんだから――」
うふふと爛々と輝く目でアザミを見上げる。ゆっくりと、ニーナの手がアザミに伸びる。
「――ッ! クソッ、お前らが何を狙っているのかは知らないが、、、そう簡単に思いどおりにはならないぞ――」
ニーナの手をパチンッと払い、呆然とするニーナの脇を身軽に走り抜ける。あの場所に、ニーナの前にあれ以上居たらどこかおかしくなってしまうような気がしたから。多少の無茶は覚悟で走る。だがアザミの想定に反してニーナが追ってくるということはなかった。
「……ひどいよ、おにーちゃん......。ニーナのこと、きらいになった? いやだ、、イヤダイヤダ嫌だ――! そんなわけ、、ないよね? おにーちゃんのいちばんはニーナだもん。……アッハハハッ、、、そっか〜、おにーちゃん、ニーナいがいのおんなにだまされてるんだね♪ それならだいじょうぶよ、、、」
ただドンッと力強くニーナが壁を殴る。人の力ではありえない、まるで粉砕でもしたかのように壁がボロっと崩れる。その砂礫を拾い上げ、またサーッと落とす。
「……おにーちゃんをだますわるいおんなは、、こうだから――」
キヒッと口角を上げて笑うニーナ。アザミを追いかけることはせず、代わりにゆっくりと歩みを進める。その足が向かう方向には聖剣魔術学園があった。
「まってて、おにーちゃん。ニーナがたすけてあげるから......。それでね、ぜーんぶ、、、ニーナとおにーちゃんいがいみんなきえたら、、、」
幸せそうに、ギュッと胸の前で両手を組む。眼を閉じ、想像する。ニーナとアザミ以外、存在しない世界......。作り方なんて、簡単。邪魔する者を皆殺しにした後、ふたりで死ねばいい。
「……今度こそ一緒に過ごそうね? おにーちゃん、、、」
月明かりの下、暗闇の中でニーナの眼が爛々と燃える。
「……はぁ、はぁ、、、撒いた、、か?」
路地裏、塀ブロックにもたれかかりアザミは肩で息をする。全力で走ったことより精神的なプレッシャーから来る疲労のほうが強かった。魔術を使えばもっと楽に逃げられたかも知れない。だが、魔術は必ず足がつく。その痕跡を追ってこられたりでもしたら、、、ひとまずニーナの目が届かないところに逃げられたことに体中からドッと力が抜ける。
(……これでよかった、、、んだよな? 戦ってないし、、手も出していない......。リコリスの言葉通り向こうから、ニーナの方から接触してきたのには驚いたが、もう顔も覚えた。これで――)
「どうにもならない、よ。残念ながらあの子の顔を知ったところで何の意味もない、、、」
突然かけられた声にアザミが慌てて声のする方を振り向く。そこにストっと降り立ったのはリコリスだった。
「……その様子じゃ、、ニーナに会ったんだね......クソッ、間に合わなかったか――」
アザミの疲労困憊の姿を見て状況を悟ったリコリスは悔しそうにチッと舌打ちをする。そんなリコリスにアザミが質問する。
「どうなってんだ? リコリスが言ってたようにニーナの方から俺に接触してきた。それも、殺すとかじゃなくて、何ていうか、、、」
上手く言葉にならない。アザミは身振り手振りで何とか伝えようとするも出来ず、困ったように頭を掻く。
「――そう......。やっぱりニーナはニーナなのね、、、分かった。私ももっと注意してみるよ」
そう言ってリコリスが「帰りましょ」と言いクルッと身を翻す。
「お前は、、、どこまで知っているんだ。ニーナとお前の間に何があるんだ――?」
アザミの質問にリコリスが立ち止まる。だが、答えは返って来なかった。帰って来たのはただ、一言。
「……ごめんなさい」
それだけ呟いて、再びリコリスは歩き始める。握りしめた拳がブルブルと震えていた。
(……きっとあの子、、ニーナは――)
リコリスのみがすべてを分かっていた。この先起こる出来事も、それによってアザミが傷つくであろうことも容易に想像できた。でも、リコリス自身が蒔いた種なのにアザミに、他の人に頼るなんて出来なかった。自分ひとりでもなんとかする......。そう、決めたはずだったのに、、、
(今夜、、私は間に合わなかったッ、、、ニーナの気分次第では今ここにアザミはいなかったかもしれないのに……)
悔しかった。弱い自分の象徴だったはずのニーナに大切なものを奪われそうになったことが。
「……私は、、、」
どっちつかずの自分が、、嫌いだ――。
あのときの自分の選択は何だったのか。リコリスの脳裏をふと数ヶ月前、夏の記憶がよぎる。
『……本当にいいのだな。貴様のその感情、“憎悪”を取り去ってしまっても。その感情が貴様をここまで生かしてきたのではなかったのか?』
研究者、白衣を着た男たちがベッドの上に横たわるリコリスに確認を取る。ふぅ、と息を吐き頷く。
『……これがあると居心地が悪い、、、これはすべてを欲する私、“強欲”が唯一拒絶した感情だよ......』
そう言ってだらんと右腕の力を抜く。そこに細い針をプスッと刺さり、真っ赤な血が管を通って容器に溜まっていく。
(ごめんね、、、私のワガママに巻き込んで、、、)
力なく微笑み、隣に横たわっている赤毛の少女の名を呼ぶ。
『ニーナ……』
返事はない。リコリスから採取した血を、男たちが少女に飲ませる。そして余った血でニーナの周りに魔法陣を描き、そっと赤黒い塊を添える。
『――さあ、目醒めるがいい――!』
魔王シスルの聖遺物を核に七罪の使徒を錬成したのと同様に、リコリスの血と誰かの心臓を核に、男たちがニーナ、生前そういう名前だった少女の死体に魂を宿らせる。
『――ここは、、、どこ?』
眩しい閃光が部屋を満たした後、ベッドの上に起き上がったニーナが無表情で首を傾げる。それを見て白衣の男が嬉しそうに口角を上げ、両手を広げる。
『すばらしい! 成功だよ、リコリスくん。君の憎悪の感情はこの子に移された! 新しい魔王の誕生、8人目の魔王だ、、キヒヒヒ......! おっと忘れてたよ。ここはね、魔界の研究施設、通称“S S D《魔界立魔王研究所》”だよ。君は今日から“憎悪”の二つ名を与えられたのだよ、ニーナ嬢――!』
白衣の男の言葉をニーナは黙って聞いていた。最初は戸惑ってウロウロとしていた視線も無感情でボーッとしたものへと変わっていた。そしておもむろにボソッと呟く。
『おにーちゃん、、、、待っててね......』
リコリスの全身を悪寒が駆け巡った。自分の憎悪、リコリスから切り離した感情とは言え、思わず畏怖してしまう。
(この後“憎悪”、いやニーナはしばらく研究施設で体をいじられ、いつかは実戦に投入される。私達七罪の使徒はこいつら研究員にとっては所詮自分たちが作り出した人形だもの、、、)
(……私が切り離した、、、身勝手にも捨てたいと願った憎悪の感情。それが今、人界に牙を向いている、、、。確かに、魔界からしたら魔王シスルを殺せるのならそれもいいとするだろう。想定より早くても、今のニーナなら王都ですら壊滅させることが出来る......でも――)
チラリと隣を歩くアザミの顔を見上げる。ニーナと対峙した後だというのに、もう落ち着きを取り戻していた。きっと今頃少ない情報の中、ニーナを何とかする方法でも考えているのだろうな、とリコリスは思う。
(――でも、それは私の望む道じゃないから、、、)
七罪の使徒の一員として、魔王リコリスとして、アザミや王都を守るのは理念に反した行動だ。でも、ただのリコリスとしてはそれが最善だと、そう思う。魔王シスルと決着をつけるのは自分でありたいと強く思う。
だから、自分の弱さが招いたこの事態には自分の力で決着をつける。
そう、思ったのだ。
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