最終話 それからの話(2)
「―――騎士様。今よろしいでしょうか」
「ええ、もちろん構いませんよ。何でしょう」
「実は……」
わざわざ足を止め、彼女はその兵士の話を真剣な眼差しで聞く。そして、幾つかの助言や意見をしっかりと返すのだった。円卓の騎士だからって驕ることの無い、凛とした様。
「……なんでしょうか、スイ。さっきからニヤニヤと、馬鹿にされている感じを覚えるのですが」
「やだなぁ、レン。馬鹿にされてるじゃなくて、実際にしてるんだよ。クスクス、念願叶った円卓の騎士って肩書に緊張してるレンは可愛いなぁってね」
「ぐっ……! あなたは本当に変わりませんよね。その性格、直した方がいいですよ」
「生憎。100万年仕込みの熟成されたスイちゃんはもう手遅れだと思うんだよね。まっ、だから早いこと慣れてよ」
それはとんでもない暴論である。だが、スイが言うなら何故か仕方がないとなってしまう妙な説得力があった。何だろう。真面目に取り合うだけ無駄というか、何と言うか。
「いいえ。言っておきますが私が円卓の騎士になった以上、規律違反はしっかり取り締まりますからね」
「えぇ!? ちょっと、それはつまんないよ! ほら、適度にさぼるのも息を抜くのも大切だよね?」
「あなたの場合は度が過ぎているんです。シトラ様もどうしてこのような方を副官にして、しかも放置されているのか」
それでも、真面目に取り合うのがレンヒルト・ノルニスという少女だ。まるでクラスのお調子者を注意する学級委員長みたい。真面目が取り柄であり、そして不器用な欠点でもある。
そんなレンヒルトは今や、念願叶って円卓の騎士となっていた。5年前はまだ新人であり、つまり次でようやく7年目を迎える。騎士団で7年も続けば、物騒な時代ならベテランを名乗れていた。だが平和な今は、それも珍しくない。
とはいえ7年目で円卓に名を連ねるのは、結構なスピード出世である。アザミやシトラのように入団前から逸話を持つ存在ならばまだしも、聖剣魔術学園の首席とはいえ一般の少女がこうも早く円卓に就くとは。それだけ期待されている、ということなのだろう。現にあの戦いの頃から世界魔法に同行したり、普通じゃ出来ない経験を積んでいるのだから。
「まぁ、やっぱレンに円卓なんて御立派な肩書は似合わないけどさ。でも、おめでと。夢が叶ってよかったじゃん」
「……ありがとうございます。とりあえずひとつ、目標は達成できましたよ」
「次の目標は? やっぱり騎士団長?」
「ええ、そうですね。やはり騎士団にいる以上、目指すべき最高到達点ですから」
そう語るレンヒルトの眼差しは本気だった。本当に超が付くほど真面目な少女だ。がむしゃらに、ひたすらに追うべきものを追いかける。「立派だね」とスイは肩をすくめた。多分いつかきっと、彼女はその目指す高みへも辿り着いてしまうのだろう。そう確信できるほど、この少女だけはきっと夢をあきらめずただ努力できる人間だと信じられるから。
「……ようやくここまで辿り着きました。円卓の騎士に名を連ねて、やっと騎士団の主力と呼ばれる位置まで来たのです。やっと……あなたと並べたと、そう思ったのに」
そんなスイを前に、レンヒルトはギューッと手のひらに爪を食い込ませる。
彼女が追いかけていたのは夢だけじゃない。同期の、新人同期組の中で一番強くて一番自由で、だからこそずっと憧れていた少女に追いつくためでもあった。共に戦うためには、その場所まで辿り着かなくちゃいけない。肩を並べるには立つ場所を合わせなきゃいけない。
「それなのに、あなたは騎士団を去るのですね」
やっと追いついたと思った。でも、それは一瞬の夢。手が届いたと思ったら、それはするりと指先を躱して消えてしまった。
そんなレンヒルトの想いに、「仕方ないよ」とスイはそれでも若干申し訳なさそうに唇を噛む。
「私はシトラお姉ちゃんの副官。それ以上にも、以下にもなるつもりは無かった。だってそもそも私が騎士団に入ったのは利用するためであって、世界魔法に近づくためであって、セイラムのためでしか無いんだよ。なわけでそもそも未練が無いって言うか、まぁだから世界を救ったあの日にすぐやめてしまおうと思ったんだけどね……」
レンヒルトと違って立派な目標があるわけでもない。目指すべき高みがあるわけでも、叶えたい理想があるわけでもない。でも、だから騎士団を辞めようとした彼女をシトラが引き留めた。
「……私にはまだスイちゃんが必要です、だってさ。そう言われちゃったら、私弱いんだよ」
誰かに必要とされること。それが何よりの力になるのは、神代兵器だったゆえの本能みたいなものなのだろうか。戦場にしか生きられなくても、世界を守るための兵器でしか無かったとしても、その生き方のおかげで掬われる者たちがいるならば……まあいいかって思えた。必要とされている自覚があったから、それが残酷な生き方であったとしても受け入れられた。
そんなわけでスイはシトラの副官として、あの日から5年。共に世界の復興に尽くして来た。セイラム・アガトレイヌは消えて、もうこの世界にとどまる理由は無いのだけれど。でも、きっとここで半端に投げ出して勝手に終わってしまったら、天国で皆に怒られてしまいそうだなって。そう思ったから。
「だから、辞めるの。シトラお姉ちゃんがいないならもう、私にとって騎士団は居場所じゃないからね」
「そうですか」
「うん。だからさようならだね、レン。いやぁ寂しくなるなぁ。レンを揶揄うこともこれから出来なくなるんでしょ? ひとりで、まだまだ残ったこの時間をどう使えばいいのやら。旅でもしようかな。新しい世界を見て回るのも悪くないし、それが終わったら天上の色々な世界を遊学するのもいいね。まだまだ新しいこと、知れそうだしさ」
アハハと笑いながら、楽しそうに未来の展望を語るスイ。そんな早口で長々語る彼女を、レンヒルトはジッと見つめていた。
「……なにかな」
「……いえ。本当にもう騎士団に残るつもりは無いのだな、と思いまして」
「もちろん。だってもういる意味無いしさ」
両手を広げ、そうあっけらかんに語るスイ。けれどまだ、レンヒルトはその眼を真っ直ぐ見つめ続ける。
ああ、そうか。そういえばそうだった。彼女は、はぁーっと小さく息を吐いた。
「……嘘、ですよね」
「何言ってんのさ、レン。確かに私は嘘吐きだけど、これは本当―――」
「―――ではどうして、そんなにも辛そうなのですか」
その眼を真っ直ぐに見つめて離さない、逃がさないままレンヒルトの言葉は深くスイの胸に突き刺さった。「な、に言って……」と言い返そうとして、けれど喉が渇いて言葉が出てこなかった。
そんなスイに、レンヒルトはおもむろに懐から手鏡を取り出して彼女に見せつけた。そこに映る、言葉の異性とは裏腹にギューッと何かを我慢しているみたいな、スイの顔を。
「……寂しいのですよね。あなたの居場所が、居心地のいい場所が次々に消えていくから苦しいのですよね」
「違うっ……! 私は、私はそんなんじゃない! 知った風な口きかないでよ、レン」
必死になって否定する。けれど、そうすればそうするほど胸が痛くなるのはどうしてなんだろう。
「……違いませんよ。あなたは引き留めて欲しいんです。言葉が欲しいんです。そうでしょう?」
「っ―――! ちが、うもん。私は……私、は……ずっと独りだった。だから今更、寂しくなんて無いっ……!」
「いいえ。だからこそ寂しいんです。ずっと独りの中、あなたは見つけてしまったから。心を許せて、楽しくあることが出来る居場所を。それなのに再会した大切な人は消え、そしてその居場所すら消えようとしている。……だから必死に、手放したくないって足掻いているのですよね」
真面目なレンヒルトだからこそ分かる。いつ、どこにでも居場所を作ることの出来る人種ではなく、不器用で、人とうまく関われない彼女だからこそ理解できる。やっと手に入れた居場所を失ってしまう恐怖を。それを手放したくないと必死になる思いも、その気持ちも痛いほど分かった。
だから、レンヒルトはスイにそっとその手を伸ばした。
「私の副官になりませんか?」
そして、そう真っ直ぐに勧誘する。変に回りくどくしたり、予防線を張るやり方は得意じゃない。ただ真っ直ぐ、純粋に伝えたいことを言う方が性に合っていたから。
「……馬鹿、じゃないのかな。私がレンの、しかも副官? 最強の神代兵器も舐められたものだね」
「では円卓の騎士がいいですか? でも生憎、私じゃ推薦できるほど影響力がありませんので」
「舐めないで。円卓の騎士にならないかって誘いならもう何度も受けてるんだよ」
そう言って、スイはレンヒルトの差し出した手をパチンとはたいた。まったく、神代兵器を自身の副官にしようだなんてとんだ傲慢だ。
「……では、円卓の騎士になりますか?」
「なるわけないでしょ。そんなのになるくらいなら、私はレンの副官になってやるよ」
そう言ってニヤリと笑い、スイはあらためてその手をレンヒルトに差し出した。円卓の座にはこれっぽっちも興味が無い。そんなところにしがみつくつもりは無いし、なったって面白いことは無いだろう。
「……ホント、勝手な人です」
「それを分かって勧誘したんでしょ。レンも、いい性格してるよホントに」
「あなたほどでは無いですけどね」
「うっせ」
握手の順序とか、そんな小さなことにこだわるあたりが本当にスイらしい。でも、そんなスイだからこそレンヒルトはまだ共に居たいと望んだのだ。
(キャロルも騎士団を辞め、ローゼンも行方不明。……ふふっ。居場所に固執しているのは私も同じなのでしょうね)
つまるところ、共依存だ。スイが居場所に拘っていたように、レンヒルトも新人同期組というかつての繋がりを未だ忘れられない。そんな不器用同士のふたりはこれからも共にあり続けるのだろう。
その結末がどうなるか。分からないはずじゃないだろうに。
「……ところで、いいのですか? スイ、先ほど‟シトラ様の副官以上にも以下にもならない”と言っていましたが」
「あー……うん。いいんだよ。私にとってレンの副官やるってことは、そのどっちでも無いからさ」
「というと、私の副官になることとシトラ様の副官であることはスイの中で同じくらいの価値が―――」
「―――あぁもうっ! それ以上言うな! はいっ、この話は終わり!」
セイラムが見ていたら、他の神代兵器たちが見ていたらどう思うのだろうか。驚くのだろうか。それとも、微笑ましいなとニヤニヤ受け入れるのだろうか。
そこには神代兵器最強として鳴らした少女の威厳はどこにも無かった。ただの、同年代の二人の若き乙女の姿でしかない。楽しそうに、きっとこういう関係を友人とか、親友とかって呼ぶのだろう。
だとしたら、スイにとってレンヒルトは生まれて初めての友と呼べる存在である。
そりゃあ、彼女のことも手放したく無くなるわけだ。
円卓の面々、騎士団の人たちだけじゃない。
「……完成したのですか? 旦那様」
「あぁ、何とかね。まったくアザミくんもとんでもない依頼をしてくれたものだよ」
徹夜明けの重たい体を起こしながら、トーチ・キールシュタットは大きく伸びをする。あれから6年ほど、か。研究に研究を重ねて、ようやくここまでやって来た。
「神代の技術―――だっけ? それを現代の技術で再現しろだなんて無茶苦茶な。けれど、まぁ学問としては単純に楽しかったよ」
そう言えるのはさすが、歩く魔導書と呼ばれるほど知識の探究に没頭したトーチだ。きっと彼の開発したその技術によって、この世界のレベルは数段階上がることだろう。紛れもなく、彼もまた歴史に名を遺す偉人であった。
王城。王家の者が住まうその場所に、不釣り合いな少女はいた。
「……なんで住み着いてんのよ、あなた」
「いいじゃん。部屋いっぱいあるしさ」
「そういう問題じゃ……」
腕を組み、呆れた顔のシャーロットの視線の先でゴロゴロしていたのはフロウ。フロウヴァナ・フォン・ノーツフェルト、またの名を勇者フローラルとかつて呼ばれたもうひとりの勇者様である。
それが、どうしてか王城でゴロゴロ自堕落な生活を送っていた。
「それにあなた、確か不老不死はもういいって言ってなかったっけ? めっちゃそのまま生きてるわよね」
「そんなことを言った記憶は無いなぁ。言ってたとしても、まぁ私けっこう適当なタイプだし」
「それはよく分かってるわよ。で? 戻るけど、なんで住み着いてんの。腐っても勇者でしょあなた」
しかも、王族を守り王族のために剣を振るう立場の勇者である。それがどこをどう間違えたら、守るべき王城でごろごろ転がりながらお菓子を貪り食うようになるのだろうか。
「……反動」
「反動?」
「そう。勇者だった反動。平和な世界じゃもう、勇者なんて必要ないんだよ~。ゆえに廃業だね」
そんなことを平気で言って、フロウはぴょーんとベッドにダイブした。一応は客室なのだが、もうすっかり彼女の自室みたいな扱いをされていた。
そんなしわくちゃのシーツにくるまるフロウに、シャーロットはそれはもう深いため息を吐く。
「……答えになって無いんだけど」
だがしかし、フロウにはこれ以上何を言ったって無駄な気がした。結局は何だかんだ王城に住み着いて自堕落を楽しむのだろうし、そしてきっとシャーロットもフリュイもそれを許してしまうのだろう。
だから、シャーロットは彼女のことを諦めることにした。……どうせこのお菓子代も清掃するのもシャーロットの預かり知るところじゃ無いし。なんて、最低な思考。
完結まであと‟3”話。