1359話 世界存亡戦(17) ~必死~
アザミとシトラとの間に話し合いなど無い。そんなもの、この乱戦混戦の中でやっている余裕など無いし。
だからシトラは別に、アザミの策に乗っかって動いているわけじゃ無いし、こう動いてくれと言われたから動いているということも無い。彼女は「アザミならこうするだろうな」という想定の下で動いているし、アザミはアザミで「シトラならこうするだろう」という漠然とした信頼でしかない。
(だけど、大抵それで上手くいくんだよな。お互いの手の内の全てとまではいかないけど、こういう場面でどう動いてくるかぐらいなら分かりやすいからな、シトラは)
つまり単純……と、その先は言わないでおこう。
古くは魔王と勇者として、敵として戦場で剣を交えた関係だから。お互いに、どんな攻め方をしてきてどんな手を得意としているのかは当然のように把握している。そして転生し味方になって、一度はともに世界を救ったのだ。どういう考えをしていて、どんな信念で剣を振るっているのか。それも分かるようになった今、特に話し合いなんてしなくても動きを合わせるぐらいならば余裕だった。
シトラならこうするだろう―――という根拠のない想定。それに合わせてアザミが支援をしているのだ。自らも天属性魔術を使って前に立ちながら、支える場面はしっかりと。戦いつつ支援もしつつという器用な動き。こういうところが‟万能の使い手”と評される所以なのだろう。
だから、実際にシトラが何をするのかは知らない。アザミはただ道を作ってやるだけ。そこを走るのか歩くのか、はたまた壊すのかはシトラの自由に任せている。
(……まあ、そこが一番難しいんだけどな。あいつのやることは毎回奇想天外で予想出来ないし)
それもあってアザミから「こうしてくれ」と言っていないのだ。それこそ、確証を掴んで何らかの策を実行するとかでもない限りは。そういう時はシトラに頼み通り動いてもらうが、こういう戦場じゃシトラの独断に任せる方がいいと知っているから。あの人間を卒業した滅茶苦茶な少女を常識的な作戦で縛る方が勿体ない。ならば、好き勝手に無茶をしてもらった方がいいだろう。その方がきっと戦果も期待できる。
(その反面、毎度驚かされるしハラハラするし、心配はさせられるんだけどさ)
そこは毎回心臓が持たないというか、何というか。そこだけが困る点だ。まあ、想像に収まるシトラというのもそれはそれで気味悪いし……。
「さて、ここからは任せたぞ」
ゾルディナの利き腕は吹き飛ばした。これで近接戦闘を得意とするシトラにとって、その懐に再度潜り込みやすくなっただろう。アザミの役目は一旦そこまで。ここからどう動くのかはシトラのみが知っている。
そんな、軽く一息だけついたアザミの敷いたレールの上を走りながら、シトラはギュッと聖剣フィルヒナートの柄を握り締めた。それをチラッと視界の隅に捉えたゾルディナ。
(……氷を司る聖剣か。厄介だな。並みの剣戟ならば我を殺せぬゆえどうでもいいが、凍結させられると面倒だ)
ひゅおぅと白い冷気を纏うその刀身に、スッと目を細める。アザミよりかはシトラを警戒している理由がそこであった。ある程度最適な手、最善手を選んでくるがゆえに読みやすいアザミとは違って、シトラはどこでどういう手を使ってくるかがゾルディナでも読めない。それも理由としてあるが、それ以上に‟氷属性”というのが最も厄介な点である。
(セオリーで考えるならば凍結……我の再生を封じるならばそれが普通だろうな)
剣で斬ってもゾルディナは死なない。絶対の再生で簡単に復活してしまうのもあるし、それ以前に‟人間では神を殺せない”という制約もある。だから、警戒すべきはその氷。
絶対の再生はあくまで‟再生”である。ゆえに、氷によって凍結させられたら再生が阻害されてしまうのだ。傷口を凍らされたら溶かす必要が生じて再生が遅れるし、全身を凍結なんてされたら僅かとはいえまともに動けなくなってしまう。
それはシャーロットも模倣者戦でとった作戦と考え方は同じ。再生は脅威だが、やりようはある。例えば杭を打ち込むのだってそうだ。傷は再生できても、そこに食い込んだ杭は取り除けない。むしろ肉が再生すれば、それが杭をより固く締め付けてその自由を奪うだろう。
(決まりであろうな。あの小娘が狙っているのは我の凍結。そうして自由を奪った中を、アポロンの奴が狙撃する作戦なのだろう)
先の一撃、あの矢でアポロンの位置は把握している。この空間の中で最も、シトラやアザミ以上に警戒すべきが誰かと問われたら迷うまでも無く、それはアポロンとアルテミスである。何故なら、この空間内で彼らは唯一、ゾルディナを殺しうる可能性があるのだから。逆に言えば、そこからの一撃さえ警戒していればまず死という敗北は有り得ない。
つまり、シトラの攻撃もアザミの攻撃も、その狙いは‟いかにしてアポロンから放たれるトドメの一撃に繋げるか”であるはずだ。それさえ念頭に置いておけば、何を仕掛けてくるのかを読むのは簡単だった。……まあ、それでもしかし。
右腕を再生中の、小さな少女の姿。そこに向かうは聖剣フィルヒナートを握ったシトラだ。
その、ゾルディナを捉えて離さない力強い瞳に思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。なぜか……と問われても、その理由は分からない。ただ相手がシトラだったから。何をしてくるか分からない―――そういう点では、スイと同じくらい読めない相手だから、ということは何となく。
凍結。それがシトラの狙いだろう。
十中八九そうだ。けれど普通なら、それは‟100%そう”と言い切れるはずなのだ。10%、20%ほどそこに別の可能性を見てしまうのは……相手がシトラ・ミラヴァードだから。
「氷花っ……!」
だが、その読みはどうやら間違っていなかったらしい。スゥーっと吐く白い息に、刀身を覆う冷気はその証明だ。
ゾルディナは心の中でどこかホッとした安堵を覚えた。そして、思わずフッとその口の隅に笑みをこぼす。
読み通りだ。これならば大丈夫、と。
「‟灼翼は対うこと絶えて”」
そう唱えたゾルディナの、アザミに吹き飛ばされた右腕の傷口から再生する腕の代わりにブワッと赤黒く渦巻く翼が生えた。それはいつもなら背中から伸びていたものだ。しかし、今回は腕から生えている。
(マズいっ―――!)
その光景に思わずハッと息を呑むアザミ。気が付くと立ち上がって、届くはずも無いのに咄嗟と手を伸ばしていた。
背中から出るか、腕に代わって飛び出すか。些細な違いに思うだろうが、実はそうじゃない。シトラやアザミがゾルディナと繰り広げているのは、コンマ一秒が生死を分ける戦いなのだ。だから、その僅かな差が反応の出来る出来ないの境目になったりする。
「死ね―――」
そう告げた冷たい声。次の瞬間、その燃え盛る灼翼はがぶりと……容赦なく、シトラの頭を噛み砕いた。
ブンッと聖剣フィルヒナートは空を切る。ゾルディナに届くことなく、その脇をすり抜けて奥でカランカランと情けない音を鳴らして転がった。
本当ならばゾルディナが反撃に出るよりも前に、シトラの剣が間に合うはずだった。灼翼はギリギリ届かず、聖剣フィルヒナートはゾルディナを凍結させられるはずだった。いつもみたく、灼翼が背中から飛び出していれば、間違いなくそうなっていたであろう。
読みは正しかったのだ。シトラの感覚は間違っちゃいなかった。けれど、アザミの吹き飛ばした傷口を灼翼の噴出口にするというゾルディナの隠し玉、機転が上回ってしまった。
「シトラ……?」
世界がスローモーションに見えて、音が消える。呆然と伸ばした手は当然届くはずも無く、信じがたい目の前の光景に喉がとてつもないスピードでカラカラと渇いていく。
灼翼は、触れただけでそれを灰塵に帰してしまうほどの高エネルギーの塊である。それをまともに食らえば、人間の首ぐらい簡単にもがれて落ちる。いいや、‟落ちる”というよりも‟消える”。燃えて、一瞬のうちに燃え尽きて消えてしまう。
吹き出す血。女の子の体内に、人間の身体にはあれだけの血液があったのかと驚くほどの量が吹き出していた。
それは、生命の凄さを実感すると同時に、そこに生という可能性が無いということ……死という概念を分かりやすく教えてくれていた。
首より上が消し飛んで、剣を握る胴体だけが残ったシトラがふらりと、駆けてきたその勢いのままに前へと傾く。
その血を浴びながら、ゾルディナはにやりと笑みを浮かべた。これでひとり。まだひとり、されどひとりだ。シトラは彼ら世界を守りたい側にとって重要な戦力だろうから。それを削ることが出来たということはつまり、猛獣から牙を奪ったのと同じ。
(我の勝ちだ)
それは、その勝利宣言は過信でも慢心でもなく、揺るがない事実だ。
シトラの最期の一撃は、ゾルディナに命中することなく終わったのだから。
その手を離れて、ゾルディナを外れて飛んで行ったのだから。
「……外れた?」
違和感。何だ、この違和感は。ゾルディナはピクッとその眉を顰めた。
シトラは剣士である。あれだけ大事そうに、それこそ次の一撃は剣を使う―――と宣言するみたく強く握った剣を、首を飛ばされたとて手放すだろうか。
しかも、それは床に落ちたわけじゃない。ゾルディナの脇を抜けて、奥へ飛んで行ったのだ。
それはまるで、シトラが自分からわざとその剣を放り投げた……手放したみたいに。
(―――違う。これじゃない。もっとわかりやすい、根本的な違和感だ)
それも確かに不思議なのだが、それ以上におかしな点があった。一度はスルーしてしまったから、それを今思い出そうとしても分からない。どこだ、どこだその違和感は……。
スローモーションの世界。吹き飛んだどころか消し飛んだシトラの首からは、死は確実というレベルの血が噴き出している。ゆっくりと、走って来た勢いのままに傾くその体。胴体は綺麗なまま残っていた。細い脚も、それでどうやって剣を軽々と振り回していたのだろうなと、筋肉の付き方に感心する細い腕は未だ剣を握ったまま、まるで今にも首を失ったままでゾルディナに斬りかかってきそうなほどだった。
彼女はもう死んだ。シトラ・ミラヴァードの息の根はすでに止まった。
それは事実、現実。少なくともこの光景を見れば、それは紛れもない真実であるはずだ。
それなのに……ドクンドクンと心臓が五月蠅いのは。シトラ・ミラヴァードという少女が、絶対を冠する神様であるゾルディナでさえも分かりかねるほどの想像を超えた存在だったから……なのだろうか。
※今話更新段階でのいいね総数→3815(ありがとうございます!!)




