1335話 長閑なモーニング
「……でも、きっとこの世界はこうなるように進んで来たんだろうね」
振り返って、セイラム・アガトレイヌはそう息を吐いた。天井を見上げ、何かを悟るみたいな調子でそう語った。
もちろんだが、セイラムがあの世界の外側に囚われていた間でこの世界に起こったことに関して、彼は何一つとして知らない。見ていたわけじゃ無いし、それこそついさっき、アザミとスイからこれまでの経緯を聞いて初めて知ったのだ。何があったのか、今この世界がどんな状態にあるのか。
だから、今のセイラムが知り得ている知識はそのあらすじ程度でしかないものと、それから100万年前の神代で起こった、自分自身の思い出だけ。
「そんな気がするよ。神代が滅んだのも、それから神様が滅んで神族だったかな? それが繫栄して、衰して、ついには人類やその他種族が支配される側から支配する側になったことも。そして、そのタイミングで世界が本来あるべき滅びへ向かおうとしていることも……。なんだか運命めいた気がするんだ」
だけど、その二つだけでもそう思ってしまうのだ。「そうか?」と眉を顰めるアザミには分からない感覚だろう。きっと、神代という時代を。この世界が天上にあった―――。その時代を知っているからこその感覚なのだろう。
「……だとすれば、この世界はアンタの言う‟こうなるように”滅ぶべきだって思うか?」
「うーん……そうとは言い切れない、かな。僕も人類のひとりとして、それに100万年前にこの世界で生まれ育った人間として、世界がこの先も続いて欲しいって思うからね。けれど、天上の神様たち……とりわけ、世界の意思と修正力の考えも理解できるんだ。だってきっと今のこの世界は彼らの想定外だろうからさ。本来、滅ぶはずだったのに想定外に続いてしまった。だから、きちんと終止符をもたらしたい。絶対王ゾルディナ様ならそう思うだろうね。それが、王たる者の責任だって。そう思う、だろうね」
「それは……俺も、少し分かるな」
セイラムの考えはきちんと、筋の通ったものだった。アザミの問いに対してそうきっちりと返すことの出来るあたり、やっぱりこの男は評判通りの人物なのだろう。こうしてこの世界に戻って来た経緯に思うところはあれど、その実力は聞いていた以上らしい。
「俺だってひとつの世界を治めたことのある王だ。……確かに、自分の預かり知らないところで国が思っていた方と違う方へ進んでいたら、それは自分の手で止めなきゃって思うだろうな」
それは、アザミも理解できるところだった。ゾルディナ王の語る‟正当な終わり”も、シュツィの望む‟終わり”も分かるのだ。シュツィの事情を知っている身としてはそりゃあ、終わりたいと思うだろうし、ゾルディナ王のそれに関しても元とはいえ同じ王としては否定できない。
現に、魔王からアザミ・ミラヴァードという人間に転生してアザミがやったことは魔界の暴走を止めることだった。シトラと組んで、自分が魔王として治めていた時代から大きく逸脱してしまっていた魔界を止めることだった。自分も同じことをやったのだから、やっぱり個人的には否定することは出来そうにない。
だけど、それでも。
「でも、世界を守るんだよね?」
「……当然だ。理解できるかどうかと、それを認めるかどうかはまた違う話だからな」
だからってすべきことは変わらない。なんせ、今はアザミ・ミラヴァード個人としてではなく、この世界を預かる代理騎士団長として戦場に立つのだから。背負うのは自分の誇りだとか自分の理想だとか、それだけじゃない。この世界のすべてを代表して、その命も未来も預かって戦場に向かうのだ。
「それはよかった。けれど、無理はしちゃいけないよ?」
そんなアザミにセイラムは先輩らしく、優しい笑みを向けながらそんなことを呟く。
「やっぱ、自分の理想だったり信念と異なることをするのはしんどいからね。迷いながら進むのは精神的に良くない。とりわけ、君の場合はリーダーだから弱い所は見せられないんでしょ?」
「……そりゃあ、な。ああでも、そうか。セイラムさんも、昔」
「うん。あの子たちから聞いてる、よね。そうだよ。僕も神代じゃあの子たちに‟戦って欲しくない”って常日語っていながら、結局神代が終わるその時まで、あの子たちを戦場に送り出していた人間だからね」
自分ではそうしたくないと思っていても、大きな力や役割には逆らえない。そんな矛盾によって擦り減らされる心、その辛さはよく知っていた。
「だから、辛くなりそうだったら遠慮せず誰かに頼るんだよ? 僕でもスイでもいいけど、ううん。きっと君にはこの世界に、そんな弱さも認めてくれる大切な仲間がたくさんいるだろうからね」
そう言って、セイラムはアザミの背中を優しくポンッと叩いた。きっとそれが、アザミとセイラムの大きな違いなのだろう。共に頭がよく視野が広く、そして高い望みがありながらそれを叶えられる実力があるせいで、人よりも余計に背負い込んでしまう性格の二人。だけど、片や最後の最後まで誰に頼ることも出来ず……けれどもう片や、幸せなことに温かな仲間に恵まれていた。
だからきっと……アザミなら、あんな結末は迎えることなく。セイラムのように間違えることも、後悔することも無く。
(……君は僕のことをよく思わないだろうけど、僕も君のことはあまり好いていないんだよね。だって、君は僕の持っていなかったものをたくさん持っているから。まあ、言うまでも無く醜い妬みだよ。僕が、神代で君みたいな恵まれた環境にあったらきっと……なんて。思ってしまうんだ)
それは、思ったって叶わないこと。どうしようもないことだと分かっている。だって、もう絶対に時間は巻き戻らないし。
だから、やっぱりそれは自分でも言う通りの‟醜い嫉妬”だ。まあそれは決して表に出しはしないけれど。人のいい、性格のいい優しい好青年―――なんて。それが100%事実、なわけがない。
(だから、君には勝手に期待しているんだよ。僕が100万年前に叶えられなかった無理難題も、君ならこの世界で為せるんじゃないかってね。今度こそ世界を守ることが出来るんじゃないかって)
アザミの描いた作戦……その未来予想図を耳にしたときは驚いた。だって、それはあまりにもセイラムみたく神代を生きた人間からすれば‟救われた”気がするような、そんなものだったから。
(ああ、そっか。だから、だからこそアポロン様もアルテミス様もアザミくんに期待しているんだね。ふふっ、そういうことか。あの天上天下唯我独尊、自らら以外はどうでもいいと人間なんて矮小な存在を見ちゃいなかった神様の協力なんてどうやって取り付けたのかと思っていたけど、そういうことか。そりゃあ……‟あんなこと”を持ち出されたら、力を貸さない以外ないよね)
そんな、神代からまるっとこの世界をすべて、100万年間かけた救済執行。
やっぱり、この世界はずっと……神代が滅んだあの日からずっと、こうなるように決まっていたのかもしれない。
救いか。それとも否、きちんと終わるためにか。
(どちらにせよ、この世界にひとつの決着がつくのは確か。ふふっ。部外者な僕がこんなことを言うと怒られるかもしれないけど……)
アザミにはいい感情を持たれていないのだから猶更。だろうけど、セイラムは思わず口の片隅に浮かんでくる笑みを抑えられなかった。そんなそれを小さく携えて、本当に小さな声でつぶやく。不敵に、まるで第三者みたいに。
けれど、どこかの時代の主人公みたいに。
「……面白くなってきたね」
* *
そんなアザミとスイと、セイラム・アガトレイヌが騎士団本部で話をしているのと時を同じくして。
一応、戦局は予断を許さない状況にあった。いつ絶対王ゾルディナとシュツィの目論む滅びが実行に移されてもおかしくない。まあ、どのような手段で世界を滅ぼしに来るのかはまだはっきりしていない中ではあるのだが、少なくとも何か行動は起こしてくるはず。そうなると、エリシアの見た未来視によるリミットを考えても、ここ数日内で何か起きるだろうことは明白だった。
そんな中なので、当然ゆっくり休んでいる暇はない。
のだが、アザミとスイとセイラムが何か話している中じゃ特にやることは無いわけで。
そういうことにより、砂漠での戦いによる疲労や、聖剣魔術学園の礼拝堂地下での出来事が夜を通したものだったこともあり、短くはあるが、昼までそれに従事していた面々には休息が与えられていた。
そんな、久方ぶりの休息。
シトラ・ミラヴァードの姿は王都のカフェにあった。
木の匂いがいい感じに心を落ち着かせてくれて、家具や調度品にも拘っているそのオシャレな空間はシトラのお気に入りだった。行きつけのそこでいつも通りホットココアとケーキを注文し、ストッと奥の席に腰を下ろす。その場所も、静かで落ち着いたシトラのマイスペース。もちろん勝手に好いているだけで、予約していたり店主に頼んで空けてもらっているわけでも無い。まあ、空いていてラッキーという感じだ。
そこに注文した品を置いて、ふぅと一息。
「……あのぉ、シトラ先輩? 俺も一応休みなんスよね。その、出来レば仮眠を取りたいんでスけど」
「ええ、存していますよ。だからここにお呼びしたのです。こうでも機会が無いとゆっくり話す機会、無いじゃないですか」
「ゆっくり話っテ……なんのっすカ? それに、いいんスカ? 男女が私服で休日に、しかも二人きりで会うなンて、なんかイケナイ気分になるんスけど」
「問題ありませんよ。私もあなたも、口外しなければ何も無かった話です」
そう余裕そうに肩をすくめるシトラだが、そういう問題では無い気がする。というかむしろ、黙っていればバレないというのが余計に悪いことをしている感を増幅させるというか……。そういうところはまだまだズレているシトラであった。
「……それで。私があなたを呼んだ理由。本当に分からないのですか?」
「いやぁ、分からないっスね。後輩との親睦を深めるってンじゃないんでしょ?」
そう冗談めかして語る彼に、シトラは「もちろん」と微笑む。口元は穏やかながら、しかし眼の奥は笑っていなかった。
だからやっぱり、後輩との親睦会だとかただの休日だとか普通のモーニングだとかじゃない。
「では、もう一度教えてあげましょうか。ローゼンくん。私はあなたと、話の続きをしたいのですよ。あの砂漠で、あの戦場でのお話をもう一度、ゆっくりとね」
そうニコリと笑いながら、胸の前で両手をそっと合わせるシトラ。仕草は可愛らしいが、そのオーラは……真剣そのものだった。
そんな彼女に、呼び出された後輩の男……ローゼン・ウィットリーは「なるほど、ねェ……」と若干臆した様子でゴクリとアイスコーヒーを一口喉に流し込んだ。季節は冬で、暖かな店内とはいえ注文したてのそれは氷もカランカランとまだ残っているはずなのに。
どうしてか、そのコーヒーはやけに薄味だった。
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