1298話 再会と余白
ローゼン・ウィットリーの名誉のために言っておくと、彼は別にシルリシア・コルティスという少女に恋愛感情を抱いていたわけじゃない。仲間として、人としては尊敬していたが、そういう類の“好き”だ。
それがどうしてか今、ローゼンはジャムン・バザールで最も高い建物の屋根の上からシルリシアの名前を呼んで愛を叫んでいるわけだ。本当に、いったいどうしてこうなったのか。
(やっべぇナ。今、自分の姿をイメージしようもんなラ軽く死ねルぜ)
だから今叫んでいるのも、聞こえてくる声も、自分じゃないどこかの誰かだと必死で言い聞かせて何とか我を保っていた。冷静になりでもすればまず間違いなく、ここから飛び降りることを選んでしまうだろうから。
『シルリシアァァァァァッッッッ!!! 愛してるゾぉぉぉぉぉおぉ!!!』
それでもめげずに自分の役割を果たすさまは、恥を通り越してもはやカッコいいものだった。まあ、こんな公開告白に付き合わされたジャムン・バザールの人間からすれば堪ったものじゃないだろうが。
「ぷふっ」
「笑っちゃだめですよ! レンヒルトさん! ローゼンくんは私たちを代表してこんな羞恥を晒してくれているのですから!」
耐え切れずに吹き出したレンヒルトをシトラは「こら!」と叱責する。ちなみに、それは叱責ではなく酷い追い打ちでしかないことには気が付いていないシトラだった。そんな2人のやり取りに、シトラは先輩だけれどもとりあえず後で2人とも絶対に殺すと誓うローゼンだった。
(まあシトラの言い方は酷いにしても、このやり方自体は本当にぶっ飛んだものだよな。一番見晴らしのいい場所からシルリシアの名前を呼ぶ―ーーだなんて。こちらから見つけられないのなら呼んでやればいい……なんてのはまさに逆転の発想だけど、いやそれにしても俺じゃ絶対に思い浮かばなかったな)
あまりにも優れすぎていて……じゃない。あまりにもとんでもなさ過ぎて、常人じゃまず思い浮かばないのだ。
砂漠のど真ん中。ジャムン・バザール全体にはもちろんのこと、おそらく砂漠を進んでいる離れた商人にも聞こえているだろうその愛の告白。ちなみにキャロルが提案したのはシルリシアの名前を呼ぶだけだったのだが、それだと弱いなと言って愛の告白に変えたのはほかの誰でもない、ローゼンであった。それがクリティカルに自分へ返ってきているのだから、まあ自業自得と呼ぶのだろうか。
こちらから探すことが難しいのならば向こうに来てもらったらいい。そのために大声で名前を呼んで「探してますよ~」とアピール。しかし、普通に呼んだくらいなら届かないだろうし、そもそも無視を決め込まれたらどうしようもない。
しかし、この規模でバカをやればどうだろうか。
(自分の名前が……。幻の名とはいえ、決して短くない時間を過ごした名前だ。それをまあ地中に響き渡るようなとんでもない声量で呼ばれて、しかもそれが愛の告白だなんて恥ずかしいものだったら。俺があの子の立場なら、まず間違いなく―ーー)
そうアザミが思い描いたちょうどその時、だった。
「―――あのさぁ、馬鹿なのかな!? 人の名前をそう何度も何度も大きな声で連呼しちゃって!」
声が響く。ずっと聞いていたはずなのに、今となってはえらく懐かしいものに覚えてしまうその声。
シトラにもレンヒルトにもその接近を悟らせず、この高さにもかかわらず平然と姿を現したその身のこなし。そんなものが可能な人間はそう多くない。それこそこの状況じゃ1人だけ―ーー。
「……お久しぶりですね、シアちゃん。いいえ、今はスイちゃんと呼んだほうがよろしいでしょうか」
「久しぶり……だね、シトラお姉ちゃん。うん。今の私はスイ……神代兵器スイだからその方がいい、かな」
そこに立っていたのは、肩ほどの長さの薄水色の髪を綺麗になびかせた少女。前にあったときはモコモコと柔らかそうな格好をしていた彼女だったが、さすがにここは酷暑の砂漠地帯。純白のブラウスに黒のパンツスタイルで涼しそうだ。
そして、忘れちゃいけない、トレードマークの日傘。その下よりアザミたちを眺める少女こそ、彼らがこのような場所まで必死になって探しに来たスイという少女だった。
もとは騎士団の一員として、シルリシア・コルティスという幻の人物を完璧に演じ切ることによってシトラの副官になり、世界魔法の旅にもすべて同行した仲間。しかし先の世界魔法でその正体を明かし、騎士団とは別離した。その正体は今より100万年前、神代と呼ばれた神様の時代において、世界を最前線で守っていた神代兵器の少女。中でも、最強と評される少女だ。
「……それにしても初耳だったな。ローゼン、私のことが好きだったんだ」
「んなわけねェだろこの嘘吐き女。てめェには聞きたいことが山ほどあるからナ。そのためなら……なんだってするんだヨ」
「恋心を弄ぶだなんて最低じゃん? ローゼンくん。私結構、傷ついちゃったな」
「弄ぶ、だァ? テメェが言うなよ、シルリシア。テメェこそ俺たちをずっと―ーー」
「―――はい、そこまでです。ローゼンもシアも、そこらで矛を収めてください」
文句。言いたいことはあるけれど、それをこんな場所で言い争っても意味がない。相変わらずふざけた調子のスイに、しっかりヒートアップするローゼン。レンヒルトが冷静にその仲裁をしなければきっと、彼は我を忘れて殴りかかっていたことだろう。
「……ふーん。まあいいや。とりあえず私は同期組のみんなが知るシルリシアじゃなくてスイなんだけど―ーー」
「―――黙ってくださいよ」
そんなぎりぎりで冷静に戻ったローゼンをつまらないとしてか、軽薄な感じで煽ろうとしたスイ。しかし、そんなスイを阻んだのは低いトーンの、普段は聞くことのないレンヒルトの声だった。
「……怒っているのは私も同じです。だから、それ以上何も喋らないでください」
「……怖いねぇ、レン。まあ分かったよ。ほんの冗談っていうか挨拶のつもりだったんだけど……思った以上に私、敵視されちゃってるみたいだからさ」
降参するように両手を挙げて、スイは「わかった」と首を縦に振る。さすがにナイフの如く鋭い瞳で睨みつけられたらそこまでだ。それ以上煽ったって意味がない。
「……それで? こんな馬鹿なことをやってアザミは何がしたかったの? それにみんな、こんな所で何をしているわけ?」
それで……、と、スイは話の矛先をアザミへと変える。彼女からすれば、突然街全体に響く大声で名前を呼ばれて愛を叫ばれたのだ。さすがに黙っていられず、やめさせようとやってきてみればそこには見知った者たち。まだ状況がいまいち飲み込めないのも無理はない。
「何がって……そりゃあスイに会うためだ。目撃証言があったからな。それを追いかけてここまでやってきて、そうして呼んでみればスイが現れたってわけだ」
「ふーん? ってことは私、綺麗に思惑通り飛び込んできちゃったんだ。それはちょっと恥ずかしいな」
だってそれはアザミの掌の上でクルクルと踊らされてしまったようなものだから。ぶーっと唇を尖らせるスイ。思い通りに動いてしまったことが癪だった。ただ、あのまま偽りとはいえここ2年近くずっと使い続けてきたシルリシアの名前をああまで情熱的に連呼されたまま放っておくことは流石に恥ずかしすぎたので、まあ結局、遅かれ早かれ止めに入っていたのだろうが。
「……それで。私に会って何を話したかったのかな。言っておくけど、騎士団を裏切ったのは全部私の意思だからね?」
「それは分かっている。だが、あんな別れ方があっていいとは思わないな。どうして裏切った? いつから、ひょっとして最初からそのつもりで俺たちに近づいたのか。……何の説明もなしにはいさようならで納得できるわけないだろう? 俺もシトラも、それにこいつらもな」
シトラと、レンヒルトら同期組の3人はアザミの言葉にこくりと首を縦に振る。そんな彼女らの態度に、スイは眉をひそめ辟易とした様子で溜息を吐いた。
「たったそれだけのために私を探してこんなところまで来たの? ねぇ、暇なのかな」
「まさか。スイも知っているだろう? 俺たちは今絶賛滅びの危機に瀕しているところだって」
「だったらなおさらだよ。私の裏切りなんてどーでもいいでしょ?」
「……いいや、そうでもないな」
呆れた顔で「危機なら早く戻りなよー」と、しっしっとアザミらを追い返すような仕草を見せたスイだったが、しかしアザミはゆっくりとその首を横に振った。
「覚えているか? 先の世界魔法でスイ、アンタは言ったな。“敵になるか味方になるかは俺たち次第だ”って」
「あー……言ったっけ? よく覚えてないや。でも、もし。私がそう言ったなら、そのあとにこうも言ったはずだよ。“私のすることをアザミたちが受け入れられるか否か”だって」
「ああ。そう言っていたな。だから……話をしよう」
そう言ってスイを真っ直ぐに見つめるアザミの瞳に、「なるほどね」と察した様子で彼女はフッと息を吐いた。
「私を戦力として加えるためにわざわざ訪ねてきたわけだ? なるほど。こんな裏切り者の手も借りたいレベルって、どうやら相当切羽詰まってるみたいね」
「……そうだな。その通りだ。今俺達には相手を選んでいる余裕はない。たとえ憎い相手だろうと、その腹に何を抱えているかわからない存在であろうと……な」
「……へぇ。それは、私がアザミが目をかけていたアネット・ベルを殺した犯人だったり、もしかしたら絶対王ゾルディナの協力者かもしれなくても?」
「……ああ。それでも、だ」
探るようなスイの視線に、しかしアザミは首を縦に振った。ギュッと唇を固く結んで、その同じく強く握られた拳は手のひらにきつく爪の跡が刻まれている。ただひとつ頷く……それが、決して軽いものであるはずなかった。
必ず探し出すと誓った事件の犯人だったとしても、神代兵器である彼女が当時の支配者であったゾルディナと水面下で繋がっているなんて可能性があったとしても。それでも、スイの助力なくして未来はないと分かっているから。
「……場所を変えようか。さすがにそろそろ下が五月蠅くなってきたし」
そんなアザミの覚悟を、スイも察したのだろう。真剣な眼差しに無碍な態度で返すわけにいかない、と、スイはちらりと眼下の光景に目をやりながらそう提案した。見てみると、そこにはざわざわと集まるジャムン・バザールの人間たちの姿があった。単に野次馬気質でやって来た者もいるが、当然その多くは怒り心頭。そりゃあそうだ。こんな街のど真ん中で、災害レベルの大音量で公開告白をかましたのだから。巻き込まれた民たちにとっては迷惑極まりないことだったろう。それには罪悪感も覚えるが、しかし捕まって素直に説教を受けている余裕はない。アザミたちに、スイの提案を突っ撥ねる理由は無かった。
「それに……ここじゃ満足に動けないでしょう?」
「動く……ってことは、まさか―ーー」
「あくまで可能性、ね。言ったでしょ? 私は今のところアザミたちの敵じゃないけど……でも、味方でも無いんだから」
撤退準備のさなか、スイはそんなことを言って不穏に微笑んだ。それは、場合によっては戦闘になる可能性も十分にあるということ。覚悟していたとはいえ、極力避けたかったのだが……。
(まだ戦いになると決まったわけじゃない。敵じゃないのなら……話し合う余地は残っているはずだ)
とりあえず、それを信じるしかない。
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