1253話 最終作戦(13) ―おしまい―
世界を支配したい―――。
そう目論む悪は少なくない。というか、恐らく黒マントと怪しげなマスク、背景には月光を携えてハッハッハッと高笑いする、典型的な悪役が企むのは大抵それであろう。
しかし。‟世界を終わらせたい”―――となると話は別。途端に理解が難しくなる。
だって、‟終わり”なのだ。宇宙から侵略してきた未知の存在であればまだしも、同じ世界に生きるはずなのに、それを‟滅ぼしたい”とはこれいかに。滅んでしまえば資源も無く、生命が無ければ発展も無い。そんな終わった世界で独り笑ったって、一体それで何が満たされるのだろう……と。
だから、ゾルディナの目論む「この世界を終わらせたい」というその目的が分からなかった。一体なぜ、どうして、そのようなことを考えるのか。終わってしまえば何も残らないはずなのに。
「……終わりたい。何度死んだって生まれ変わり、不幸にしか生きることを許されない世界の歪み。そんなシュツィが地獄の繰り返しから逃れるための救いが、‟世界を終わらせること”だったんだな」
その謎の答えを、アザミはようやく理解した。こと彼女、シュツィにとっては世界の終わりが彼女自身の終わりなのだ。何度死んだって生まれ変わってしまい、また不幸一色の人生を送らされる。そんな呪いから逃げたい―――と願っても、死は彼女にとっての救いにはなり得ないのだから。自ら死を選んだとしても、残念。結局、死んだって再び繰り返すだけなのだから。
そんな不幸以外が許されないシュツィにとって、それから逃れるためにこの世界は終わらなければならないものだった。終わらせたい。そして、終わりにしたい。
「我儘で身勝手な願いであることは理解しているのでございますよ」
「だったら―――」
「―――けれど。一度くらい、救われちゃいけまんせか?」
そう問いかける彼女の眼は、真っ直ぐで純粋なものだった。その純真な眼差しに射抜かれ、アザミは出かけた言葉をごくりと飲み込んだ。
「……私は今まで、この世界がほんの少しだけ笑顔になるために不幸に生きるしか許されなかったのでございます。そんな私の、たった一度のお願いくらい……聞いてくれたっていいではございませんか」
ギュッと、その言葉には押しつぶされそうなほどの想いがあった。訴えかける彼女の、若干涙の溜まってうるっと波打つ瞳は、まるでその中へ吸い込まれてしまいそうなほどに深みがあった。
そういえば、この戦場で彼女は呟いたっけ。「私は人間なんて高尚な存在じゃない」と。
神様では無い。元は人間で、絶対の力を借りているだけの少女。
しかし、それを‟人間”として同じくくりに収めてしまうのは流石に無理があった。
どれだけの繰り返しを経てきたのだろう。絶望なんて言葉はとうの昔に通り越していた。そんなもの甘いも甘い、優しいぐらいだ。
もはやどうにもならない。願ったって叶うはずが無く、救いなんて何者であろうと彼女に与えることは出来ない。不幸にしか生きられないその呪いは決して解かれることなく、この先も彼女は死んでは生まれ変わり、また不幸に生きることを繰り返すのだろう。
そんな中で、ようやく終わることが出来るかもしれないのだ。今まで献身的に、世界の幸せのために不幸せであることを強制されてきたシュツィ。だからこそ、彼女がその繰り返しを抜け出すためにこの世界を終わらせること‟ぐらい”、許してほしかった。
「ダメ、でございますか?」
上目遣い。その想いは、少女の中で決して曲がることなく育てられたものだった。
その境遇に同情はする。不幸にしか生きられなくて、しかも死が救済ではなく新たな不幸への始まりだなんて。救いのないその呪いに、アザミは確かに一度それを救うと約束した。
だから、‟救いたい”―――その気持ちはもちろんある。救われなくちゃいけない、報われなくちゃいけない。このまま、世界の幸不幸のバランスのためだけに不幸のみをただ一方的に押し付けられるだけの、歪んだ少女のままであっていいはずが無い。
それはその通り。だが、その救いと天秤にかける対象がこの世界の存亡となれば……
「……俺たちは、この世界の未来を諦めるわけにはいかないんだ」
残念ながら、その二つの願いは相容れないのだった。「そうでございますか」と少し悲しそうに目を伏せるシュツィに、心がチクリと痛む。けれど、彼女とてその返事は分かっていたことだったろう。分かっていながら聞いたのだ。
―――ほら、救えないでしょう?
まるで、そう言われているような気がした。その諦めた、嘲るような瞳の奥にその声を聞いた気がして、アザミはグーッと震える指先を隠すように固く握る。
シュツィの想いは本物だった。決して曲がることのない、ただ真っ直ぐに純粋な終わりへの想い。なんせ、世界の終わりが唯一、シュツィを救ってくれる希望なのだから。
「……だから、絶対の力が消えなかったんだ」
ようやく分かった。あの時、ついさっき、アザミたちの最終作戦がゾルディナを追い詰めたにもかかわらず、それが返り討ちにされた要因。魔都アスランを解放し、ゾルディナを絶対と認識する、その絶対の力を支える源を断ち切ったはずなのにどうして、‟絶対防御”も‟灼翼は対うこと絶えて”もそのまま生きていたのか。
簡単だ。その強い源がひとつ、消えることなく残っていたから。
シュツィが、少女が‟神様は絶対だ”と認識している限り、その力は決して失われない。
「そんな……。それでは、私たちの勝ちの目ってそもそも最初から無かった、ということですか……?」
シトラの言葉を、誰も否定ができなかった。気づきたくなかった。けれど、気づかされてしまったその真実。
最終作戦の根幹は、まず絶対王ゾルディナの‟絶対”を取り去ることにある。そもそも、かの王様を守る‟絶対防御”を攻略しなければ、こちらの攻撃は一切すら通らないのだから。まず一歩目として絶対防御を無効化すること。それが勝利への絶対条件であり、それを無しにゾルディナを倒すことは出来ず、つまりこの世界の滅びを回避することもまた、出来ない。
その絶対防御を無効化するために、ゾルディナの絶対を支える源を断つ作戦を立案したのに。
それが無意味に終わり、そもそもシュツィがひとりゾルディナを絶対と認識していれば問題なくその絶対の力を振るえるのならば、騎士団のしていた過去も、この先しようとしていた未来も全て……否定される。
「俺たちは何のために戦っていたんだ?」
「これじゃあ、アイツらは何のために死んでいったんだよ……!」
その事実に、せっかく盛り返した騎士団の勢いが急速に陰り始める。その絶望が再び彼らを飲み込むのに、そう時間はかからなかった。
「マズいな……。このままじゃ―――」
その伝播する状況に、アザミはハッとした表情でそれを止めようと一歩踏み出した。
だが、しかし。そこで気が付いてしまう。一歩踏み出した先は……すでに、ガラガラと崩れる奈落の崖っぷちだったことに。
(ああ、ダメだ。もう間に合わない……)
もう一歩踏み出せばすぐさま奈落の底へ一直線だ。
そう。とっくに手遅れだったのだ。
ゾルディナのもつ絶対の力は、‟ゾルディナは絶対である”と認識されることによって発揮される。だから、その認識を支えるアスランの住人を眠らせれば、理論的には絶対を無効化できるはず。
現に、それによって過去にはゾルディナのもたらす滅びを回避したこともあるぐらい。しかし、やはり同じ手というものは二度通じないらしい。シュツィがゾルディナを信奉し、それを絶対と認識する―――。それだけで、かの王様はアザミの攻撃を無効化し、絶対の力をもって反撃を決めたのだから。
それだけじゃない。
最終作戦は、そこに描かれた展開だけで言えば完璧に作用した。しかし、それでもゾルディナに一矢すら通らなかったのだ。その事実は、今まで何とか盛り返した勢いで支えられていた騎士団の流れをぶった切るには十分すぎた。これでも届かないのかと。加えて、シュツィのどこまでも純粋なその終わりへの想いを知ればなおさら、これを止めるだなんてどうやったら出来るだろうか。想像が出来ない。
そして、その騎士団の抱く絶望は……‟この絶対の存在をどうやれば攻略できるのか”というもの。
つまりはゾルディナを絶対と認識する力だ。意識無意識にかかわらず、そのどうしたって感じてしまう認識はせっかく奪ったはずの絶対の力を絶対王へと戻していく。
その流れが出来てしまった以上、もう間に合わない。
だから、手遅れ。この流れに関してはエレノアですらどうにもできないだろう。自分たちでこの戦場に残り、戦うことを選んで、それでも届かなかったのだから。一度は騎士団を立ち直らせたエレノアの背中も、こうなってしまえばむしろ絶望を助長する逆効果だ。自分で選んで、なのに敗北するという二重の絶望。
(俺たちの立てた最終作戦すら利用された……か)
そうだとしたらもはや言い訳のしようも無いほど、完膚なきまでの敗北だった。結局、絶対王ゾルディナは人間なんてちっぽけの遥か先にある存在。人類の命運を込めた最終作戦も通用せず、その譲らぬ終わりへの想いはどうやったら否定できる……いいや、否定なんて出来ない。しちゃいけない、する資格なんて無い。
世界を守りたい。あるいは、滅ぼしたい。もしも、その夢の強さが勝敗を左右するというのならば。
自分が終わるために、この世界を終わらせたいと願うシュツィの想いの強さにはどこの誰だって勝てない。
「……さて。こんな私と、神様の終わりをあなた方は許してくれるのでございますか?」
シュツィは問う。その小さな少女は、体の小ささからは想像できないほどの歩みを背に、両手を広げてまるで神の慈愛を試すが如く、騎士団へとそう投げかける。
「……出来ない。俺たちは、騎士団は大陸の守護として、この世界を終わらせるわけにはいかないんだ」
「そう……でございますか。では、アザミ様とて敵でございますね。言った通り、邪魔をする者は誰であれ許さないのでございます」
辛そうな表情をしながらも、騎士団の一員としてそれだけは譲るわけにいかない。そんなアザミの答えも、シュツィにとっては別に想定内。ただ、少し残念そうな顔は覗かせていた。出来れば、このまま戦い無しに、お互いすっきりと終わりたかったから。
(たとえ私にとって唯一、救いらしきものを与えてくれたあなたが相手であっても)
シュツィという名前をくれた。救いなんて有り得ない彼女に、それでも救うと約束してくれた。
それは結局叶いそうにないけれど、でも、そう言ってくれただけでちょっぴり救われたから。
でも、そんな恩人であったとしても、邪魔をするのならば敵だ。
残念。本当に残念。アザミとゾルディナ……シュツィ。きっと今までとは違った感情で、救いたい者と終わりたい者は戦場で睨み合う。だけど、その会話の方法は結局、変わらないまま。
「そろそろ終わりにしましょう。お互いに、ね」
そして、シュツィはその背丈を超える大きな杖を一振り。すると、彼女の両翼に2体ずつ、計4体の少女が現れた。
それはシュツィと生き写しの見た目をした、違う点があるとすれば髪色が白ではなく黒で、瞳の色が橙ではなくくすんだ灰色であるくらい。あとは淡々とした無表情であるくらいか。
「絶対王の複製体……か!」
「少し違うのでございます。……彼女らは絶対律の符紗。いわば模倣。ゆえに先ほど‟以上”、でございますよ?」
さっきまでの複製体と同じだと思っていれば痛い目に会う。そうシュツィは悪戯にクスッと微笑んだ。
そんな複製体が4体……6体……10体!?
「いやいや、どれだけ増えるんだよ……!」
彼女が杖を振るたびに増えていくその複製に、さすがのエレノアもジリッと一歩たじろいで震えた声を出す。シュツィひとりでも厄介なのに、その複製がもう数えるのが間に合わないほど。しかも、彼女曰く‟さっき以上”の。
具体的にどこか先ほど以上なのかはまだ分からない。しかし、見かけで言うならば巨大さのあって、腕が四本だったりした先ほどの複製体の方が強そうなはずなのに。
けれど、それから受ける圧はどうしてか今の方が強かった。どうにかなりそう、という感覚すら許されない。10歳そこらの小さな少女の見た目をしたそれに、
「さあ、絶対律の神王……あらため、‟終わりなき天律を奏でる者”―――」
複製体の中でニコリと笑う白い髪の少女。その純粋無垢な笑顔がはじまりの合図だった。
終わりの、はじまり。それをきっかけに、彼女の生み出した模倣たちが方々へと散っていく。その行先は森の中……つまり、そこで先ほどまでの複製体と死闘を繰り広げていた騎士団の各部隊の方。
そして、否定された最終作戦の亡骸を蹴り飛ばす。
そんな世界の存亡をかけた戦いの、最終局面がはじまった。
といっても。
(最終局面と呼ぶにはあまりに呆気ないものでございますけれどね)
終わりの見えたそれはもう、最終局面だなんて呼べるものじゃない。
勝敗はすでに決した。いわばここからは、その幕後の余韻みたいなものだ。
絶対の存在に対するは、ついに完全な絶望へと足を取られた騎士団。
今までどんな窮地でも足掻き、粘り、崖っぷちギリギリに踏みとどまって来た彼らでも。
これは流石に、万策尽きたと言わざるを得なかった。
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