1238話 集合写真
それからは一瞬だった。
モルトリンデの騎士団支部に集まった理由は、単に戦場に一番近いかつ一番大きな支部がそこだったからというだけ。そこに集合して騎士団長の号令の元、いざ最終作戦へと挑む、まあ開戦の辞みたいなものだ。
というわけなので、この場に長くとどまる理由はない。休暇でも無ければ待機する暇も無いのだし。
「最終作戦……か。流石に緊張するな」
「ふふっ、アザミでも緊張することはあるのですね」
「そりゃあな。俺だって神様じゃ無いんだし、完璧なわけでもない。勝てば救い、負ければ滅びかもしれないそんな戦いに、何も気負えず挑めるほど出来上がっちゃいないさ」
そう笑うアザミが拳をギューッと握りしめているのは、震える指先を見せないようにしているだけ。ただ隠し誤魔化しているだけだ。緊張はするし、不安もあるし、恐ろしくもある。けれどしかし、それを表に見せて良い事なんて無いのだから。
「おっ、早いねぇ♪ 気合たっぷりかにゃ?」
「おはよう、エリシア。アンタはえらく眠そうだな。なんとも気合いのない顔だよ」
「んー……昨晩はあまりよく眠れなかったからね♪ むしろ寝不足じゃない方がおかしいよ、こんな戦いの前夜なんてさ」
そう言って大きくあくびをし、うーんと伸びをするエリシア。彼女にしては珍しいこともあるものだ。3万年生きた妖狐である彼女は、騎士団の中でも、この大陸の中で言っても、その経験の深さじゃ群を抜いた存在。そんな彼女ですら身構えて眠れないだなんて。この戦いがどれだけ重要か。それがよく分かる。
「エリシアの言う通りだ。未来視の魔眼の覗いた滅びの期限までもう僅かとなった今、ここまで大規模な作戦を展開できるのはきっとこれが最初で最後なんだから」
そんなエリシアの肩をポンッと叩いて、朝からしっかり凛とした声でそう挨拶したのはエレノア・バーネットだった。騎士団長として、同じ円卓とはいえ立場としては自身の率いる配下のようなもの。それを前に、団長がみっともない姿を晒すだなんて言語道断だから。
しかし、
「……敗北すれば、もうこちらに反抗の手段は残されない。むしろ、そんな中である程度いつも通りなお前たちが変だと思うけどね?」
エレノアだって人間だ。彼もまたアザミと同じだった。騎士団長として示しのつかない姿を見せぬために、それは内心の不安を隠した偽りの自分。怖くないはずが無いし、緊張しないはずもない。
騎士団長―――人類の守護として存在する騎士団の、そのトップだなんてそれこそ世界の存亡の責任に関する頂点だ。世界の命運を人間ぽっちで背負うだなんて、そのプレッシャーは想像できるものでも無い。
「俺たちだって緊張はしていますよ? 少なくとも俺は、一応」
「だから、‟ある程度は”、と言っただろう? 俺から見ればその落ち着きようは恐ろしいよ」
「そこは……まあ、慣れがありますからね。魔王としてひとつ世界の行く末を背負う経験は無いわけじゃ無いですから」
エレノアの感じていることはよく分かる。だって、かつてはアザミも……魔王シスルとして、似たような立場にあったことがあるから。むしろ世界を背負うことに関しては先輩なので、そのためエレノアよりかは上手く心の内の恐怖を隠すことが出来るというわけ。
「私だって、エレノアさんとアザミと同じですよ。もちろん緊張もします」
そんな二人の男に、シトラもうんうんと首を縦に振る。アザミもエレノアも、なんだかんだ似た者同士な二人だ。逆行前には色々とあったけれど、一度は殺し合ったりもした共にバカ兄貴と呼ばれるような二人だけれど。
ことこの時、シトラの発言に対する第一声は見事に一致した。
「嘘は苦手なんじゃ無かったか?」「冗談が上手いね、シトラ・ミラヴァード?」
言葉こそ違えどその言いたい内容はほぼ同じ。あのシトラが‟緊張”なんて。自分たちと同じ弱い感情を持っているなんて、ハッハッハッ、まさか。
あれだけ普段から人間離れした所業を繰り返していたこと。信じてもらえない理由は、そんな日頃の行いのせいなのであった。
「楽しそうだな。ひょっとして吾のような老いぼれは歓迎されないような話かい?」
「そのように卑下するほど老いぼれちゃいないでしょうに。まったく、ジャグはいつもそうですね」
そんな開戦の前、朝っぱらから楽しそうなアザミたちの元へ合流してきたのはジャグとファルザだった。その口調や、ジャグの場合は元から経験豊富な渋いおじさまであるがゆえに、二人とも落ち着いて思える。
そんな二人の内、ファルザはアザミに軽く手を振ると、その元へ寄ってきた。
「久しぶりだな、アザミ。それからシトラ。こうして共に戦うのは‟初めて”か」
「お久しぶりですファルザさん。けれど、戦いならイシュタルの―――」
「―――ああ。‟初めまして”、だな」
キョトンと首を傾げたシトラを遮って、アザミはファルザの手を取り握手を交わす。
シトラの疑問はもっともで、厳密に言えばファルザと双子は初めましてじゃない。けれど、彼らが共闘したのはイシュタル帝和国での内乱へ関与した時の話。つまりは、時間逆行をする前なのだ。時間逆行によって過去が変わり、それのせいで未来も変わった。魔王リコリスの存在は有り得なくなり、それによりイシュタル帝和国での内戦も、起こったことには起こったのだが、それでも騎士団が関与するほどの壮絶さでは無かったし。
おかげで、双子とファルザの共闘は、この時間軸この世界においては起きていない過去なのだ。双子だけが覚えている記憶……というやつ。
そういえばこの時代に再び生を受けてから、ファルザとはあまりゆっくり話す機会が無かった。色々あって戦場を共にすることは無かったし、そもそも世界魔法を飛び回っていたアザミとシトラは騎士団本部にもなかなか滞在していなかったのだから。
「けれど残念。今回も戦場は別だ」
「ああ、そうだな。僕だって噂だけじゃ無く君たちの戦いぶりをせっかくだから生で見たかったのだが、まあこれも役目だから」
「戦場は違うが、勝利を目指すことは同じだ。互いに頑張ろう」
だから、こうして言葉を交わすことが出来るのはこの朝が最後だった。どうして‟戦場が違う”のかについては、最終作戦の概要を知れば分かること。なのでもう少し……。
そんなせっかくの出会い、早起きをしたからこそ実現した最終作戦前の静寂をもう少し楽しむことにしよう。アザミとシトラはファルザと話し、そんな若手勢をエレノアとエリシア、ジャグはそちらも朝の挨拶を交わしながらチラリ見てフッと笑う。
そんな円卓の半分が集う、朝の中庭に。
「朝から騒がしいわよ。勘弁してちょうだい! この夜の女王たる私は、朝にあまり強くないのよ」
「同感だね、メリーガール。僕の美しい朝の目覚めは鳥の囀りであって欲しかったよ」
「自分も同じ気持です、ポッポくん、メリーさん。それにしても若い人たちは元気ですね。それとも、危機感が無いと言った方がいいですか?」
「だからメリーちゃんって私を呼ぶんじゃ無いわよ」
話し声が聞こえたのだろうか。あるいは、騎士団長を筆頭にこれだけの面子が集まれば異様な存在感も放つからだろうか。そこへぞろぞろとやってきたのは、同じ円卓の騎士であるミュリエルとポッポ、そしてモールモーズだった。
「別に危機感が無いわけじゃない……よな?」
「ええ。ただ必要以上に焦っても意味が無いので、表には出していないだけですよ」
少し皮肉の混じったモールモーズの言い方にも一切気に留めることなく、アザミとシトラはそう余裕のある返しを見せる。その点は場数の差だろう。モールモーズも同じ円卓の騎士ではあるし、騎士団での歴ならばアザミらよりも上。その人生の半分以上を騎士団で過ごしたかつての神童も、しかしいつだって戦場の最前線に立ってきたアザミらからすれば残念ん、取るに足らないわけだ。まあ、いわば‟相手が悪かった”というやつ。
「君も吾と同じで、騎士団じゃベテランの部類じゃあないか。若い者にそう突っかかってやるな」
「自分とジャグさんとでは10歳以上年齢が違うじゃ無いですか。同じにしないでください」
少しも効き目の無かったアザミたちにピクッと眉を動かしたモールモーズの肩をトンッと叩くジャグ。しかしその手を彼はフンッと払いのけた。確かに30を超えて、若い人間が多い騎士団じゃ中堅を超えた頃のモールモーズ。けれど50歳を超えたジャグと同じ扱いをされるのはさすがに違う。
「あっれぇ? うわうわ、なんの集まりなんです~? こーんな楽しそうな集まりにクロトちゃんを呼ばないだなんて、みなさん酷いですよぅ!」
「うんっ。シャアも誘われなくて悲しいヨ!」
楽しそう、とはまた独自の視点もあったものだ。けれどまあ、円卓の騎士が朝早くからこんなワイワイと集まっていればそうも見えるのだろうか。個性のぶつかり合いが生む奇妙な圧も、しかしクロトにはノーダメージのようだった。
そんなクロトの隣で彼女と同じ感性なのか、むぅーっと頬を膨らませるのはネロ・シャオ・キールシュタット。トーチの妹で、年齢として彼より8歳下とはいえ……十代半ばの少女にしては、その見た目も話し方も幼くて少々不安になる。
そんなクロトとネロまでやってくれば、なんとあとひとりを残してまさかの円卓の騎士揃い踏みである。特に示し合わせたり約束をしていたわけじゃ無いのに、早朝からこんな面々が揃うだなんて。やはりそれほど、彼ら彼女らも落ち着いていられないということなのだろうか。
そんなこの場に11人の円卓の面々。その足りないひとり、さいごのひとりはというと……
「……ねむい」
「まったくリリィちゃんには困ったものだ。軍服がよれよれじゃあないか。戦場じゃ凛々しい君も、やはり気の抜けた朝は年相応になるのだね」
眠い目をこすりながらふらふらと歩いてきた軍服の幼女。10歳になったばかりのリリステラ・シャットエルセンだ。幼い少女には似合わない軍服だが、しかしぶかぶかになることは無くそれをきっちりフィットしたサイズで着込んでいるのは流石。けれどせっかくのそれも、ボタンが全部止まっていなかったりシャツが出ていたり……。やはり、聖騎士であり円卓の騎士でありながらも、幼女にこんな朝早いのは厳しかったらしい。
んあー、なんて寝ぼけた声のリリステラの口元を拭ってあげて、そのぼさぼさの髪を櫛で手入れしてやったり、服装を正してやるジャグの姿は……。まるで姪の世話をする叔父のようだった。
「……全員集合、か。いやまさかこんなことになるだなんて想定外なんだが」
「最初はただ気晴らしに散歩をしていただけだったのですけれどね。気が付けば、皆さん集まっていました」
そんな光景はまさか狙って実現させたものじゃない。一番最初にこの中庭でのんびりしていたアザミとシトラが一番、この一転して騒がしくなったこの状況に驚いていた。
(昨日も思ったけど、こうして円卓が勢揃いすると個性のぶつかり合いが凄いな)
個性派ぞろいの円卓の面々。それぞれが強者であり、それゆえにブレない自分を持っているために個性が出る。12人の人間が集まって、これだけバラバラなのも珍しい。ただそれが戦場に立てばそれぞれ一騎当千なのだから心強いものだ。
そんな円卓の騎士の全員がこうして集まったのは偶然だ。朝早く、特に理由なくふらふらしていた双子の元にエレノアらがやって来て、そこから続々と他の面々がやって来たというだけ。そうして、偶然だとしても大きな戦いの前にこれだけ集まったのだから。
「ねぇ、記念撮影しようヨ? シャアね、兄貴からこんな魔道具を借りて来てるんだヨ!」
皆を見回して、そう思いがけない提案をしたネロ。「え?」と皆の目がその少女に注がれる中、ネロは懐からゴトンと重たい機械を取り出した。
「これは?」
「兄貴曰く、‟撮影機”らしいヨ。これを使えば、一瞬の風景を一枚の絵に出来るらしいんだヨ」
「へぇ。魔法も魔術も無しにそのようなことが可能だなんてね。投影術式を閉じ込めた魔道具、ってとこかな?」
その機械をまじまじ、興味深そうに眺めるエリシア。トーチ・キールシュタットが魔道具を研究していることは知っていたが、今はこのようなものまで生み出しているのか。
(俺が前に頼んだ‟神代の技術の再現”の第一弾かな? さすがトーチ。あんなクズでもやるべきことはきちんとやる、相変わらずの秀才だよ)
妻子持ちなのに妹を今でも口説き続けるその様につい忘れそうになるが、トーチ・キールシュタットは普通に聖剣魔術学園を首席で卒業するレベルの秀でた才を持つ人間だ。遥か昔に滅んだはずの技術を、こう道具に変えて再現するだなんて。しかも頼んだのはたった3、4ヶ月前なのにだ。
「ほらほら、みんな並ぶんだヨ! こんな機会はそうそう無いんだから!」
「なるほど。面白そうだ。ほら若いもんたち、ネロの嬢ちゃんの言う通りにしないか」
ネロが呼びかけ、興味深そうに頷いたジャグが皆に促す。
「……こんな機会、もう無いかもしれませんね」
そんなそれぞれ動く中、シトラがボソッと呟いたそれをアザミは聞き逃さなかった。
けれど、それに対して何か言えるでも無かった。確かに彼女の言う通りだ。こうして円卓の騎士が勢ぞろいしたことも、もしかしたら偶然なんかじゃ無くて……最後の集まり、そんな世界の皮肉めいた運命だったかもしれないから。
「はい! 撮りますヨ~」
トーチが開発したその魔道具をいじったネロは、準備オッケー、何やらセットをしてトトッと皆の方へ走り寄って来る。
―――カシャッ
そして響いた音。煌めいた一瞬の閃光。
「これでいいですか? まったく、恥ずかしいことをしますね。自分には理解できませんよ」
「そう言いながら、モールモーズくんもいい笑顔だったけどね♪」
写真撮影を終えて、またワイワイ動き始めた彼らの時間。
その集合写真でさえも、ビシッと決めるとか揃いのポーズで決めるとか、そんなことは無い個性派な彼ら彼女ら。それぞれがそれぞれの場所で、各々のポーズで映ったその写真はトーチの魔道具にきちんと記録された。
大きな戦いの前、偶然に揃った円卓の騎士たちの全員を収めたその一枚の写真。
この世界を背負った戦いの前の、彼ら彼女らを記録した最後の写真。
それは結果として、シトラの呟いた通りになる。
なぜならばこの後、一枚の集合写真に揃ったこの顔ぶれのうち……
(最後の一枚、になんてならなきゃいいけど。またここへ戻って来て、今度は勝利に湧き上がった写真を撮りたいな)
そんなアザミの願いも空しく。
このモルトリンデへと‟無事”に帰ってくることが出来たのは。
その写真に揃う内の、たった‟半分”だけだったのだから。それはそんな、この時代の円卓を収めた最初で最後の集合写真となった。
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