1228話 シトラ・ミラヴァードの甘美な休日 ~ごくちめ~
普通なら、こういう時に真っ先に出てくる感情は安堵である。
事件じゃ無くて、大ごとじゃ無くてよかったと。自分的には慌てて駆け付けたのにくだらない展開で「なんだよぉ」と思ってしまうが、けれど、王都の安寧を揺るがすような大事じゃ無くてよかったと、安堵の息を吐くだろう。
が……
「いやシトっち、それは流石に……」
「なんですか? シャーロット」
その淡々としたトーンに、シャーロットはゾクッと背筋に冷たいものを感じた。思わず一歩たじろいでしまいそうになる、それは殺気だった。
こんなシトラをシャーロットは知らない。苛々して、感情のままに相手にあたるシトラなんて見たことが無かった。
「シトっち!」
グッと唇を噛んで、覚悟を決めたシャーロットはその名を大声で呼びながら、グイッとシトラの肩を揺すった。それによってようやくシトラは冷静を取り戻したようだ。
「あっ……す、すみません」
「どうしたのさ? シトっち。らしくないわよ?」
「ごめんなさい……私、なんだか抑えられなくて……」
「謝る相手は私じゃ無いわよ。とりあえず、切り替えなさいな」
どうやらシトラ自身も自分の醜態をよく理解できていなかったらしい。なぜあのような態度を露わにしてしまったのか。それを不思議そうに、彼女は首を傾げる。
(抑えられないって……苛立ちを抑えられなかったってこと? 本当、どうしたのかしら。いつも冷静で落ち着いたシトっちらしくないわ)
決して短くない付き合いだからこそ、そんなシトラがなかなか見られるものじゃないことはよく分かる。少なくともシャーロットはこんな些細なことでイライラするシトラを見たことが無かった。
「……そうですね。切り替えます」
シャーロットに諫められ、シトラはすぅーっと気持ちを落ち着けるべく息を吸う。
確かに、喧噪に何事かと案じて急いで駆け付けてみたら真昼間から酔っ払い同士の喧嘩だったなんて、そんなものにせっかくの休暇を邪魔されたのかとイラつくシトラの気持ちは分からないでもない。だが騎士たるもの、それを面に出してしまっちゃ失格だ。
「―――どうしたのですか? 一体、何をそう争っているのです」
一息でしっかり、スッと切り替えられるのはまあ流石のシトラ。変に引きずったり感覚を狂わせたりは無かった。いつも通り、少し呆れた声ながらも丁寧に、野次馬を掻き分けて当事者二人の元へと歩み寄る。
「んだよぉ、邪魔すんじゃね―――」
「―――あっ。あなたは、さっきの……」
そこに、真っ赤な顔で座り込んでいたのは若い男が一人と中年の男性が一人。そのうち、若い方は駆け付けたシトラと、シャーロットに絡もうと拳を握ったその瞬間―――面白い様に赤い顔がサーッと青ざめていく。
「……ナンパ男じゃない。あなた、シトっちにフラれた腹いせに避けに溺れてたのね? いや、無いわー」
ズバッと冷めた目で切り捨てるシャーロット。その棘のある言葉と睨む目線に、彼は朝方のそれを思い出したらしい。シトラをナンパしようとしてシャーロットにひと睨み、追いやられた恐怖の記憶……。それを思い出せば、気持ちのいい酔いなんて瞬く間に覚めていく。
「すいやせんでしたぁっっ……!」
スタイリッシュに、一糸の無駄も無い、とてもスムーズな動きで彼は土下座に移行した。その美しさは見事。いや、褒めることじゃ無いが。
「……なぁんだ? なぁにがおこってんだぁ?」
そんな光景を分からないのは中年男性の方。突然、自分が喧嘩をしていた相手がどこの誰とも知らない小娘二人を相手に土下座したのだから、まあポカーンと理解できなくて当然だろう。
「あなたも、被害者ではなく加害者でもあるのですからね? 怪我の度合いではなく、周りに迷惑をかけたのはあなたも彼も同じなのですから」
どうやら喧嘩をしていたのはこの二人のようだ。流石に若さが勝つらしく、怪我の度合いは中年男性の方が重い。だが一方で、酔いの具合も中年の方が回っているようだ。しゃがみこんで目線を合わせ、しっかりと叱責するシトラにもヘラヘラと、相手が小娘だからと侮っているような態度だった。そんな中年男性の方を「あっ、死んだわアイツ……」と合掌する若い男。その頭をスパンと引っ叩くシャーロット。
「殺しはしませんよ。ですが……ねぇ? 反省をしていただけないのなら私も相応の態度を見せますよ?」
ニコリと満面の笑顔で、中年男性へとその顔を寄せる彼女。笑っているのに笑っていない、表情は明るいのに瞳の奥は氷のように冷たい。そんな彼女は、単純に怒るよりも恐ろしいものだ。
その笑顔ひとつであっさりと、中年男もナンパ男と同様に、くーんと子犬みたく尻尾を振って降参する。さっきまで取っ組み合いの喧嘩をしていた男二人は笑顔ひとつで即座に鎮圧され、その場にこぢんまりと正座させられるのだった。
「まったく、真昼間から迷惑なものです。応援の騎士団がすぐに駆け付けますので、どうぞそこでみっちり怒られてください」
「きっ、騎士団!? ってお姉さんは騎士団の人間だったのか!? ……これはやっぱり優良ぶっけ―――」
「―――私が反省会の相手をしてもいいのですよ?」
「イイエ、ケッコウデス」
どうすればここからゴールインするだなんておめでたい展開を思い描けたのだろうか。シトラが騎士団の人間と聞いてその眼を輝かせた男だったが、再び向けられた笑顔にその瞳の光がスーッと褪せて消えていく。
「なっ、なぁっ! あんたは騎士団の人なのかぁ!?」
「はぁー。あなたもですか? いい加減に―――」
「―――だったら、助けてくれ!」
「……えっ?」
ナンパ男と同様に、騎士団と知って言い寄ってくる変態かと最初は思った。
だから呆れ、キツイ口調で声を荒げようとしたのだが、違った。
「助けるって、何かあったのですか?」
「鞄を盗まれたんだょ! あの男に、商会の重要な書類の入った、大切な鞄がぁ!」
「んだよぉ、おっさん。それであんな必死に走ってたのか?」
泣きつくそのおっさんに、まるで他人事みたく言い放つ元ナンパ男。「黙りなさい」とそれを一瞥し、シトラは「そういうことですか」と頭を抱え、ため息をひとつ。これで何となく姿が見えてきた。
「そのようなものを酔っ払って持ち歩くあなたもあなたですけどね」
それはごもっとも。そのことは理解しているのだろう、中年男はよりその顔を涙にぐしゃぐしゃと歪ませながら、シトラの足元に懇願の土下座。……まさか、1日に二人も土下座を見ることになるなんて。
見えてきたもの。酔っ払った中年男から何者かが鞄をひったくったのだろう。その中には大切なものがあり、中年男は当然その犯人を追いかける。必死に走って、きっと周りが見えていなかったはずだ。不運にも、シトラにフラれてヤケ酒を煽っていた若い男にぶつかってしまい、そして若い男は「なぁにぶつかってんだぁ!」なんて激高。急いでいる中年男もそれに対しヒートアップし、そして……なぜか、盗人一人勝ちの謎殴り合いが始まったわけだ。
「頭が痛くなるような光景ですね。馬鹿ですか?」
それもごもっとも。しかし、もう少しオブラートに包むことを覚えた方がいい。
アハハと苦笑いしながらシャーロットは、適当に手近なナンパ男の頬を平手打ち。「なんで俺!?」と驚く彼はそろそろ可哀想だ。
と、そこへ。
「お疲れ様です! シトラ・ミラヴァード様」
「どうも。早速で申し訳ないのですが、この方たちにお灸を据えていただいてもよろしいですか?」
「はい! お任せください!」
駆け付けた騎士団の者たち。円卓の騎士であるシトラに、キラキラした眼差しで敬礼する彼らにとりあえず喧嘩をした二人を引き渡した。事情は分かったし、鞄を盗まれたのは自業自得の側面もあるとはいえ同情もする。が、それはそれ、これはこれだ。理由はどうあれ迷惑をかけた分の償いはきっちりしてもらわねば。
「……行きますよ、シャーロット」
「ええ。それでこそシトっちだわ」
そしてその償いは、今この場には居ない、中年男の言う‟逃走したひったくり”も同じ。ふっふっと微笑みながらぽきぽき拳を鳴らすシトラにそれを逃すつもりなんて毛頭なかった。休暇中、楽しい談笑中を邪魔した報いだ。容赦なんてするものか。
「こっちです」
二人を引き渡したことで自由になったシトラはさっそく、キョロキョロと辺りを見回す。たったそれだけで彼女はさっと目星を付けると、薄暗い路地の方角を自信たっぷりに指さした。
匂いを追う、みたいな人間卒業具合には‟まだ”至っていない。だったら何を根拠にそれを差したのかというと、まあ言ってしまえば勘である。
「私なら、こちらに逃げます」
アザミのような様々を考慮したうえで導き出す予測とは違う。シトラのそれは、超人的な勘の鋭さによって導き出される……いや、やっぱり動物的本能ゆえの直感だ。
「了解。じゃあ信じるわ」
だがその勘は、恐ろしい話がたいていの場合外れないのだ。それをよく知っているシャーロットは、むふーっと不敵に笑むシトラの自信を信じる。
シトラの言う通り、確かにその路地は逃げ込むならば最適に思えた。喧噪の現場からすぐに身を隠すことが出来るし、大通りとも逆方向。
まあとっくに遠くへ逃げているだろうし、その路地はあくまで‟犯人が通った”と、ただそれだけだろう。その路地からもう一回、「私ならこっちに」と犯人の足取りを追うことになるのだろう。……と、そう思っていたのに。
「オヤ、思ッテイタヨリモ遅イ御来訪デシタネ。テッキリ即座ニ追イカケテクルモノト思ッテイタノデスガ」
その路地には人影が二つ。ひとつは、地面に倒れて「う、うーん」と苦しそうに唸る男。近くには皮の鞄がごろんと転がっていて、恐らくそれがひったくられた物品なのだろう。じゃあその倒れた男が犯人……だとすると、もうひとつの人影は一体何者だ。
男か女かもわからないシルエット。黒い布をかぶって輪郭は曖昧、何よりも目を引くのは、その顔面を覆い隠す竜骨のお面だ。
「えっと……どちらが悪い方ですか?」
思わずシトラも素っ頓狂なことを聞いてしまうほどに。その路地裏はカオスを極めていた。犯人は一人のはずなのに……どうしてだろう。不穏の香る路地裏に行ってみれば、怪しい存在が何故か二人もいるのだ。
しかもそのうち一人は黒ずくめに骸骨のお面なんて、どう考えても一般人じゃ無いのだから。楽しい休暇はどこへやら。いつもみたく物騒になってきたシトラ・ミラヴァードの休日である。
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