1221話 混濁する世界
「……うぐっ! ごっ、ごめんなさいっ! 神様っ、、許して―――」
静かな夜の森に、少女の悲痛な声が響く。はぁ、はぁと息も絶え絶えで泥に塗れ、座り込んだのは……‟少女”だった。
『あのような真似は二度とするな、小娘』
それを叱責するは、声だけの存在。先ほどの少女から察するに、それは少女に絶対の力を貸す‟絶対王ゾルディナ”の魂なのだろう。魂として今は少女の中に生きているがゆえに、その身体へ罰を与えることが出来るのだろう。
少女と神様……現在の‟絶対王ゾルディナ”を形作る要素や事情は複雑だ。
少女は‟一応”、人間である。それが絶対王ゾルディナの魂と出会い、その絶対の力を借り受けたのが今のゾルディナ王と呼ばれる存在である。
だから、神代じゃ筋骨隆々の大男として知られていたゾルディナが今やこんな10歳に満たない幼女として君臨しているというわけだ。力は絶対王のものに違いないのに、性格や人間性、見た目が神代と異なるのはそれが理由。
力を貸す側と、借りる側。しかし普通であれば神と人間との間に貸し借りが生じるなど有り得ない。なぜなら、神は貸与するのではなくそれを強引に奪い取るからだ。例えば魂だけの存在となったゾルディナが身体を求めていたのであれば、力を貸す形で顕現するのではなく、少女の身体を我が物として乗っ取る形で振る舞うのが通常、というわけだ。
だからこそカノアリムージュはそれを‟絶対擬き”なんて表現した。ゾルディナ王が絶対の力を振るうのではなく、人間の少女が借りた絶対の力を我が物顔で振るっているから、カノアリムージュはそれに憤慨したのである。
そういうわけで、かなり歪んでいて複雑な貸す側と借りる側の関係である。
歪んでいるということは、普通じゃない関係ということ。
普通なら成り立たない関係が、それでも成り立っている。
ということは、その裏に何らかの理由があるわけだ。
『……勝手に終わらせるでない。この関係は互いに‟終わる”という相互の利害あってのものであるぞ。それを小娘、貴様だけが勝手に終わろうなど許さぬ』
「申し訳ございません……神様。本当に、ごめんなさい……」
その叱責に少女は平謝りだった。この時代じゃ絶対王ゾルディナと言えば神代のような大男ではなく、この少女なわけで。もしもこの光景を誰かが見れば、王の土下座だなんて世にも珍しいものを見られただろう。
それはさておき、ゾルディナは何も少女に対し、‟絶対王の力を借りておきながらカノアリムージュに敗北した”ことを怒っているのではなかった。そんな無謀無茶を言うゾルディナじゃない。同じ絶対を冠する神様として、カノアリムージュという男の強さ厄介さはよく知っているつもりだったから。自分の力があったとて、相性悪いカノアリムージュに対して勝ちきれないことは想定の範囲内。むしろ命を拾って、借り物だなんて卑下されながらもあそこまで追いすがっただけ賞賛したいぐらい。
じゃあ何を叱責しているのかというと、それは少女が落とすはずだった命を拾った理由。そのおかげで助かった、生きながらえたと言えば聞こえはいいかもしれないが、けれど黙って見過ごすわけにはいかなかった。
だって少女はあの瞬間、確かにカノアリムージュに与えられるその死を。つまりは終わりを、受け入れたのだから。その救われたような、清々しさすら覚える笑顔を……ゾルディナは許せなかった。
『絶対の神ならば貴様を殺せると希望を見たか? 終わることの出来ない小娘が、絶敵卿の手であれば終わることが出来ると思ったか?』
「それは……はい、でございます」
誤魔化しても、嘘をついても仕方がない。少女は素直にそう吐いて項垂れた。そんな少女に、魂だけのゾルディナはため息をつく。
『我と貴様は、共に同じ終わりを目的とする同士と、そう考えていたのだがな』
絶対の神にそう思われるだなんて、世が世なら泣いて喜ぶほどの光栄だ。それを裏切った……少女は心にチクチクと痛みを覚える。
『終わらせたい我と、終わることの出来ない貴様。この世界の終わりとは、我と貴様の同じ目標である。……これからはそれを、ゆめゆめ忘れるでないぞ』
「……はい、神様。決して忘れないのでございます。私と神様は、終わる時は共に同じの、運命共同体……なのでございますから」
涙を拭って、少女はそう心に誓う。決して抜け駆けはしない。神様を置いて勝手に死のうなど、そんな恩知らずが一瞬でも脳裏を過ったことが恥ずかしい。
これからは共に、決して揺らぐことのない終わりへ向けて邁進するとしよう。この世界に、正統な終わりを与えるために。
少女と神様。両者の間に、普通ならば成立しえない‟神と人間との貸し借り”なんてものが成り立っているのは、お互いが終わりたがっているという利害の一致あってこそであった。
少女は終わりたかった。その歪みしかない。災厄しかないその人生を終わらせたかった。けれど、呪われた少女は、‟終わることを許されない”。
神様は終わらせたかった。かつては自身が絶対の王様として君臨し、支配し、栄えたこの世界を、そのくせ今となっては自分の手で終わらせたいという矛盾。神の時代が果て、賦役させていた人間がその実権を握っている……そんな現在を受け入れられないと嫌悪してのことだろうか。身勝手、けれど神様なんてそんなものか?
その詳しい理由は恐らく本人しか知り得ない。どうして終わりたいのか、何を抱えているのか。どうして終わらせたいのか、それは神の身勝手かそれとも。
そんな互いの子細はどうだってよかった。いや、神様は少女の抱えるあまりにもな深淵に同情してその力を貸したわけなので、少女の事情を知ってはいるが、けれど少女は神様の抱える思惑なんて知らないし、知りたいとも思わなかった。
終わることさえできれば、終わらせることさえできれば、それ以外はなんだっていいのだ。ようやく出会ったその機会を逃したくない。やっと、やっとこの長い呪いから抜け出せるのだと。
「必ず終わらせるのでございます。私の為にも、神様の為にも、この世界は必ず……ここで終わらせる、のでございます」
スッと顔を上げた少女……ゾルディナにはもう、迷いや不安なんて後ろ向きは微塵も無かった。今まで通り、いや今まで以上に純粋に、この世界の終わりを追い求める―――そんな迷い無き眼で。
そう覚悟を決めて、さあ終わりへと再び力強く突き進んでいこう―――という、まさにその時。
『‟―――助けて”』
その時、ふと‟少女”の脳裏を何かがよぎった。
「っ……?」
その心当たりのない頭痛に少女はその表情を歪ませる。これもゾルディナの罰か? それによる痛みか? と思ったけれど、どうやら違うみたいだ。先ほどの神罰とは毛色が違う。
助けて……その言葉は、その声は……少女のだ。
『‟……ああ。当たり前だ”』
そして、それは誰かが言った助けてへの答え。
こんなこと、言ったっけ。誰に、言ったっけ。誰が、答えてくれたんだっけ。
そもそもこれは……何の記憶だ?
「―――ッ!?」
少女はそのズキズキ痛む頭を押さえ、その場にドサッと倒れ込んだ。頭が割れそうなほどに痛い。痛い……分からない。
『どうした? 小娘。我はもう神罰を与えてなど……』
その只事じゃない様子に、ようやくゾルディナも気が付いたようだ。頭を押さえてのたうち回る少女。ゾルディナにはその心当たりなんて一切なかった。神罰だってもう止めているし、こんな副作用が出る術式を組んだ覚えもない。
そんな神様の言葉すら、急によぎったその痛みの前には朦朧。
本当に唐突だ。前触れなく、その記憶……?、は何の予兆も無く少女の頭をよぎったのだから。
覚えが無いから、そもそもそれが本当に少女のものなのかもわからない。いつか見た演劇の一場面かもしれないし、ただの妄想かもしれない。
「名前……」
朦朧とする意識の中、何も考えられない頭の中で、ふとそんな言葉を呟く。
『名前? 小娘、貴様の名前のことか? それならば確か―――』
もちろん、その言葉だって少女にはまともに聞こえちゃいなかった。
どうしてこうなったのだろう。これも、勝手に自分だけ終わろうとしたことへの罰なのだろうか。だったら、自業自得か。
さっきまで普通だったのに、何も無かったのに、冷たい雪の中に倒れて、薄暗い森に見下ろされながら酷い表情で喘ぐ少女は……ああ、なんて惨めなのだろう。
でも……このくらいの醜態ならば、慣れたものか。
倒れ伏しながら少女はハハッと自分自身を嘲笑う。色褪せた瞳で、渇いた笑いで。
記憶なんて知らない。どれが本物で、どれが妄想かだなんて分かるわけ無いのだし。……一体、どれだけ終わりなきそれを繰り返したと思っている。
真っ白な雪に同化して溶けて消えそうな白い少女に、勢いを増した雪が積もっていく。その冷たい布団に包まれながら、遠くなっていく意識の中で……。
『‟―――ありがとうございました、アザミ様。また‟次”があれば、その時こそはちゃんと私のこと……助けてくださいね”』
最後に過った言葉と、その顔は……。
(どうして、あなたなのでございますか……? ‟アザミ・ミラヴァード”……―――)
先ほど会敵して戦ったばかりの、なぜあの男が出てくるのだろうか。
分からない。分からない……けれど、意識白濁する今の少女にそれ以上を考える余裕は無かった。
積もる雪、降りしきる雪。その下で意識を失った少女が、‟やはり”何事も無かったかのように目を覚ましたのは、一夜明けた翌朝のことであった。
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