1220話 奇縁と別れ
「……どうしてだ? どうして、ゾルディナを最後まで倒し切らなかったんだ?」
去るゾルディナをわざわざ追いかけるようなことはしないアザミたち。あのままアザミたちが相手のまま戦いを続けていたらほぼ確実に敗北していたわけで、それがカノアリムージュの参戦によって引き分けに終わったのだから、その幸運をわざわざ手放すのもおかしな話だろうと。代わりに、彼は帰って来たカノアリムージュに対して、訝しげにそう問いかけた。
「ふんっ、言った通りだよ。死にたがっている相手にわざわざ介錯をしてやるだなんて、そんな都合のいい使われ方をしたくないだけだ」
死にたくないと懇願する相手を殺すのであれば、それは嫌悪する相手に振る舞う愉悦としては上出来だろう。しかし、死にたいと望んでいる相手にその望み通り死を与えてやるのは、忌み嫌っているがゆえに拒否反応が出るほどには厭だ。
カノアリムージュがゾルディナにトドメをささなかったのはそれだけの理由だった。本気で向かってくるならば相応の本気で応えるが、むしろ死を歓迎しているのならばその次第じゃないと。
死にたがっている相手を要望通り殺してやるなど面白くない。
カノアリムージュは、その表情を思い出してチッと舌打ちをした。
あの瞬間、死がまじかに迫って、本来であれば涙と鼻水でぐちゃぐちゃに乱れた顔でやめてと懇願するはずのあの瞬間。
少女は、アハッと小さく笑ったのだ。絶望と、後悔と、不安と、その中に微かに咲いた笑顔―――。その普通なら有り得ない顔が引っかかって、カノアリムージュはそこで彼の戦いをやめたのだった。
「そもそも、私はあくまであの借り物が気に食わなかったから参戦したに過ぎない。その興が削がれたのだから、やめるタイミングもまた自由にさせてもらう」
勝手で、気まぐれ。けれど確かに、カノアリムージュの参戦はアザミたちにとっても想定外のラッキーだったから。
その力を借りられて、本来なら敗北していたところを引き分けに持って行けただけで御の字。それ以上を望むのは。カノアリムージュがゾルディナを倒し切ってくれて、そのおかげで世界の滅びをあっさり回避できたのなら、それは理想的な話ではあるけれども、そこまでを望むのは流石にやり過ぎだ。
「……そうか。そうだよな」
ふっと小さく息を吐き出して、アザミはカノアリムージュに頭を下げる。敗北を引き分けに持っていくことが出来て、死を避け再戦の可能性を残すことが出来たのもすべてカノアリムージュのおかげだから。そう考えれば、先の世界魔法―――電脳世界から繋がる縁を不思議に頼もしく思う。
(突然、この世界へ帰って来てすぐに絶対王ゾルディナと戦うのは流石に無茶だったな。けれど、お互いの手の内を探りつつ、次への可能性を繋げたことは僥倖だった)
そこで終わってしまうのでも無く、全く手も足も出ずに差を思い知らされるのでも無く、策を講じて時間をかけて何とかすれば、何とかなるかもしれない―――という可能性。それを残して次に備えられることは、世界の終わりを巡る最終戦の初陣としては上出来だ。
「まあ、せいぜい足掻いてみるがいいさ。この終わったはずの世界がこの先どうなっていくか……。互いの思惑渦巻くその結末は、私も興味があるんでね」
だから面白いものを見せてくれよ、とカノアリムージュはアザミの肩をポンと叩いた。ということは、予測はしていたがカノアリムージュの協力を得られるのはここまでらしい。
まあ、元からカノアリムージュとの協力関係はこの世界へ戻って来るまでの一時的なものであった。最初は味方として、途中からは敵として相対したカノアリムージュと共に電脳世界ニダヴェリルに……チルの夢の中へ閉じ込められたアザミたち。閉じ込められたその夢から醒めて、元の世界へ戻ることは互いに共通する目的だったからこそ、絶対の神様との間に共闘関係を築くことが出来たのだ。
だから、そもそもその協力はあの‟疑似”世界魔法という名の過去の記憶を抜けて、この世界へ戻ってきた時点で終わり。それを特別に延長してゾルディナ王と戦って貰ったのだから、むしろそれに見合う対価を準備しなきゃいけないぐらいだ。
「去るんだな。短い付き合いだったが色々知れていい経験になったよ」
「絶対の神を教科書扱いとは、不遜な人間だな。ふっ、まあいい。私もミラヴァード卿のような面白き人間に出会い、その可能性を見た気がする。私の世界に戻ってから、少し人間との付き合い方を見直してみようかとこの私が考えるほどには、貴兄との付き合いは新鮮な時間だったぞ」
そう言ってカノアリムージュは、アザミの差し出した手をガシッと握り返した。
最初は取るに足らない、利用するだけのただの人間だった。それを相手に油断したせいで後れを取り、想定していた成果を得られなかった。でも、そのおかげで想定外の気づきもあったから、まあ……
(敗北してよかった、とは思わないがな。けれど、ゾルディナ擬きの言っていた‟敗北したからこその強さ”というのは少し分かった気がするよ)
ギュッと握った手に感じる温かさ。相手は人間で、カノアリムージュのような絶対の神様からすれば、本来は気にすることも無いちっぽけな存在。けれどそれにも同じ温かな血が通っていて、よくよく見れば可能性もあってそれぞれ個性に溢れた、面白い存在だと知ったから。
「私の世界……か?」
「……その言い方、さては何も知らないのか。へぇ」
そういうところも、未知で無垢な所も。可愛いなどと言えば気味が悪いかもしれないが、どうしてかこういう純粋な想いには庇護欲めいたものが湧いてくる。
だから、というわけでは無いが。まあ新しい出会いと、新しい感覚に気が付かせてくれたことへの感謝とでも言おうか。
「この世界の歴史や、その真実……恐らくは貴兄の知らない、この世界の姿なんてものを私から教えてもいいのだが、それでは面白くない。それに、異なる世界の冠位より、落ちたとはいえ他世界へ干渉するのはあまりよろしくないんでね。知りたければゾルディナか、あるいはその子供たちにでも聞くがいいよ。……というか、知らなければいけない。もしも貴兄らが本気で、この世界を救おうと願うのならばもう、避けては通れない話だと思う」
その言葉に不穏な何かを感じ取って、アザミは彼の表情をチラリと見上げた。その表情は、些細ではあったけれど真剣な色が混じっていて。
世界の真実……。よく、この世界のことを‟落ちた世界”なんて言われた。他の絶対の神様や、邑淑で皇子ディーフアからもそう言われた記憶がある。
神代の海で、スルトリーヴァがかつて見た海をもう一度見られたのはなぜだ。この大陸の外には外縁の島と呼ばれる小さな島々があって、でもその先に別の大陸があるなんて話は聞いたことが無い。
逆行前、果てのない海に、この先に何があるのだろうなとポツリ呟いた。
アザミは思わずごくりと唾を飲み込む。今までの、幾つもの点がスーッと繋がって真実を紡ぎ出していく―――その兆しを見た、気がしたから。
「……分かった。アポロンに聞いてみるよ」
「そうすることだね。なんせ、きっとそれがあの絶対擬きを攻略する鍵になるだろうから」
「絶対攻略の鍵? それって―――」
ハッと顔を上げた知りたがりのアザミに、けれどカノアリムージュはフッと笑みを浮かべて人差し指を自身の唇に添える。そこまでだ。この奇妙な縁に対する対価、感謝の贈り物として、彼に与えられるのはここまで。
「どうしてあの少女が絶対王の力を借りられたのか。そもそもどうして、奴らは世界を‟支配する“のではなく‟終わらせる”ことに拘っているのか」
「それが……世界の真実を紐解けば分かる、と? そしてそれが、絶対王ゾルディナを攻略する鍵になる……」
「かもしれない、というだけだ。過度な期待はしないでくれたまえよ?」
その疑問点は確かに、アザミも何度か不審に思った箇所だった。しかし疑問に思ってもそれを解決する糸口が無く、今までなあなあで終わらせられていたのだけれど、でも、それを知らないことには確かにあの絶対を攻略するだなんて不可能だろう。絶対だなんて遥か高い壁を踏破するきっかけになるのなら、その真実は好奇心以上に知る価値のあること。
「最後まで感謝するよ、絶敵卿カノアリムージュ。アンタと出会えてよかった」
「ふっ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。私も、君たちとの出会いは価値あるものと思っているよ」
改めて、もう一度、アザミとカノアリムージュは固い握手を交わした。お互いに色々と知ることの出来た、突発的だったにしては良い出会いだったろう。
「では、また。機会があればまた会おう」
「ああ。せいぜい足掻いてこの世界を救いまして、その後で何とか会いに行くさ」
その約束を守るために。‟また”があるためには、そうなるようにこの世界を滅びの運命より救わねばならないから。
(またひとつ、終わらせたくない理由が出来たな)
まだその暖かみの残る、握手を交わした右手のひらをじっと見つめて、アザミはフッと笑みをこぼす。友人なんて呼ぶのは流石に身の程知らずと怒られるかもしれないが、何だろう。絶対の神様としてそれに相応しい力を持つ彼なのだが、そのはずなのにどこか近寄りやすいのだ。
「帰るぞ、ナァントカムイ」
「はい。カノアリムージュ様」
カノアリムージュはそう呼び掛けて、そしてスタスタとその場を去っていく。トテトテとその後を追いかけて小走りのナァントカムイは途中、アザミたちのそばを通り過ぎるタイミングでおもむろに立ち止まった。最後にぺこりと小さくだけお辞儀をして、そのまま再び彼女はカノアリムージュを追いかけて行った。
「最後まで気まぐれな方でしたね、カノアリムージュさんは」
「ああ、そうだな。変に未練とか名残のない神様だったよ」
戦うと決めたら戦うし、帰ると決めたら変に滞在したりせず、伝えることだけ伝えたらすぐに去っていく。メリハリのはっきりした神様だこと。
そんなことを語りながらその背を見送るアザミたちの視線の先、カノアリムージュは追いついてきたナァントカムイの髪をポンと撫でた。
「カノアリムージュ様?」
「なぁに、ほんの気まぐれだ」
特に理由は無い。不思議そうに肩目を瞑ったナァントカムイに、彼はそう適当な口調で返す。
そう、気まぐれ。理由のないただの気まぐれ。
(……また機会があれば、か)
別れ際の挨拶を思い出して、カノアリムージュは小さく微笑んだ。再会が楽しみだから。まあ、それもある。けれどそれは、「また会いたいな」のような乙女の純情とか、熱い友情とか、そういうものでは無くて。
(さて、その時の私は貴兄の味方か。それとも敵か……。果たしてどうなのだろうな?)
フッ―――と、その微笑みに添えられるは愉悦めいた不穏。
たのしみ……愉しみ? その表情の意味も、彼ら彼女ら‟絶対を冠する神様”とは何なのかの答えも、そしてさっきのゾルディナもいつかのアポロン言っていた、‟他の世界に干渉できない”という言葉の意味も。
すべてはこの世界の在り方……その真の姿を知れば分かること。
だがそれに至るまで、アザミたちにはもう少しだけ時間が必要みたいだった。
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