1187話 ダンスパーティー
「シトラス様って、ダンスの経験はあるの?」
「いいえ、まったく。ですが少し見ましたので、恐らく問題は無いと思いますよ」
「えっ? 見ただけで? すごいわ!」
「足捌きや舞の動き方は、さして難しいものでは無さそうでしたし。真似だけならば十分にできます。別に凄いと感心されるようなものでは……」
なんて、平然と語るシトラスは頼もしいというか、ぶっ飛んでいて逆に引くというか……。とりあえず社交ダンスのために師を付けたりしている名家のお嬢様お坊ちゃまが聞いたら舐めるなと憤慨しそうな言葉である。
「では、一曲お願いしますね」
「はっ、はい!」
それを合図にシトラスの手がフロウを引く。しっかりとリードし、嫌がっていたわりに自らで率いてくれるのは助かる点だった。
(……凄い。ちゃんと踊れているどころか、百点満点じゃない? コレ)
フロウも名家の娘ゆえ、社交ダンスの心得は当然ある。しかし、そんな彼女が認めるほどぐらいにはシトラスもしっかり優美に踊れていた。これで経験が無いというのだから、世界は無情である。
(次は……へぇ。こう動くのですね)
嘘でも謙遜でも無く、実際にシトラスはダンスの経験はゼロであった。勇者を育成するためのあの施設で‟ダンス”なんて無駄な教養を教えてくれるはずもなく、騎士団に入ってからもこういう社交界には一切顔を出したことが無かったから。ずっと戦場に立っていたのだし、それも当然。それゆえにダンスなんて普通なら一切合切踊れるはずが無い。
のだが、そこは彼女がシトラスゆえのこと。元の世界で「ああ、だってシトラ・ミラヴァードだから」と言えば割とどんな無茶でも頷かれてしまうのと同じことだった。
横目にチラリと一瞬見た周りのペアの踊りをコピーし、リアルタイムで自身の動きに反映させるという滅茶苦茶。それでいて完璧な模倣に加え、しっかりその先まで予測して踊ってしまうのだから。
(普通、真似をすれば遅れたり不安でぎこちなくなったり、時に全く見当違いの動きをしちゃうものでしょ!? なのに……ハハハッ。やっぱ、さすが勇者様ね)
周りから見れば、彼女らのダンスは見事という他ないものであった。勇者シトラスには戦いだけでなく、こういった風流の方面の心得もあるのかと。今まさに、現在進行形で感心され評判を上げている最中。
まさかリードしている方のシトラスに全くダンスの経験も心得も無いだとは誰も思わないだろう。それほどまでに、彼女の模倣は完璧であった。
そして、その完璧は一切揺らぐことが無いままに。一曲は終わり、シトラスとフロウはノーミスのままにひとつの演奏を完璧に踊り切ってみせた。
「ありがとうございました、フロウ」
「いいえ、こちらこそ。勇者シトラス様のダンスパートナーを務めさせてもらえて光栄だわ」
騎士のように恭しくひざを折ったシトラスに、彼女もドレスのスカートを持ち上げて礼をする。
そんな二人の織り成す優雅な雰囲気に酔い、周りは惜しみない拍手を送った。
「心なしか、先ほどまでより拍手の量が多いようですね」
「自覚ないんだ? これ、全部シトラス様に向けられたものだわ」
「私に、ですか?」
ふと顔を上げ周りを見てみると確かに、拍手を送る者たちの目線はフロアで踊る他の貴族の嫡子や令嬢にではなく、シトラスとフロウに向けられているような。
「買いかぶり過ぎです。きっとフロウに向けられた賛辞でしょう」
「私にもだけど、多くはシトラス様にだよ。物珍しさも相まって、ね!」
あの勇者シトラスが、という珍しさが目を引いたのもある。男女同士の他と違って女性同士というのもひとつ。そして、燕尾服だったり貴族らしい豪勢な恰好が普通の中に、騎士の恰好で立つシトラスゆえに目を引いたのがまたひとつ。
「だからきっと、今から忙しくなるわよ?」
そう言ってクスッと微笑んだフロウの瞳は、どこか悪戯な光を携えてシトラスを見ていた。
その言葉の意味を最初こそ分からなかった彼女だったが、すぐにその意味を知ることになる。
「お見事でした、勇者様。どうですかな? 次はウチの息子と一曲」
「素晴らしい腕前だ、シトラス。次は我と一曲踊り給え」
「君さえよければ、僕のお相手も頼めないだろうか」
曲が終わるや否や、シトラスの下に群がる男たち。困惑だった。まさかそんなつもりは無かったし、こうなる想定だってもちろん無かったから。
「フロウ……!」
縋るような目でチラリとフロウの方を、シトラスは見やった。戦場での心得なら十二分にあり、そこであれば恐れや不安は一切感じないと胸を張って言える。
しかし、こういう場で男連中にダンスを申し込まれた時の上手い断り方なんて倣っていないしシトラスの中には存在しない。ゆえに、初めて感じる不安と困惑だった。焦り、惑い、助けてくれと縋るしかない。
「仕方ないわねぇ」
そんなシトラスの目線も、そうなることも、彼女は分かっていたのかもしれない。少なくともその時、フロウが見せた表情はこの状況を面白がっているみたいな、そんな顔だった。
「申し訳ありませんわ、皆様方。シトラス様は今より少し、衣装を変えられますの」
「それは……」
「それとも、何です? 殿方は姫君の着替えを除くような下賤を趣味としておりまして?」
ニコリと、そんな容赦のないことを言われたら手を引くしかない。たじろいだ貴族の男連中から、その隙を突いてフロウはシトラスをグイッと引きずり出した。その構図……さっきとは逆だ。
「私、着替えなんて―――」
「いいからいいから! 助けて欲しかったんでしょ? なら、乗っかってよシトラス様!」
これすらももしかしたら彼女の企みだったのかもしれないなんて、考え過ぎだろうか。
だがとにもかくにも、フロウの助け舟に救われたのは事実。ここが戦場であれば無理に抗う手段はあったけれど、舞踏会という未知の場所ゆえにされるがままにしかなれなかった。
「オイ待て! フロウヴァナ!」
どこかで誰かがその名を呼び止める。が、彼女は一切それに聞く耳を持たなかった。
無視してさっさとシトラスの手を引いていく。何も知らないシトラスを、自由気ままに、勝手に。
* *
そんな騒々しい大広間の、ダンスフロアでのことなんて隅っこ暮らしのジャンには無縁のことだった。結局、さっき以上に何も喉を通りそうにない。無理にでも押し込めば吐いて戻してしまいそうで、ならば何も食わぬ呑まぬがマシ。
(俺は……まだ迷っているのか)
どうすればいいか。何をすればいいか。
分からないままにシトラスと待ち合わせ、この舞踏会に来たことが一番の間違いだった。出会ってしまえば案外いつも通りに振る舞えると思っていたけれど、それは真逆で、むしろ悪化しただけだった。
余命のことも言えず、伝えられないままに余計な勘違いをさせてすれ違って。
まったく、一体何を―――
「何をしているんですの、ジャン様」
そんな彼の心の内を読んだみたいに、その声と共にグラスがひとつ手向けられた。
「俺は……」
「飲みなさい。そんなやつれ具合で舞踏会に居られたら溜まったものじゃないもの」
そのグラスに揺れていたのは透明の冷たい液体……ただの水だ。
ジャンは少し迷ったが、でも確かに彼女の言う通りだと、そのグラスの中身を一気に煽る。瞬間、全身に走り抜ける爽快感と、それゆえの罪悪感。
「……すまねぇな」
「謝る相手が違うわ。私にじゃなくて、シトラス様に、でしょ?」
その声の主は、そう言ってジャンの隣に立ったその少女はフロウヴァナ・フォン・ノーツフェルトと名乗った少女。フロウだった。ついさっきシトラスに連れられて一曲踊っていたはずなのに、今は独り行動らしい。
(お嬢はどこに……なんて、聞けねぇよな)
心のどこかに、今顔を合わせなくてよかったと思っている自分がいたから。フロウがひとりでいたことに安堵している自分がいたから、そんなことは口が裂けても言えなかった。
それに……彼女ひとりであれば、都合がいい。
「……なあ、テメェ。‟勇者フローラル”って名に聞き覚えは無いか?」
唐突に、ジャンはフロウにそう問いかけた。
「聞き覚えも何も、私のことでしょ?」
そんな突然にも一切動揺することなく、彼女は平然と頷く。
「えらくあっさり認めんだな。隠したり誤魔化したりはしねぇのか?」
「別に、身分を偽っていたわけじゃ無いわ。知る人がいれば別にそれでいいし、知られたところで信じない者が多数だもの。むしろジャン様が私を知っていた方が不思議、驚きだわ」
それにしては驚いた顔なんて微塵も見せていなかった気もするが。
勇者フローラル……平然と、当たり前のように隣に立つその傑物に、ジャンはガシガシと頭を掻く。まったく、今日は本当に色々あり過ぎる日だなと。
「偶々だ。偶々、テメェの育った施設を深く調べる理由があってな」
「……シトラス様のこと、ね。確かに、あの施設は私がきっかけだもの」
「だったな。人界の生み出した原初の勇者にして、最初の聖騎士。フロウヴァナ・フォン・ノーツフェルト。いいや、勇者フローラルか」
「最近じゃ私のことをそう呼ぶものは居ないわ。フロウって呼んでよ?」
そう言ってニコリと微笑んだフロウのそれは、有無を言わさぬものだった。深みがあるというか、底が見えないというか。人間の奥底を知る笑顔だった。
そもそも、‟勇者を育成する施設”なんて存在が変なのだ。
今のところ一番の成功例としてその施設が騎士団に送り込んでいるのがシトラスであるのは別にいいとして、ではその看板になっている‟勇者”とはいったい何か。過去に勇者と呼ばれる存在がいない限り、それをもう一度と渇望するみたいな施設の在り方はおかしい。
その目標、原初の勇者と呼ばれた者こそがその少女だった。勇者フローラル、あるいは聖騎士フロウヴァナ・フォン・ノーツフェルト。フロウと名乗ったその少女は、人界の最終兵器とも呼ばれる存在であった。
「……きっかけ、ねぇ」
その言葉が真実だとすれば、嗚呼やはりあの噂も本当か。
「テメェ、一体何年生きてやがんだよ……」
見かけはシトラスと同年齢にしか見えないのに。その言動も、まるで自分という存在が揺らいでしまっているみたいなブレブレな話し方も、在り方も―――。すべてが真実だとすれば、それは二十歳そこらの少女には有り得ないものだった。
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