1167話 再始動
「……うーん、ここ、は」
少女は目を覚ました。そこは人の気配のない穴倉で、少女はその光景に想い出した過去のトラウマにビクンと震える。暗くて、狭くて、独りで……。
『ようやく目覚めたか、小娘。500日ぶりの現世はどうだ?』
「500日ぶり……で、ございますか? 私は……確か……」
まだ寝ぼけ眼ではっきりとしない意識。朧げな記憶を引っ張り起こして、少女は思い出そうとする。
見えるのは岩ゴツゴツとした天井で、見下ろすのはモヤモヤとした黒い影だ。これは一体何で……私は一体何だすら……分からない、思い出せない。なんでこうなっているのかも、この先どうすればいいのかも。
『しっかりしろ、‟シュツィ”。貴様は終わりたいのではないのか? そのために俺の、この絶対王ゾルディナの力を利用するのではないのか?』
「わた、しは……そうです。そうで、ございました」
その呪われた忌み名に思い出す。ああそうだ。私は、‟世界の歪み”として生まれた呪いだ。世界がちょっぴり幸せになるために、その分の不幸を背負う贄として存在する呪われた存在だ。
それを終わりたくて……終わらせたくて……そのためには、この世界を滅ぼしてしまえばいいと。
少女は、‟ゾルディナ”はゆっくりと身を起こす。絶対を冠する神様の力を内部に宿した人間の女の子。500日前、同様にこの世界を終わらせようとしてアザミたちに阻止されたけれど。今度こそ、そのような遅れは決して取らない。
『……それでよい。それでこそ貴様だ。迷うなよ』
「ええ、もちろんでございます。私は今度こそこの世界を終わらせて、私自身を終わらせるのでございますから」
絶対王としての力を使って、今度こそしくじらない。
ふと、傍らでポタンと気味の良い音が響いた。
それは、水たまりに水滴が落ちた音。その水たまりを、ゾルディナは覗き込む。
映っていたのは、真っ白な髪と橙の瞳。確か記憶じゃ肩ぐらいまでしか伸ばしていなかったのに、500日も眠っていたせいだろうか。無造作でぼさぼさになった髪はすっかり長髪と呼んでいいほどの長さにまで伸びてしまっている。鬱陶しくて嫌いなのでございますけどね、と少女……あらため、ゾルディナは呟いて唇をすぼめる。
そんな彼女を見下ろしていた黒い影はいつの間にか霧散していた。もう見守る役目は終えて、最後の仕上げとしてゾルディナの中に戻ったのだろう。
(それにしても、私の記憶じゃここは霊脈の河だったはずでございますよね……)
霊脈。それは、人並外れた力の流れるルートのことだ。アザミたちとの戦いで深手を負った少女を回復させるべく、かの絶対王はこの霊脈において少女に治癒を施した。それが500日前、最後の記憶。
けれど今、その河はすっかり枯れてしまっている。キラキラ輝く水たまりしか残っていないのがその良い証拠だ。
霊脈が何のせいもなく枯れるなんてまず有り得ない。ならば、それが枯れた要因はゾルディナ以外に冠挙げられなかった。傷ついた彼女を癒すためだけに、その霊脈に流れる膨大な力のすべてが使われたと考えると、それはぞっとするほど果てしなくて……そして、それだけの力を消費してやっと目覚めるとは、絶対を冠する神様とはどれほどの存在なのか。
「……とりあえず、侵略の再開といきましょうでございます。今度こそこの世界を滅ぼし尽くして、そして―――」
一糸纏わぬあられもない姿で立ち上がったゾルディナは、背丈よりも長い魔法杖を右手に歩き始める。ずっと眠っていたけれど、歩く感覚は特段問題ないようだ。少し歩きづらい、ふわふわした感覚はあるけれど、少しすればそれも慣れるだろう。
世界を滅ぼしたい―――なんて悪役は相当の変わり者か愚か者だと、アザミは言った。
だって‟世界を支配したい”じゃなくて、‟滅ぼしたい”なのだ。滅ぼしてしまえばそこには何も残らないし、それで何を得られるというのか。それがまったく理解出来なかった。それなのに滅ぼすなんて、よっぽどの変わり者か後先考えられない馬鹿かの二択だ。
いや、もうひとつあるか。それは、世界を滅ぼすことで自身にもメリットがあるという……その変わり者よりも愚か者よりも数の少ない、希少な存在。
「―――そして。今度こそ、呪われた私に正当な終わりを。で、ございます」
世界を滅ぼさなきゃ、彼女は終わることすら許されない。
そんな呪いを受けた、忌みの少女。身勝手だと罵られようとかまわない。だってこっちはもう十分、それに足るだけの咎を受けたのだから。
私が何をした……。
何もしていないのに。
でも、そう言えば。
『助けて―――』
『……ああ。当たり前だ』
この記憶は、一体いつだろう。人生なんて数えきれないほど送って来たからよく覚えていないけれど、でも確かそんなことがあったっけ。
助けて……そんな叶いもしない台詞を吐いて、それを頷き肯定した馬鹿がひとり。確か、居た気がするけれど。
(……まさか。有り得ないですよ。誰も、私のことなんて救えないのでございますから)
なんだ、幻影か。だってそんなこと有るはず無いから。
世界ごと、歪んだ自分自身を消し去る以外は救いの道なんてどこにも無い……だから。
その言葉も差し伸べられた手も、きっと嘘っぱちだ。
そう呪った少女は再び、この世界を終わらせるために笑うのだった。
* *
「報告します! 西の森で蜂起が発生!」
「きっ、緊急です! 東の海より獣の姿を確認したと―――」
「騎士団長様! 前線より、もう二日と持たないとのことです!」
その日から、騎士団は目の回るほどの忙しさに見舞われていた。
覚悟していたとはいえ、まさかこれほどとは。想定を超えてきたその混乱具合は、軽く崩壊寸前だった。
それでも何とか騎士団が世界の秩序たる矜持を守れていたのは、
「西への警戒度を高めておけ。東にはポッポを派遣する!」
騎士団長、エレノア・バーネットがギリギリでそれを捌いていたから。彼の手でも負えないほどの事態の数々を、けれど不眠不休で騎士団長たる彼は何とかしようとしていた。
(これが、俺の仕事だ。ここで意地を張らないでどこで騎士団長らしく在るというんだっ……!)
倒れそうになっても、一歩前に足を出してとどまる。もはや、今の彼は‟騎士団長だから”というその意地のみで動いているも同然だった。
どうしてこのようなことになったのか。
それは突然のことだった。いや、そろそろだと警戒はしていたが、始まってからはもうあっという間だった。
あの日、絶対王ゾルディナ率いる神の軍勢を何とか押しとどめ、世界を守ることに成功したあの日からちょうど500日が経過した頃。それまでは平和を保っていた大陸に、突如として戦の火柱があがった。
それは最初こそポツポツと様子見……という感じだった。そう言えば、魔獣の確認報告が増えたなというぐらい。でもそれが突然2倍になって、次の日には10倍になって、また次の日になんて集団で村を襲ったという報告がエレノアの耳に届いたのだから。
そこまで行けばもう只事じゃない。平穏は終わりを告げ、そこからは戦場だ。エレノアは悟る。ああ、始まったと。
エリシア・アルミラフォードが見た‟2年後の終わり”まであと少し。始まったのだと。終わりの足音が、忍び寄っていたそれが、やっと聞こえてきたのだと。
騎士団は総力を挙げてそれに対処する。この時に備えて大陸のあちこちに配置してあった部隊を動かして各地対応にあたる。
しかし、その規模や勢いはエレノアら騎士団が想定していたよりも早いものだった。なので、わりと初期の段階から騎士団は防戦一方になる。
『報告です! 魔都アスランが―――』
最悪の報告としてそれがエレノアの耳に届いたのは、最初の不穏が起こってからわずか3日後のことだった。
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