1162話 電脳世界のエンドレス・フィナーレ(6)
「……まったく、アザミ君は相変わらず……滅茶苦茶な人間だね」
「まあ、否定はしない。悪かったな、色々と黙っていて」
思えばカノアリムージュが現れ、ナァントカムイにチルが刺されたあのあたりからエリシアもシトラも置いてけぼりなのだ。メラグロードに関しては悔しいがほぼ空気である。
「それは別にいいよ。どーせボクたちが事前に計画を聞いていたってまともに信じられなかっただろうからね♪」
だが、その扱いも……今に至るまでの怒涛を考慮すれば納得である。聞いたとてポカーンだっただろうし、それに、こうして絶敵卿カノアリムージュと魔法樹ナァントカムイなんて規格外を味方に出来たのなら文句の一つとてあるわけがない。
(……こんな味方なんて百人力、いや千人力かな? 心強過ぎて笑えて来るよね……♪ でも、この状況になったら猶更……わかんないんだよねぇ)
状況はいいはず。だって、絶対を冠する神様―――という存在が味方になったのだから。そんなものが味方にいれば、‟同じく絶対的な敵”でも現れない限りは平穏無事が保証されたようなものだろう。しかも、ここが夢の世界だと言うならその敵の存在もほとんど有り得ない。つまるところ、この現状において敗北の心配はもうしなくていいということだ。
しかし、だからこそエリシアにはそれが不思議でしょうがなかった。
だって、彼女は知っている。自分の未来視の魔眼が見た、あの結末を知っているのだから。
この世界へやってくる前、エリシアはあるひとつの未来を見た。それは、この旅へ出たアザミたちが帰還しないというもの。死んだのか、敗北したのか、手間取ったのか……経緯は分からないが、彼女はここから帰れないという未来を確かに見たのだ。
そして、今までと違って世界魔法に満足する神代兵器チルの存在や、絶敵卿カノアリムージュと相対することになったり、実際にその未来視通り、この世界の攻略は一時絶望的となりかけた。未来視通り帰還が危うい、という事態は何度もあった。
だがそれを乗り越えて今、エリシアらはあろうことかカノアリムージュを味方にしてしまった。しかも、魔法樹ナァントカムイのおまけ付き。こんなもの……どうやれば敗北するのか、帰還出来ないなんて未来視はどこへ行ったのか。
(……ボクの未来視は絶対じゃない。もちろん、単純に未来視が外れたとか未来が変わったとか、その可能性はあるんだけど)
けれど、だったらこの胸のざわめきは何だろう。まだ何も終わっちゃいない。最大の難敵、難関であるカノアリムージュの問題を解決したというのに……まだ、終わっていないと身構えてしまうこの感覚は一体。
そんなエリシアのそわそわした様子に気が付いたのだろうか。カノアリムージュは彼女の方をチラリと見て、ニコリと人懐っこい笑顔を見せる。
「安心していいよ。神は約束を守る。それが人間との間に交わされたものだと言うならなおさら、ね」
まだ疑われている、とエリシアの様子に思ったのだろう。その笑顔は優しくて、一般の人間ならドキンと一発で虜になってしまいそう。
だがそんなエリシアに代わって、その嘘っぽい笑顔に呆れながら答えたのはアザミだった。
「それは、重々知っているさ」
「だろうね。それを十二分に利用してきやがったんだから。ああそれと、ナァントカムイも私の命令無しに勝手はしないから。信用しろとは言わないが、まあそう気を張らないでやってくれ」
胡坐をかいて座るカノアリムージュの後ろにスッと隠れる彼女は、確かにピリピリした警戒心なんて無駄と思わせてくれるような雰囲気をしていた。戦闘中ゆえ気づく余裕が無かったが、こうして停戦してみれば人見知りで臆病な、物静かな女の子にしか見えないのだから不思議。それでいて人外の存在なのだから、なおのこと不思議。
「……それで、だ。私が命じておいてなんだが、それは色々と聞き出せる状態にあるのか?」
本当に‟お前が言うな”案件ではある。カノアリムージュが指さすのは、ナァントカムイに命じて刺させたチルだったのだから。
「……話すくらいなら、まだ出来るよぉ。ギリギリ、だけどね」
アハハ、とその笑顔はぎこちなく力が無かったけれど。でも尽きる寸前の命でも活用できるのなら。最後まで、彼女は神代兵器だったなんて……皮肉な話だ。
ゲホゲホッ、と辛そうな咳に血が混じる。それでも残された力を振り絞って彼女は身を起こした。それを介抱し、支えるメラグロード。せめてこんな時くらいは役に立たねば、と。
「……それで、チルに何を聞きたいのかなぁ?」
演奏も止まり、客席からは完全に客が消えて、打って変わって沈黙したデルフィニウム歌壇場だから。そのか細い声でもしっかりと聞こえた。
「あの……じゃあ、アザミの言った通り、ここはチルさんの見ている夢の世界……で、本当にいいのですか?」
顔を見合わせ、代表してその一番の疑問をぶつけたのはシトラだった。アザミの言った説明でそのことは知ったが、けれどまだ、完全に納得できたか―――と問われたら微妙だったから。
「そう、だねぇ。……うん。チルの力は二つあって、その一つ、かなぁ」
その問いに対する、チルの答え。それでようやく受け入れることが出来た。夢の世界の中にいる、なんて奇想天外な現実をようやく、これで直視できる。信じられないが……神代兵器の人並外れた力を見てきたからこそ、信じざるを得ない。
「チルはねぇ、‟煽唆の花詩”のほかにもう一つ、力を持っているの。それが……‟夢の世界に相手を誘うことが出来る”というものでねぇ」
歌で相手を操るモノとは別。むしろこちらが本命という、チルの力だった。
それは問答無用で相手を眠らせ、自身の見る夢の中へ強制的に引き込むというもの。そこは夢の世界ゆえにチルの自由自在に出来て、その空間内に置いてチルは絶対無敵の存在として君臨出来るのである。紛れもなく最強と言っていい力だ。
しかし、もちろんその強さには制約もある。
「……ただ、その力を使うと現実世界でチルは眠りっぱなしになっちゃうんだよねぇ。戦場のど真ん中で無防備に眠る、なんて有り得ないでしょう?」
だから、実際にその力が猛威を振るったことはそこまで多くなかった。確かに強いその力だが、眠っている間に眠る本体が殺されたら何の意味も無いから。じゃあ眠って無防備なチルを誰か他の神代兵器が守ればいい……というとその通りなのだけど、守るぐらいならその神代兵器も別の場所で戦った方が効率よく夷敵獣を狩れるわけで。
結局、強いのだが使い勝手があまり……というチルの夢の世界である。
「だけど……世界魔法の中じゃ、チルの力……役に立った、ねぇ」
そう言って満足げに彼女は笑う。世界魔法は何でも出来る魔法の空間じゃなくて、イフの一点を再現するだけのものである。その中でチルが‟アイドルになる”とか‟幸せなステージを掴む”とか、そんな夢を叶えるのは難しかっただろう。それが出来たのも、世界魔法の中に自分の‟夢の世界”を作り出して、その中で理想の自分を演じられたからだ。
夢の世界だから、信じられないほど発展した電脳世界があった。
夢の世界だから、チルはアイドルとしてスターダムを駆け上がることが出来た。
もちろん彼女に才能があったというのもあるけれど。でも、ここまでチルがニダヴェリルの主人公になれたのも、ここが彼女の力が作り出した夢の世界だったからに他ならない。それが、最大の理由であった。
「……だから、ボクたちはこの世界魔法に入る時に妙な感覚に襲われたんだね」
ようやく納得。いつもなら世界魔法に入る感覚は、パッと瞬きひとつする間に景色が切り替わっている―――みたいな、本当に一瞬のことなのに。今回の旅だけなぜか、大嵐に巻き込まれたような激しい揺れに見舞われた。
なぜ今回だけ?、とずっと疑問に思っていたのだが、ここが世界魔法じゃ無くてチルの見る夢の世界と知ればそれも納得。あの瞬間、世界魔法に突入したと同時にアザミたちは揃ってチルの力で眠らされてこの夢の世界へ誘われたんだなと思うと、そういうことかとようやく頷ける。
「それじゃあ、ボクらとしてはもうこの世界に用は無いわけだ? だってチルちゃんの本体はこの外に居るんだもんね♪」
「そうだな。さっさとこの夢の世界を出て、眠るチルから鍵を受け取れば終いだ」
ようやく終わりへの道筋が見えて、アザミは流石にその表情の隅に安堵の色を隠し切れない。だってようやく、ようやくこの世界魔法も終わりのめどがついたのだ。
最初はどうしようかと、前途の多難さに頭を抱えもした。チルがアイドルとしてこの世界で夢を叶え、幸せを謳歌している姿―――。そんなものを見れば、果たしてどうすれば彼女にこの世界魔法を諦めてもらえるだろうかって。そんなもの不可能じゃないかとも思ったっけ。
けれど、夢の世界で彼女はもう十分にその幸せを味わっただろう。外の世界で、眠りから覚めたチルと交渉すればきっと、特に不穏なく鍵を譲ってもらうことが出来るはずだ。
それに、ここが夢の世界だと言うならば。目の前に死にかけの傷を負ったチルも、‟実際に死ぬ”わけじゃ無いということだろう? 夢の中で死ねば現実世界の自分が死ぬ……ということも無いだろうし、それじゃあ悪夢なんて今後一生見られないことになる。不気味ではあるし縁起はよくないかもしれないけれど。
「カノアリムージュは?」
「私か? 私も、特にこの世界にもう執着は無い。中途でミラヴァード卿に阻止されたとはいえ、ある程度力の回復は出来たしな」
そう答えたカノアリムージュにも、特に渋る様子は見られなかった。ということで、アザミたちもカノアリムージュらも揃って優先順位は‟この夢から覚めること”で一致したわけだ。まあ、そのために力を貸せと提示したのだから、そうじゃないと困るのだが。
「……ということで、チル。どうすればこの夢から覚めることが出来るんだ?」
「それは……簡単だよ。チルが目を覚ませばいい。それしかこの夢を出る方法は無いからねぇ」
「じゃあ、悪いがそろそろ目覚めて欲しいかな」
幸せで、楽しくて、輝かしくて……。戦場しか知らなかったチルにとって、このニダヴェリルはきっと手放したくないものだろう。
けれど、アザミたちにこれ以上ここへとどまる理由は無い。酷な注文かもしれないけれど、でももう十分に待った。最後のステージがこんな結果、半端に終わったことには同情するけれど、まさか瀕死の状態で再びマイクを握りたいと願うほど強欲でも無いだろう。
「……うん、わかった」
チルは少し躊躇こそ見せたものの、でもそう頷く。色々あって、最後にはぶつかりもしたけれど。
(チルのステージ……もう、ここで終わりなのねぇ)
こんなことになってまでしがみつくのは違う気がしたから。アイドルとして、卒業するタイミングは華々しくありたい。そのためにも、自分の手で区切りを付けられるのなら……もう、ここでいいだろう。
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