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1147話 電脳世界のクルアゥル・フィナーレ(3)

 チルは、その男を見てもはや完全に失望した。よもやここまでとは思っていなかった。迷惑行為に、大声で邪魔をして、挙句の果てにはステージに土足で踏み入って来るだなんて。


「……邪魔、しないで」


 ギリッと歯ぎしりをする彼女の目には呆れと、そしてそれ以上に怒りがあった。

 アイドルにとってステージとは神聖なものだ。アイドルだけじゃない。表現者と呼ばれる者たちにとって、自身のテリトリーであるそこは一種の神域のようなものだろう。しかも、このデルフィニウム歌壇場は皆の憧れで、誰でも立てる場所じゃない。そこに割り入って邪魔をするだなんて万死に値する愚行だった。


「……チルちゃ―――」

「―――やめないよ。演奏、そのまま続けて」


 そんな突然の乱入者……しかも、アザミ・ミラヴァードだけじゃなくて4人もいる。

 それを前に不安そうな顔をのぞかせたサポートメンバーに、しかしチルははっきりとそう告げた。演奏を、ライブをここで終わらせたりはしない。


「……了解。アンタがそう言うなら、んじゃアタシらはその通りにするだけだ」


 サポートメンバーは、あくまでメインの‟支援サポート”にしかなれない。主役になれない、どうあったって脇役でサブなのだ。主役が舞台を続けると言っている以上、脇役である彼女らがそれをやめていい理由はどこにも無かった。


「なぁ、チル! 聞いてくれ! 今このライブで―――」

「聞く必要、ないよねぇ。言ったはずだよ? あれ、それとも言ってなかった? ……まあどっちでもいいや」


 チルの目は本気だった。眩しいスポットライトの逆光のせいでアザミたちの顔もわりと見づらくて、でも、その逆にあるアザミたちからはチルの表情がくっきりはっきりと見えた。その瞳に灯る本気の軽蔑も、そしてその眼がこのデルフィニウム歌壇場に起きていることをおおよそ理解して……‟いる”のだろうことも。


「チルはねぇ、やっとの思いでこの夢を叶えたの。まだまだこんなんじゃ足りない、まだあの人に届かないから……。だから、邪魔をするなら誰だって……許さないよ?」


 ライブはやめない。歌も踊りも止めない。アイドルで在ることも、一度乗ったステージを途中で降りる真似もしない。

 たとえ誰に邪魔されたって。たとえ、‟誰がこのギャラリーで死んだって”。客席で何か起きている? 何か不穏、いつもと違うことが起きている? そんなこと、チルはとっくに‟気が付いていた”。


「……救いたいって思わないのか。何が起きているか、なんでこんなことになっているのかを知りたいと思わないのか」

「思わない、かなぁ。そもそも、チルはことの‟詳細まで”理解してるわけじゃ無いよぉ? あまりにも‟血の匂い”がするから、何か起きてるなーって感じてるだけで」


 そう言えば彼女は神代兵器だ。あまりにも当たり前すぎて、アザミたちですら言われてやっと「そう言えば」と感じた程度。そりゃあ、あれだけの数の人間がこの場で死を選んでいるのだ。死体は消えて、血の滓も塵に消える不思議な状況だからって、その匂いはいやでも滲む。たとえ僅かだったとしても、戦場でそれを嫌というほど嗅いできた人間にとっては、むしろ無臭の現実こそ違和感。だからこの懐かしさに自然と鼻が開く。


「……でも、関係ないよねぇ。チルはアイドルとしてこの舞台に立っているんだもん。決して神代兵器チルとしてじゃない。何人も、もう救わなくていいし、もう気にしなくてもいい」

「そのせいで何人死んだとしても、か」

「うん? チルは、‟アイドルになるって夢が叶えばそれでいいんだよ”?」


 ああ……その真っ直ぐで純粋な眼は、最初からそうだった。彼女にとってはニダヴェリルなんて最初から守りたい場所じゃ無かった。彼女が守りたい、手放したくないのはこのステージだけ。それさえ守れれば究極、どうでもいいのだろう。


「アンタ、おか……」


 おかしい―――、そう言いかけて、アザミの喉はそれを途中で止めた。ああ、そんなこと今更だ。ただの一度だって、神代兵器がまともだったことなんてあっただろうか。そんなもの、いつだって理想でしか無かったじゃないか。


「……長話しすぎたね。あーあ。一番のサビ、終わっちゃったぁ。二番からは歌いたいから、もう邪魔させないからねぇ?」


 ずっと奏で続けられていたメロディの方が、チルにとってはギャラリーの惨状よりも気になることらしい。そんなことを平気で口にする彼女は、今この瞬間、何よりも神代兵器という存在そのものだった。アザミはようやく、そこに戦場の面影を見た。戦場なんてすっかり忘れて幸せになろうとしている彼女だと思っていたけれど、なんだ。どこまでいっても、それは‟神代兵器”であることから逃れられないらしい。


 普通の人間とはどこかネジが外れている。結局、アザミやシトラ、戦場に生きた者たちと同じだ。


「……チル。アンタがステージを優先する気持ちと同じで、俺たちはこの状況を何とかすることを優先にしてるんだ。なぁ、何か知らないか? どう考えたってこの状況、このステージが全ての元凶としか思えないんだよ!」

「……そう。なら、戦争だねぇ。知ってる? あらゆる物事を妥協し、譲ってを繰り返して、それでも譲れないものがいつだって戦争の火種になるんだよぉ。……アザミお兄さんがチルの邪魔をするなら、言ったでしょ? チルは、そんなアザミお兄さんを許さないって」


 ギロリとひと睨みして、チルはマイクをギュッと握りしめた。カチッと親指ではじいてそのスイッチを入れて、宣言通り、二番からその歌声を再開させる。


「待てよ! なあ、頼むから話を―――」


 アザミが手を伸ばし、懇願して、縋っても、もう届かない。妥協も譲りも全てし尽くした。チルの想いは、覚悟は、とうの昔から少しも揺らがないと知っている。だって、それは神代100万年分の想いなのだ。最初から譲るつもりなんて毛頭なかった。

 

『―――花に手を伸ばす、汚い手の君なんて吹っ飛んじゃえ♪』


 それは正規の歌詞なのか、それともチルがアドリブで奏でた只の歌詞ハメなのか。アイドルらしからぬ物騒な歌詞だし、きっとそれは後者なのだろう。

 だが、それがどちらであるかなんてことを考えている余裕はアザミに無かった。


「えっ―――」


 なぜなら、チルの歌ったその歌が耳に入ってきたその瞬間、有無を言わさずアザミの身体は浮き上がって、そのまま後方へすさまじい勢いで吹き飛ばされたから。


「アザミっ!」


 その、突然の出来事に叫んだシトラの声もだいぶ遠くに聞こえる。

 ああそうか、自分は吹っ飛ばされたんだな……と気が付いたのは、さっきまで立っていたはずのステージが遠くに見えてからだった。そして、遅れて背中に激痛が走る。あの勢いで客席に直球、ぶつけられたのだからその痛みも当然だろう。


(な、にが……起きた?)


 モーションは無かった。攻撃の素振りも、敵意すらそこに無かったのに。気が付くと体が勝手に吹き飛ばされて、客席を破壊して直撃しているなんて。

 まだ理解の追い付いていない頭で、それでもアザミは立ち上がる。どれほどの勢いでぶつかったのだろう。立ち上がるのに合わせて崩れた座席の破片がパラパラと床に落ちる。

 少なくとも分かっているのは、さっきのは紛れもなくチルの攻撃であるということ。宣戦布告、神代兵器から攻撃を受けた―――という事実だけが確定。切った口の隅より流れる血をごしごしと拭って、アザミの目に真剣な光が灯る。

 さっきまでみたいな、話し合いで何とか解決させよう……というのは、どうやら無理らしい。交渉は決裂。戦いたくは無いし、戦う理由も一見無いけれど、でもこうなった以上それはどうにも避けられそうになくて。


「……自己加速術式」


 足に魔法陣を展開させて、たった一度床を蹴るだけで。アザミの身体は弾丸のように加速し、そして再びチルの歌い踊るステージの上まで戻って来た。


「あっ、おかえり♪」

「えらく軽薄なお迎えをどうも、エリシア。そんなことより、さっきの攻撃……」

「うん、そだね♪ ……歌詞の内容と、アザミ君の行動が一致してたね♪」


 吹き飛ばされ、立ち上がり、そして舞台に復帰する。

 それだけ時間があれば、あの刹那では理解できなかったことでも、仕組みに頷くには十分すぎた。隣でコクリと首を縦に振った彼女エリシアの反応的にも、それはきっと正解なのだろう。


(……へぇ、驚いたなぁ。まさか一撃で見抜かれちゃうなんてねぇ)


 そんなアザミたちの経験値にチルも内心でクスリと微笑む。隠し通せるつもりも無かったが、でもまさかたった一撃でチルの武器がどのようなものかを見抜かれてしまうとは予想外……いいや、予想以上だった。

※今話更新段階でのいいね総数→3722(ありがとうございます!!)

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