1127話 穴嵓ファーストステップス(3)
「この先が地下の国ですか……」
深淵の不気味さを覚えるその地下深くに繋がる大穴。その淵を沿うように設置された螺旋階段にメラグロードは足をかけようとする。が、
「あー、死にたくないなら少し待った方がいいかもですよぅ?」
そんな彼に不穏な言葉が飛ぶ。当然、ピタリとメラグロードの足は止まった。ちょうどあと一歩でも進んだら右足が螺旋階段の一段目に差し掛かっていたであろうギリギリのところで。
「アッハッハッハ、何の仕掛けも無く階段を放置していやがるわけがないじゃないですかぁ。踏めば高圧電力の餌食で今頃まる焼けですよ」
笑い事じゃない。メラグロードは危うく死にかけたことにゾッとする。まあ、メラグロードもあのエリシアの副官を務められるほどの強者だから、多少の電流に曝されたぐらいでは何ともないのだが……。それでも、全くの無傷では済まなかっただろう。
「そう言えばそうだね♪ ふっふ、メラグロード君らしからぬ軽率な行動じゃん。冷静に考えればさ、何の扉も無く螺旋階段があるって、ここまでの警戒模様からすれば違和感しかないもんね♪」
「……すみません、エリシア。俺が油断していました」
「うん、仕方ないよ♪ 別に怒ってないしね。ただメラグロード君にしては珍しいなぁって思っただけ♪」
グッと唇を噛むメラグロードは本気で悔しがっているようだった。確かに、普段は冷静沈着で‟the仕事人”というイメージの強いメラグロードにしては珍しい。それだけ、地下の世界の不穏な誘いが変に緊張感あるモノということだろう。
「ポチッとな! さて、これで安全に通行できるようになりましたよ!」
壁に据え付けられていたスイッチの、そのレバーをガシャンと下におろす。それによってゴウンゴウンと響いていた重低音がシューッと消えていったのを感じる。反響。なるほど、さっきからの音は地下と地上を繋ぐ道に設けられた最後の砦によるものだったのだろう。
「……じゃあ、これで」
恐る恐る、アザミはその螺旋階段に一歩踏み出す。カツン―――と鋭く響いたその足音。けれど、アザミの心臓はまだドクンドクンといつものような心音を奏でていた。それでも心なしか少しビリビリしたものを覚えるのは、きっと気のせいだろう。
アザミを先頭に、彼らは無言で螺旋階段を下っていく。そのおかげで、いくつもの足音同士が反響し合って不気味に響いていた。つい足が縺れそうになる、やっぱりそれは魔窟だ。
「一体どのくらいあるのでしょうか……」
上から底を見下ろした時、暗闇の中で地面は見えなかった。随分長く歩いた気もするし、地下の世界とはいったいどれほどの場所にあるのだろう。少し不安の混じったシトラの言葉もよく分かる。戦場における生き死にだとかには強いシトラでも、先行きの無い事への不安だとか未知への人並な恐怖感情は持ち合わせているから。
「どのくらい……か。けれど実は案外、どうってこともないかもしれないぞ?」
しかし足元をチラッと見て、アザミはフッと余裕そうに笑うのだった。確かに上から見た限りじゃその道のりは果てしなく思えたし、実際に歩いてみて長いなとも感じる。
けれど一段一段をよく見ると、その幅がわりと広いことを知る。あの規模の大穴の、側面を沿うようにグルグルと伸びた螺旋階段ゆえに長く思えるだけで、直線で落下する分には案外そうでもないのかもしれない。
(だってもしも地下何百メートルとかに世界を築いているのだとしたら、朝の散歩で居合わせたあの穴から覗いた光景がおかしなものになってしまうからな)
そこだけ特別地上との距離が近いのだ、という可能性もあるが。だがそうだとしても、入り口だけその何倍も深くにあるのは変だ。
そんなアザミの所感を裏付けるみたいに、それから少しして彼らの足は螺旋階段の旅を終えた。あの見下ろした深さから思った感じからすると、案外果てのあった道のりだ。
「確かに、そんなに深くは無かったですね」
「だろ? 見上げればさっきまで俺たちがいた場所が見えるしな。単に明るい所から暗い所を見るのは難しいが、逆に暗い所から明るい所ははっきりと見える。そのロジックなだけだったんだよ」
地下の世界、螺旋階段で繋がったその下。そこはろくに明かりも無いせいで薄暗く、じめっとした嫌な感じのする空間だった。
「よいしょっと。さて、先へ行きますですよぅ!」
カジカは階段の下にあったレバーを上にガタンと持ち上げる。瞬間、再びタービンの回るみたいな重低音がぐわんぐわんと地下空間に響き始めた。螺旋階段に再び電流が走り始めた、ということだろう。まったく徹底された繋がりの排除だ。それはまるで別世界。地下の世界を完全に無いものとするかのような、完全なる拒絶だった。
(……やっぱりどこかやりすぎ感がするよなぁ)
さも当たり前みたく振る舞うカジカだが、それを第三者的視点からみるとやはり異常に思えるのだった。いっそう、この先に待つものへの期待が高まる。さて、一体何をそこまで忌避しているのだろうかと。
ガチャンと重たい扉を開けて、しばらく一本道を進む。何もない空間だが、恐らくここも何らかで監視されているのだろう。
「今はカジカさんが私たちを案内してくれているから何も困らない、というだけでしょうか」
「そういうことだろうな、きっと。だからもし俺たちだけで勝手に赴いていたとしたら……まあ、厄介なことになっただろうな」
ゾッとはしない。だってきっとその程度じゃ死なないと自信があるから。よっぽどの罠、神を殺すだとかそのレベルなら即お陀仏だろうが、並みの人間を引っ掛けるため‟程度”のトラップは苦労こそすれ殺されるレベルじゃ無かっただろうから。それはただ厄介で、面倒というだけだ。
(それにしてもここまでガチガチに警備していながら、どうしてあの男はここを突破出来たんだろうな)
機械兵のお出迎え、塀と砂漠で完全に隔絶されたその入り口。電流の仕掛けられた螺旋階段に、きっと普段は罠がもりもりなのだろう長い廊下。その異常過ぎるまでのおもてなしを知るたびに、あの爆弾未遂犯がどうやってこれを突破出来たのかの謎が深まっていく。
神代兵器だとか騎士団の幹部クラスだとか、そのレベルの人間であればそれも分かるのだ。彼らにとってはこの程度の罠は足止めにすらならないだろうから。けれど、アザミが取り押さえたあの男はどう考えても素人だ。あっさりと暴かれて阻止される彼が、この守りを突破できるだけのエキスパートだったとは到底思えない。
(相当の運を持っているのか、突破しただけで力を使い果たしたのか、それとも……)
到着し歩いているものの、まだはっきりとその眼には見えていない地下の世界。そこに感じる不穏がいっそう深まったのを覚えて、アザミはごくりと唾を飲み込んだ。考えられる可能性……あるいは、まさか。
「……何らかの協力者の存在、か。しかも、俺たちに匹敵するかあるいはそれ以上の奴がここにいると?」
まさか……とは思う。有り得るのか、と半信半疑。
けれどそう考えたら妙にしっくりくるのだ。不相応な男がこの徹底された守りを突破出来た理由も、そしてノアと地上の世界がこうまでして地下を恐れる理由も。
「大丈夫です? アザミさん。妙に緊張していやがるみたいですよ」
「あ、ああ。悪いな。そろそろアンタらのひた隠す地下の世界のお出ましだって思うとやっぱり緊張がな」
「ふふっ、案外人間っぽい所もありやがるんですね! では、心の準備が出来やがったら教えてくださいね。ちょうど私の手は今、その入り口にかかっているんで」
立ちふさがる重々しい扉。その取っ手をギュッと抱きしめてカジカはコロコロと笑う。その先にあるのが、ようやく地下の世界というわけだ。アザミは一度軽く空気を吸って、ふぅーっと吐き出した。
少し湿っていて嫌な感じのある空気だ。けれどそんなものでも、少し逸った気を落ち着けるのには十分。
「……よし。開けてくれ」
「あいあい了解です! では、ようこそ―――」
敬礼し、カジカは一気にその扉を押し開けた。
その先に広がっていたのは―――
「ようこそ、‟愛すべき穴嵓の世界へ!」
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