1124話 薄明彷徨のトワイライト(4)
(それにしても、地下の世界か)
その言葉を初めて聞いたのは、それこそ初めてアザミたちがチルのライブの警護なんて任務を請け負ったあの時だ。客席で爆弾騒ぎを起こそうとした不審な男をアザミが取り押さえてその計画は未然に阻止された。その時、カジカが件の犯人を地下の人間と呼んだのが恐らく最初だった。
その時に覚えた不穏な響きだなという感想は、どうやら現実のものになろうとしているらしい。世界魔法の旅もこれで六回目だし、厄介ごとに巻き込まれた回数なら逆行前も合わせて数えきれないほどだ。それこそ、聖剣魔術学園時代なんて一学期ごとに面倒なことに付き合わされていた気がする。
だから、そろそろ慣れて来ていた。アザミがそれを回避しようとしても、残念。厄介事はそちらの方から飛び込んでくるのだから。アザミは「はぁー」とため息をつく。その勘が告げていたのは、地下の世界がこれから何らかの面倒ごとを生む火種になりそうな予感だった。ノアに支配されているがゆえに完璧な地上と、その支配が無い、すなわちノアに見捨てられた人間に非ず者たちが暮らす不完全な地下の世界なんて。どう考えたって相容れないだろうし、火薬庫になりそうな予感しかしない。
「俺が思うに、ニダヴェリルにとって‟地下の世界”っていうのは一種の歪みなんだ」
「歪み……ですか? すみません、あまりピンと来ないのですが……」
「いや、仕方ない。俺も曖昧にしか整理できていないんだ」
そう言ってアザミは軽く息を吐いて、数歩歩く間に頭をいったん落ち着ける。
「つまりだな、完璧なノアの支配ってやつに綻びを生じさせる存在ってわけだ。なんせ、このニダヴェリルにおける究極までの効率化っていうのはノアの卓越した計算能力が為したことだろう? この地上に生きる人間すべてを監視して、ありとあらゆる機械に干渉して生み出した完璧に均衡のとれた世界だ。けれど、それは陽の当たるここだけの話。それの届かない地下は、ノアにとっていわゆる‟想定外”の有り得る場所なんだよ」
だから、あの爆弾未遂をノアは予知できなかった。この世界の住人であれば等しくノアの支配下にあるがゆえに何を企出も無駄だけれど、ノアに選ばれなかったおかげでその支配を逃れた地下の住人であればそれも例外となれるから。
「この世界の秩序はノアという機械仕掛けの神様が起こす完璧な予測演算をもとに成り立っているからな。それを狂わす可能性のある‟歪み”は極力排除したいのさ。だから―――」
「なるほど。それで地下なんて追放地を作って、そこに不必要な人間を集めているのですね。すべては……この地上を完璧な楽園とするために」
それを口にしたシトラの表情は浮かないものだった。実際に口にしてみればいっそう感じる、この世界の‟いびつさ”。パッと見は元の世界とは比べ物にならないほどの技術力によって発展した近未来の優れた世界。効率性に優れ、合理的で、人間味は無いけれど、でもそれはきっと間違いのない世界なのだろう。
でもその理由が、間違い自体を有り得ないものとしているがゆえだと知れば見方も180度変わってしまう。笑顔の絶えない世界を作るために、笑わない暗い顔の人間を殺すようなものだ。幸せな人間しかいない世界を作りたいのならば、不幸せの人間を削除するのが最も手っ取り早く単純だ。
それは機械だからこそ辿り着ける残酷で、そして何とも機械的なユートピアである。
人間じゃそこに辿り着けないのは、単にそこまで非道にはなり切れないからだ。だからやっぱりそれはディストピアでしかない。
そんなこのニダヴェリルの根底にある深淵の闇。まさにあの穴より見た世界がその深淵なのだ。
それを一度見て、一度知ってしまったら。
「……どうしますか」
「どうするもこうするも、分かっての通りだ」
シトラはごくりと隣を歩くアザミの目を見やる。いびつで歪んだ世界は正しく戻されるべきだ。正義感に照らし合わせるのであれば、シトラの思い描いていることはきっと正しいのだろう。
「結局、俺たちには何も出来ない。それだけだよ」
けれど、正しい事と、じゃあそれを出来るのかどうかはまた別の話。妄想や空想ではどんなデカいことも言える。でも実際にそれを為せるかで言うとまた別問題なのだ。
「ですが……こんな世界、間違っています」
「それは俺たちの常識で考えればの話だ。この世界じゃこれが当たり前なんだから、所詮俺たちが口を挟める問題じゃない」
自分たちの正義感でよその世界の問題に突っ込むのは身勝手というやつだ。行き過ぎた正義感。世界が変われば常識も変わる。アザミたちから見ればここは不気味なディストピアでも、この世界に住まう者たちからすればユートピアなのかもしれないから。
「まあそういうことだから、ただ俺たちが違和感を感じるってだけで正義を執行するみたいな真似は出来ない。それは分不相応な過ぎた真似だからな」
「それは……はい。アザミの言う通り、です」
彼女の中にはいまいち納得できていない部分もあるのだろう。けれど言い返せない。アザミの理屈を崩すだけの言葉を準備できないから、結局引き下がるしか無いのだった。
「でも、それはあくまで俺たちから動けないってだけだ。だからもし、この世界の誰かからそれを否定されたら……」
「その時はその限りじゃない、と?」
アザミは頷いた。自分たちの常識では間違っているからと言って、別世界の常識に茶々を入れるのは侵略者のごとき傲慢なことだ。
けれど、もしこの世界に生ける者からそれを否定されて、アザミたちがその否定に賛同するという形なのであれば……
「まったく、相変わらず面倒な方ですね。結局アザミだってニダヴェリルの在り方は間違っていると思っているんじゃないですか」
「面倒とはなんだ。まあ回りくどいっていうのは認めるが、けれど体裁というのは案外大事なんだぞ? これがしっかりていないと自分たちを正当化できない。正しくないものには総じて誰も付き従ってくれないものだからな」
やれやれ、と肩をすくめるシトラにその点だけは否定したいアザミ。彼もまた、こんな歪んだ世界を認めたくないと思ってはいた。けれどそれを正面切って否定は出来ないのだ。なんせ、そんな侵略者のような行為をする者を誰が認めてくれるだろうか。
「……そういうものですか?」
「そういうものなんだよ」
むーっと頬を膨らませるシトラ。難しい話は苦手だった。理屈とか駆け引きとか、昔と比べたらそれも出来るようにはなったし、理解も少しなら出来るようになった。だがやっぱり嫌いなものは嫌いだ。シトラは目の前の相手を駆け引きでどうにかするよりも、なら一歩踏み込んでその胴を一刀両断にした方が早いですよねなんてことを真顔で言える脳まで筋肉な娘なのだから。
「だから、ひとまず地下の世界について調べてみたいな。可能ならそこへ実際に赴ければいいのだが……」
「確か出入り口として地上と地下を繋げている場所は北西区にあるのでしたね。とりあえず、そこを訪ねてみますか?」
「うーん。穴を開けてダイレクトに侵入するのはともすれば管理局を敵に回しかねないし、それに高さ次第じゃ万一のことだってある。そうだな。シトラの言う通り、正規の入り口を頼ってみるのが一番合理的かもな」
これでやるべきことは決まった。朝の散歩を追えれば朝食の時間で、それを済ませれば本格的に一日が始まる。その一日をこれまでは管理局の手伝いやらチルとの関係性を深めるやらに使っていたのだが、それも今日この瞬間から変更だ。
(……って、よくよく考えてみれば今回は俺たちの方から厄介ごとに歩み寄ろうとしていないか?)
まあ面倒ごとが待っているのだろうなと分かっていながら、地下の世界を探ることを決めたアザミたち。今のところ争いごとは無く、血生臭い出来事も無いこの世界魔法だが……どうやらそれもここまでか。
「何となくだが、この道を選ぶと平穏にはことが終わらない気がするな」
「奇遇ですね。私も同じことを感じましたよ」
けれど、それも覚悟の上だ。そもそも世界魔法が平穏無事に終わったことなんて無いし、どうせそうはならないんだろうなと諦めているから。
元魔王と元勇者の双子で、時間逆行なんて奇跡を起こし、そして一度世界を救った彼と彼女の嗅覚が同時にそれを嗅ぎ当てたのなら。
まあとにもかくにも、アザミの鼻が正しければここからはよりいっそう不穏が加速するというわけだ。
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