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1110話 閑話秘言のイルーシヴ(2)

(お? 雰囲気が多少和らいだ、な)


 理由は分からずとも、アザミがその口で「敵対したくない」とはっきり言ったからだろうか。さっき一瞬感じた冷たい感じは、ほんの少しではあるがマシなものになっていた。もちろん完全に彼女の警戒心から外れたというわけじゃない。けれど、一方的に敵だなんて言われて拒絶される―――なんてことも、どうやら回避できたみたいだ。


「そのままの意味だ。アンタが俺たちの敵、つまりこの世界にとっての悪なら、関係性はおのずと相対するものになるだろう。だが、もしそうでないのなら……その時は別に、俺はアンタの邪魔になるつもりはないよ」


 今なら、とアザミは饒舌にその理由を語った。この機を逃せばあるいはもう聞く耳を持ってくれないかもしれないから。でも、その甲斐あってどうやらアザミの立場はチルに届いたようだ。


「……じゃあ、安心だね。だってチルは悪ものじゃないよ」

「だといいんだがな……」


 そう言ってニコリと穏やかな笑顔を見せた彼女に、けれどアザミはどこか訝しむような視線を向ける。そう、チルが自分で自分を悪人じゃないと言ったから、じゃあそれを素直に「ああよかった~」なんて無条件に信じて受け入れるほど、アザミは馬鹿じゃない。人は平気で嘘をつく。特に、彼女はアイドルだ。本当の自分とは別の、アイドルとして求められている自分を演じて舞台上に描き出す―――むしろ‟嘘”なんてチルにとっては得意も得意じゃないか。


「なあ。アンタは本当に絡んでいないのか? この世界で、この電脳世界ニダヴェリルで最近起きている不穏な時流にさ」

「不穏? さあ、チルは全然心当たり無いかも?」


 問い詰めるアザミに、彼女は「うーん」と首を傾げる。心当たりがない、何を言っているのか上手く理解できない。そういった表情、そういった瞳でだ。


(……どうにも、嘘をついているようには見えないんだよな)


 それは本当のように見えた。アザミは魔王時代より、人の悪意というものに多々触れてきた。謀ろうと近づいてきた人間だって一人や二人じゃない。それこそ数えきれないほどいるし、そしてもしそれに気が付けなければ国は根底から沈み終わってしまう。そうならないために、アザミは昔からそれを見抜く勘を鍛えてきた。そのおかげで、アザミは嘘というものにとても敏感に気がつく。


 そんなアザミが、チルの表情を見て‟嘘をついていない”と感じたということは、きっとその可能性が高いのだろう。彼女が神代兵器ゆえアザミなんて目じゃ無いほどの経験を重ねており、かつアイドルなんて日常から嘘をつき続けるようなものを生業としていることを考慮しても、どうしたってそれが嘘吐きの顔には見えなかったのだ。


「けれど、だとしたらどうして……」


 しかし、そうなると一つ気がかりなことがある。そもそもアザミが慌ててここを、チルを訪ねてきた理由がそれだったから。


「本当に何も関係ないんだよな?」

「そんな何度も聞いたって変わらないよぉ? さっきから言ってる通り、チルは何も知らないの。‟何も”って言われても、そもそも‟何”すら分かってないんだもん」

「革命だ。この電脳世界には地上と地下があって、その地下の方で今不穏な動きがあるらしくてな。それこそ、今日のライブだって危うく爆弾騒ぎが起きるところだったんだぞ?」

「革命? 地下? んー……ごめんなさいだけど、チルには思い当たる節が無いかも」


 改めて考え直してみても、やっぱり何も思い当たらない。その仕草も、何かを知っていながら誤魔化しているようには見えない。


「……ところで、爆弾騒ぎになりかけたことに関しては驚かないのな」

「ああうん。だって知ってたもん」

「知ってた?」

「違う違う、怖い顔しないで。分かるよ。たとえステージの上にいても、歌って踊ってても、やっぱり……体が反応しちゃうの」

「……そういうことか。ハハッ、それは嫌だな」


 ギュッと胸を抱えて、苦々しく笑った少女。やっぱり嘘はない。悲しいかな、寂しいかな。この世界でアイドルになるという夢を叶えたところで、チルは相変わらず神代兵器だったのだ。長い間戦場で過ごした経験はそう簡単に消えるものじゃない。殺気、敵意、そういった類の感情に敏感になるのは、アザミやシトラと何ら変わりないのだった。アザミやシトラが暗く盛り上がった会場内で、それでも逃すことなくあの男の悪意を捕捉したのと同じで、チルもステージの上で自分が狙われている……あるいは、自分のライブが邪魔されようとしているということには気が付いていた。


「だから、ありがとうね。チルじゃ気が付いたってどうにもできなかった。でも、あなたが止めてくれたんだよね。見てたよ。えっと……」

「アザミだ。アザミ・ミラヴァード」

「うん! ありがとう、アザミお兄さん。チルの夢を守ってくれて、本当にありがとう」


 少し気恥しそうに鼻を掻いたアザミの手を、彼女はギュッと握ってブンブンと上下に振る。もしアザミが今日、この会場に居なければ、もしかするとチルのアイドルとしての夢はここで終わっていたかもしれない。それを思うと、彼女にとっては命の恩人も同じなのだった。


 そういえば、もうすっかりチルから警戒心も敵意も抜けていた。自分を救ってくれたことも、物言いからしてアザミがどうやら何かチルにとって悪いことを企んでいるわけでもないことも、話しているうちに分かったのだろう。


「そうだ。アザミお兄さんはさっき世界魔法って言ったよね。それってやっぱり、チルのこと知ってるの?」

「アンタが神代兵器だってことをか? ああ、知っている」

「そっか……。知っちゃってるんだぁ」


 恥ずかしそうに、と言うよりかはバツの悪そうに彼女は笑う。まあ、出来ることなら誰も知らない方が良かっただろう。ステージの上で楽しそうに歌って、踊って、笑顔を振りまくアイドルが、実はかつて神代を守るために生みだされ、そのためだけに戦い生きてきた兵器の少女だ―――なんて知られれば、きっとサイリウムなんて一本も灯らないだろうから。獣とはいえ、死の概念が希薄になる世界で生きた経験のある少女だなんて、応援したくなるよりも恐ろしいという感情が勝ってしまうだろう。


「ほかの子にはもう会った?」

「ああ。この世界魔法で最後だ」

「え!? やった。じゃあチルが‟大トリ”なんだね?」

「あー……いや、まだスイには会っていないから、それは悪いな。多分違う」

「ちぇーっ。なぁんだ。ちょっと期待しちゃったじゃん!」

「やっぱり最後の方がいいのか? その、出来るだけ長く世界魔法を維持するためにも」

「それもあるけど、チルはアイドルだから! トリという言葉には憧れるのです」


 パァーッと輝いていた顔は、少し残念そうに萎んで。けれど「まあ、スイには誰も勝てないから実質チルがトリだもん!」なんてポジティブに切り替えていた。


「そんなに違うのか? やっぱ、スイって少女は。神代兵器の中でもひときわ目立ってるんだろうなってのは、会って無くても聞いた話的に感じるんだが」

「そりゃあね。スイは最強だもん。あの子だけは特別なの。だって……」


 言いかけて、しかしチルは「やめとく」と首を横に振った。


「他の子の話はやっぱダメ。チルだったら自分のことペラペラ吹聴されてたら嫌だもん」

「それも確かにそうだな。じゃあ、ちなみに聞くと、俺がアンタのことをすでに知っていたことについては……」

「もちろん、ムカついてるよ! でもどうせ誰が喋ったかなんて分かってるから、別にいいけど」

「へぇ。聞いてもいいか?」

「ロキちゃんでしょ」

「ああ。正解だ。やっぱりアレはお喋りなやつって印象で通っているんだな」


 迷うことなく、間髪入れずに即答した彼女にアザミはハハハと笑う。世界魔法という垣根を越えて、こうして誰かの話題で笑い合えるのは、ここまで関わって来た縁のおかげだなぁなんて、最後の世界魔法ゆえか少ししみじみと感じてしまうのだった。


「ロキちゃんは仕方ないよぉ。あの子は黙ることが出来ないタイプの子だもん」


 それにしたって、中々にひどい言い様だとは思うが。

※今話更新段階でのいいね総数→3693(ありがとうございます!!)

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