1075話 静かな雨
(さよなら、アザミ・ミラヴァード。……ありがとうね。あなたのおかげで私、最後に自分らしさを取り戻せたから)
死にゆくものへ、せめてもの感謝を。ミリャは口の片隅に小さく笑みを浮かべた。
最初は気に食わなくて、途中は気持ち悪くて、苦しくて。でも最後には救われた。話に聞いただけだとしても、この人が他の神代兵器たちと出会い、物語を紡いできたということが理解できる気がする。
とんでもない馬鹿で、超が付くほどのお人よしで、誰かのために自分を危険にさらすことも厭わない。
それはまるで、彼女たちの良く知るセイラム・アガトレイヌという青年のよう。ああ、だからみんな、この人のことを信じて共にあることを心地よいと思ったんだ。
ちょんっと杖を振るえば、集まった光の線の束が粛々とアザミの命を絶つだろう。そして、それに関してミリャは手心を加えるつもりなんて一縷も思っていなかった。戦場で見えた以上、どんな事情があれそれは倒すべき敵だ。その終わり方はどちらかの敗北、どちらかの死でしか成立しえない。だから、ミリャは容赦せずにその錬金術を形とする―――
つもり、だった。
「‟幻影反転”っ、と。これで貸し2だよ? まおーさまっ」
張り詰めた戦場、避けようなんて無かったはずの運命を嘲笑うみたいに飄々と響いた声。
その声、その詠唱にミリャの動きがピクリと止まる。目に見えない糸で雁字搦めに縛られたみたいに、指先の一本すらその瞬間は動かすことを許されない。
「なん……で……?」
ミリャは、与えるはずだった死の錬金術を止めた声の主、シルリシアの方を見やる。まるで壊れた人形のようにギギギと軋む音聞こえてきそうな、ぎこちのない動きで首を動かして。
「この術式は、まさかあの時の―――」
「そう。あの時のアレだけど、今は懐かしんでる場合じゃ無いでしょ!?」
‟幻影反転”。見覚えのあるその術式にハッとするアザミに、シルリシアは慌てた様子で叫ぶ。その声で我に返ったアザミ、危ない危ない。せっかく‟奥の手”使ってアザミを救い、遅れた一歩を間に合わせる手伝いをしてあげたというのに。危うくそれを無駄にされるところだった。
(貸し2、か。ハハッ、一つ目は‟邑淑”でのことだろ?)
今ようやく謎が解けた。それは二つ前の世界魔法でのこと。神代兵器ユドエルとの最終決戦で、その決着を付けられたのは、いきなり乱入してきたシスカという少女のおかげだった。その‟想定外”がユドエルに勝つために必要だった‟あと一手”となり、アザミはその戦いに勝利したのだが……。
そこに一つ、未解決のまま残されていた疑念があった。それは、なぜシスカという少女がその場に現れたのかということ。
邑淑という場所に開いたその世界魔法内じゃ‟夜鳴きの魔女”として知られていた彼女とその時戦っていたはずだったのが、シルリシア。なんだかんだで「何があったんだ?」と聞けずじまいだったのだが、その謎が今になってようやく解けた。
(カラクリは分からないが、シルリシアの幻影術式であの時も、そして今も俺を助けてくれたんだな)
感謝してもしきれない。危うく、わざわざ無謀なリスクを冒してミリャの在り方を説いておきながら敗北して死ぬという、それはもう恥ずかしさ極まれりな馬鹿野郎になるところだった。
「天属性魔術、‟天壁”!」
シルリシアのおかげでミリャが一瞬動きを止め、そしてその一瞬だけでもアザミにとっては追いつくのに十分な時間だった。視界の片隅でシルリシアがひらひらと手を振るのが見える。手助け、窮地を救ったのでそれは打ち止めだ。あとはアザミで何とかしてよ、とシルリシアの声が聞こえてくるような。
その音のない声に、アザミは「ああ」と頷いた。ミリャが最後の力で真価を示してきたのなら、アザミも出し惜しみなく最高の守りでそれを正面から受け止める。
「ぐぬぬっ……!」
アザミの展開させた虹色に輝く光のベールと、ミリャの紡いだ死という魅惑的な輝きの糸がぶつかり合い、それはもう、言葉にし難いほど美しい現像的な光景を作り出した。天属性魔術、その中でも‟天壁”という術式はアザミの知る中で最高峰の防衛術式だ。もしこれが貫かれれば、アザミにはもう身を守るすべが残されていない。
しかし、逆にここで守りが死を凌駕しさえすれば。それはすなわち、ミリャの攻撃はアザミにもう通用しないという勝利宣言と同義だった。
勝負も戦闘も、始まるまではダラダラと事情が渦巻いていたり。始まってからも睨み合いや牽制のし合いでのんびり進んだりする。
けれど決まって、決着がつく瞬間というのはいつだって一瞬で突然だ。どんな熱戦の結末ですら、それは例外なく淡々とやってくるのだから。
「星の雨、だな―――」
思わず呟いてしまったアザミの一言。それに違わず、割れた天壁、その散った光がキラキラと輝いて、それはまるで星空が降ってきているようだった。
けれど、それはミリャの錬金術がアザミの守護を突破したということじゃない。それは相討ちだった。ミリャの錬金術はアザミの天属性魔術を破壊したが、だがそれまで。貫くには至らなくて、それはつまり……‟届かなかった”以上、守る側の勝利だった。
「天属性魔術、‟天雨”」
それをグッと噛み、アザミは最後の一手を放った。それは‟返し技術式”の強化版。反転した死は雨のように逃れようなんて与えず、ミリャの身体を打った。
「……私、ミリャちゃん……負けた、んだ」
フワフワと舞う光の粒の中、彼女はふらりと立ってそう呟いた。気が付けば、その瞳は空色に戻っている。暴走状態が解け、それはこの戦いが終わったということを示していた。
ポロッと鱗が剥がれるみたいに、ミリャという形が崩れていく。小さな光の粒子になって、彼女の存在が世界の中に融けていく。
見上げる夜空、不思議と悔しいという気持ちは無かった。あの日、一度目の死を迎えた時みたいなグルグル胸の内に渦巻く気持ちの悪い感覚は無い。
感じるのはただ満ち足りた想い。そして、でもやっぱり会いたかったなというちょっぴりの寂しさだった。
最後までやり切ったのだ。後悔も、悔いも無い。もし完全な状態だったら。もう少し錬金術の研究をしていれば。もう一歩早く、自分という存在を見つけていれば。あるいはこの結末だって変わったのかもしれないが、でも。
(戦場に‟たら”も‟れば”も無い事、一番知ってるのは私だもんね……)
だから、それは思うだけに留めておこう。戦場にもしもは無いし、それを声に出して嘆いたところで過去も未来も変わることなんてないのだから。
ミリャはひとつ、「ふぅーっ」と息を吐き出した。そして、彼女はおもむろに駆け出す。
どこへ? どうして? 理由は分からない。けれど、ミリャは走った。ただ走った。敗北も死も、この世界魔法におけるミリャという少女の物語はここで終わるとしても、その最後の一文はまだ紡がれやしない。もう少しだけ……待って、欲しい。
「アザミ様、追わなくてもよろしいのですか?」
「ああ、いいだろう。もう勝負はついたし、あの状態じゃ……もう長くないだろうからな」
まだ震える足で、それでも必死に立ち上がってアザミを不安げに見上げるレンヒルト。その頭をポンッと撫でて、アザミはどこか遠い目だけでその背中が見えなくなるのを追いかけていた。
決着はついた。アザミたちの勝ちで、ミリャの敗北。彼女は人体錬成を成功させられず、結果、大切な家族に大好きを伝えられずじまいで終わった。その結末はどう足搔こうと変わらない。
(あそこまで力を暴走させたんだ。負担だって相当のもの。耐えられるはずがない。それに、最後の一撃……天雨が効いているはずだしな)
だから、逃げたとしても彼女はもう二度と立ち上がれないだろう。騎士団の包囲もあるし、見つかるのは時間の問題。
それを分かっていたからこそ、アザミはミリャを見逃した。
「まったく、最後の最後まで馬鹿ですね」
「だーれが馬鹿だ。シトラでも同じようにするだろうが」
「私は……まあ、そうですね。したいとは思います」
出来るかどうか、は別の話だが。それでも、アザミのように振る舞えたらとは思う。
ミリャはもう長くない。敗北は確定し、あとはこのままゆっくりと消えていくのを待つのみだ。
ならば無理に命を奪わなくても。その最後まで縛り付け、奪う権利は誰にも無いと思ったから。
涙を流すか、運命を嘆くか、それはミリャの自由だ。色々とあって、でも最期の瞬間ぐらいはミリャの好きなようにして欲しいと思ったから。
「勝負はついたんだ。なら、敗者の涙まで奪わなくたっていいだろ」
それは優しさか、それとも残酷な同情か。アザミはどちらでもよかった。ただこれが正しいと思ったからそうしたまで。今も、そしてこれからも。その判断を後悔することは無いだろう。
王都の裏路地、崩れた瓦礫が積み重なったそこは、アザミたちの知る戦場と比べれば実にこじんまりとしたもの。けれど、確かにここで戦いがあったのだ。想いに溢れ、囚われ、ぶつかり合った―――そんな戦いが。
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