1061話 謎解き、あるいは不和の兆し
「いや、渾身の証拠のわりにショボくない? あれってそんな興奮するものなの?」
ボソッと呟いたシルリシアの指摘はもっともだ。
親指と人差し指で大事そうに摘まむ青色のボタンなんて。テンションからの期待を大きく下回る、どうにも‟大きな手掛かり!”と言われたってピンとこない代物だ。どこにでもありそうだし、ごみとして落ちていた可能性も十分にある。
証拠といったらもうちょっとこう、犯人を特定できるほどの絶対的なものではなかったか。一切の痕跡を残さなかった犯人が‟何か残したかもしれない”というただそれだけで、20件目にして初めて手掛かりになり‟える”ブツが見つかったというだけで、これほどまでに喜べるものなのか。
アザミもシルリシアもレンヒルトも、ジャンのハイテンションを受けた期待からの急落で呆れ顔。そんなもので何か変わるわけがない。期待が大きかった分、そのぶり返しも小さくない。
「そのボタンなら、私見たことありますよ……?」
しかし、そんな三人とは一転してぶるぶると小刻みに震えるシトラ。その声も震えていた。細い指先で示す青色のボタン。彼女はそれに見覚えがあった。しかも、つい最近。
「んだと? それはガチで言ってんのか、お嬢!」
急展開。今の今まで一切進むことなく停滞していた事件が、たった一つのボタンからこれまでが嘘かのような順調さで進み始める。アザミたちも驚くが、それ以上にジャンが大きな声を上げる。道行く人がビクッと振り返るレベルの剣幕で、彼は手に持ったそのボタンをシトラの鼻先にグイッと押し付けた。
「どこで見た……!? これを、お前は見たって言うんだろ!?」
「ええ。確かに妙ですよ。ちょうどアレもボタンが一つ、あるべき場所より外れていましたから」
ゴクリと、真実の扉を前にした緊張感の中で響く音。
「私がこのボタンを目にしたのは……」
すべてが繋がる。
赤い服の少女が失踪した際は魔界に居て、こうして行方不明事件が再開した際には人界に居る人物。
赤い服の少女にどういう形であれ接触し、関わっていた人物。
人を攫う明確な目的と理由が思い浮かぶ人物。
そして攫った少女を隠すことのできる、人目を避けられる場所を知っている人物。
青色のボタン。それは服のボタンではなく、別の用途で用いられていたもの。
それをシトラはつい最近目にしていた。その時は何でもないと気に留めやしなかったが、ここにきて点と点が一本の線で真っ直ぐ繋がった。
「ヴィンター・ノイシュ。かの男の研究室です」
あのボロッちいぬいぐるみ。確か、片眼が取れていたっけ。お世辞にも綺麗とは言えない、取り繕われた人形の目は青いボタンで作られていた。その片目が取れていたのを、シトラはガサツなヴィンターが適当に扱っていたからだと思っていた。けれど、違ったのだ。あのぬいぐるみはヴィンターも言った通り、‟彼には心当たりのないもの”だったのだ。
(あの人形はヴィンターさんの持ち物ではなく、攫われた少女が持っていたもの。それが道すがら、偶然取れて落ちてしまった。ヴィンターさんはそれに気が付くことなく、研究室で人形の片眼が無いのに気が付いた時も、もともとのボロさも相まって‟最初から取れていたのだろう”と考えたはずです。でも、実は―――)
それが決め手だった。シトラの口から語られたその名前にアザミとシルリシアは目を合わせ頷き合う。状況証拠から導き出された男は、その物的証拠を決め手に灰色から黒色へと変貌した。どうして今まで気が付かなかったのか。怪しいと考えられる要素はいくらでもあったのに。
(神代兵器のミリャが信奉しているって、たったそれだけで俺はあの男を善人と考えてしまった)
それが悔しくて、アザミはギュッとこぶしを握り締める。まだ悪人と決まったわけではないが、罪のない少女を攫っている時点で善では無いだろう。その生死も、目的も、確かめるためには本人を直接訪ねるしかない。
謎解きは終わり、糾弾の時間だ。
(ミリャはこのことを知っていたのか? もし知らなかったのならミリャが危ないっ……)
相手は分かっているだけでも20人の少女を攫った凶悪犯だ。それに自ら近づき、師事しているミリャは今、最も危険に近い少女であると言える。神代兵器ゆえに戦闘で負けることは無いだろうが、不意打ちの類ならどうだろう。師匠として、憧れの存在として全く疑っていない相手に隙をつかれたら、いくら神代兵器とはいえ不敗で居られるとは限らない。
その可能性に焦り、アザミたちは一斉に駆け出した。何にせよ、魔笛の人隠しの正体が割れた以上ここでぼんやり時間を無為にしている暇はない。一刻も早く真実を聞き出し、その罪を追求しなければ。
研究室の位置を知っているアザミをシルリシアとレンヒルトは追いかけ、同じく知っているシトラをジャンが追いかける展開。
この時代の騎士団と関わることを避けていたことも、ジャンから隠れていたことも忘れて先頭を切るアザミ。
そんなアザミの背中をジャン・ミラーはじっと見ていた。シトラの速さについて行きながら、訝しげな眼が真っ直ぐと彼を射抜く。そんなものだから、シトラはふと違和感を覚えた。
「そんなにも私が誰かと行動を共にしていることが妙ですか?」
ジャンの知るシトラ……いいや、聖騎士シトラスという少女は一匹狼だった。決して群れず、邪魔だからと仲間すら作らない。皆を守るべく剣を振るうくせに、守られようとしないし、共闘しようともしない。そんなシトラしか知らないから、ジャンの目には変に映っているのか。
「いいや、それどころじゃねぇよ。お嬢お前さぁ……、‟なんで魔王シスルなんかと一緒にいるんだ?”」
「えっ―――」
一瞬、驚きのあまりシトラの走る速さが落ちる。チラッとシトラの目を見たジャンのそれはとても冷たく、そしてどこか不安そうだった。
「アザミって呼んでたってことは、アレがお嬢の言ってた頼れる知人か。ハンッ、そりゃあ騎士団を避けるだろうよ。俺たちにとっちゃ一番の敵じゃねぇか。魔王なんてよ」
すらすらと迷いのない口ぶり。探りを入れているとか冗談を言っているとかではなく、それは本気で正体がバレているということを示していた。
(なんで……ジャンが気付くのです? アザミは一応変装をしていますし、加えて認識阻害の魔術を自身にかけているはずです。‟よく知った関係にある者以外からは希薄な存在として感知されるようになる”、認識阻害を……)
そこまで考えて、シトラはとある可能性に行きついた。
アザミがこの時代で騎士団と関わることを避けていたわけ。そしてジャンがアザミの正体が魔王シスルということを見破った理由。
認識阻害という魔術の特性に詳しくないシトラでも、ここまでそろえば何となく想像がつく。
(アザミ……いいえ、魔王シスルとジャンは昔、どこかで会っているのですね)
旧知であれば、ジャンに認識阻害が通じなかったのも頷ける。そしてそれをアザミが分かっていたのであれば、騎士団を、特に騎士団長の座にあるジャンを避けていた理由も納得。姿を見られてしまえば自分の正体を看破されると分かっていたから、ああも執拗に避けていたのだ。自身のポリシーを曲げてまで、ここに来るまでそれはもう徹底的に。
だが、シトラにはその心当たりが一切なかった。戦場で顔を合わせた程度ならあるだろうが、認識阻害が通じないほど頻繁に戦っていたわけでもない。無論、古くからの友人というわけでもないだろう。
なら一体、この二人はどういう関係だろう。騎士団本部でジャンと出会ってから、彼が戦場で命を落とすその時までずっと、ジャン・ミラーの武器として付き従っていたシトラでも覚えが無い。
覚えが……覚え……いや?
(痛ッ……頭が!? なっ、なんですか……?)
その時、何かを思い出しかけて頭がズキンと痛んだ。それは……記憶だ。いつかの記憶だ。
雪山、崖の下、泣き叫ぶ子供の声、転がる亡骸、その傍に立つ冷酷な眼をした男、そしてそんな状況でも表情一つ変えない私―――。いつか、どこかの記憶。大切なはずなのに、靄がかかったみたいに思い出せない、朧げな痛み。
「……説教は後だ。お前がなんで魔王とつるんでいんのかは後でゆっくり聞かせてもらうぜ?」
今はそれよりもずっと追いかけてきた魔笛の人隠しことヴィンター・ノイシュを裁く方が先決。
そう言って走るジャンだが、その言葉は今のシトラの右耳から左耳をするりと通り抜けるだけだった。何も届かない。
(私の記憶が一部、‟封印”されている……のでしょうか)
それを誰がやったのかは何となく想像がつく。けれど、そうだとして『一体なぜ』。そこが分からない。
けれど、ジャンとアザミ……封じられた記憶、そして痛み。そのことを脳裏に浮かべた時、彼女は目頭が熱くなるのを覚えた。
(なんでっ……)
無意識に頬を伝う涙。ああ、きっとこれは知っちゃいけないものなんだ。知ってしまえば、前に進んでしまえば、触れてしまえばきっと取り返しがつかないことになる。怖い、恐ろしい。本能でそう察してしまい、体中が凍るように寒い。
皆が一つの相手に向かって目線を同じくしている、しなきゃいけないこの時に、シトラ・ミラヴァードは一人全く別のことを考えていた。今はそれを気にする時じゃないと分かっていても、もう手遅れだった。一度触れかけてしまった真実は頭の中をグルグルと回り続ける。目を瞑っても首を振っても同じ。痛みはどんどんと強くなっていく。思い出そう、先へ進もうとするたびに、その歩みを止めるように棘の鎖はシトラを縛って痛めつけるのだ。
(アザ、ミ……。あなたは一体、私に何を隠して……いる、のですかっ……)
朦朧とする頭で、でも必死に走って食らいつきながらシトラはぼんやりとアザミの背中を見やる。頼りがいのある兄で、信頼できる仲間で、過去の因縁こそあれどよきライバルであると思っていたのに。その輪郭が……今となってはもう、掴めない。
(私は、あなたを信じていたっ……の、にっ……)
そんな思い悩むシトラ。だがその苦しみに答えが出る前に、彼女たちの歩みは目的地へと達していた。
活気がある王都の通りを一本外れた、一転して人気のないアングラな路地裏。
そこは、ヴィンター・ノイシュの研究室だった。
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