1027話(2) 魔界の歩き方、最新版《NEW!》
「となると残されたのは西か東の二択……現実的なのは南部国境?」
卓上の地図を眺め、そう提案するサキア。彼女の指がなぞったのはモルトリンデから西へ進んだところにある砂漠地帯。通称、‟南部国境”と飛ばれる場所だった。
「南部国境、か……」
サキアは知っているのか知らないのか、それは彼女のみぞ分かる話。シルリシアとレンヒルトはもちろん、昔の話なんて知るよしもないだろう。
(懐かしいな。逆行前、俺たちが魔界へ進む際に抜けたのが確かここ、南部国境だったっけ)
心の内でフッと笑うアザミ。そう、南部国境と言えば時間逆行をする前、終の刻戦争においてアザミがシトラ、ゼントと共に通り抜けた場所なのだ。人界と魔界の間の国境の中じゃわりと緩い場所として知られる、それゆえに突破するならここだろうと。
(シトラの色仕掛けで南部国境を突破し、それから鐵甲船に乗って俺たちは廃都マイナを目指したっけ。ああ、時間逆行する前の記憶だってのについ昨日のことのように思い出せるよ)
そんな、文字と地図だけで脳裏をよぎるあの日の思い出、戦いの記憶。アレは魔界との最終決戦、教授や魔王リコリスとの壮絶な戦いの序章にすぎなくて……とまあ、語ろうと思えばどれだけでも語っていられるし、何ページだって使えるあの戦い。でも、今はそんな過去に浸っている場合じゃない。
「確かにサキアの言う通り、南部国境はねらい目だ。抜けた後、北にまっすぐ進めばお目当ての王都セントニアがあるし、警備の兵力もそこまで充実しているわけじゃない」
それゆえ過去に一度魔界からの侵入を許し、そしてアザミたちが魔界への侵入に使い返したりしているわけだ。そんなガバガバ、緩々の南部国境だが、それでもアザミは難しい顔をする。
「どうしたのですか? サキア様のお話を聞く限り、私には理想的なルートのように思えるのですが……」
「私も。危ない道ってわけじゃないなら、手薄なとこ選んで突破しちゃえばいいんじゃないの? ちょうどこの南部国境てのが合致してるみたいだし」
シルリシアとレンヒルトもサキアに同意する。確かに、彼女たちが言うことは理にかなっていた。密林とかそれこそ砂漠のど真ん中を砂塵に隠れて移動するとか、海を進むとか。国境を割る手段は択ばなきゃいくらでもある。でも、そのルートは相応にリスクをはらんでいる。例えば迷うかもしれないとか、例えば知らぬ脅威と鉢合わせるかもしれないとか。
だから理想を言えば南部国境やベルベット平原のように、実際に‟魔界と人界の境界”として使われている場所を抜けるのがいいのだ。
でも、それはやはり‟理想”である。
つまるところ、現実はそんな楽を許さない。
「……とにかく、南部国境を抜けるのはハイリスクが過ぎる」
アザミにしては珍しく、強引にその場を収めようとする。いつもなら理由をつけて材料を用意して、相手を説得し封じ込めるタイプなのに。相手の言うことも聞かず一方的になんて、アザミらしくないことをするものだから当然、そんな彼を知るシルリシアは納得できない。
「どうして? というかもしかしてだけどさ、アザミ。君ってそんな完璧主義者じゃなかったよね? なら多少の会敵は許容すべきなんじゃない? どうにも私にはアザミが敵と一切遭遇せず、誰からも見つかることなく人界へ入ろうとしてるみたいに聞こえるんだけど」
「私も、シアに同意です。国境の侵犯を誰からも咎められることなくこなそうというのは傲慢では? リスクを減らすに越したことはないですが、少しくらいは許容すべきだと思います」
そう言ってアザミに詰めよるシルリシアとレンヒルト。否定しているわけじゃない。反発したいお年頃というわけでもない。いつもみたく、納得できる理由があればよかったのだ。流石はアザミ・ミラヴァード、なんて思える答えを示してくれたら素直に従った。それなのに、‟とにかくダメ”なんて子供をあやすような口調で言われて「はいそうですか」なんて飲み込めるほど、彼女たちは大人じゃなかった。
「……あー、うん。サキが間違ってた。確かに駄目だね、このルート」
それで言えば、サキアは大人なのかと言われるとそれも少し違うだろう。シルリシアの口ぶりとアザミの違和感に何かを察し、言い出しっぺでありながらアハハと笑うサキア。立案者である彼女が「もういいや」と髪を掻き、匙を投げたことで策は白紙に戻る。二人の少女もどこか釈然とはしていない様子ながらも、サキアが言うならこれ以上口を挟む権利もないだろう。眉を顰め、けれど口を噤む。
「アザミ君が魔王シスルだからって理由、さすがに言うわけにいかないもんね」
「ああ、そういうことだ。察しがよくて助かったよ、サキア」
「ふっふん。サキがどれだけシスルの傍にいると思ってるの? あなたのことならサキ、何でもわかるのよ?」
こっそりと耳打ちをし、彼女はクルッと嬉しそうに回る。流石は魔王の正妃、幼い頃に魔王シスルの手によって助け出されて以来、その傍に居続けることを選んだ少女だ。
(悪いな、二人とも。そういうわけだから俺はその‟少しのリスク”さえ選べないんだ。なんせ人界へ魔王が侵入したなんてバレた日にゃ均衡は解け、大陸全土を巻き込んだ全面戦争―――その火蓋が切って落とされかねないからな)
アザミがこの世界でも普通の一般人……まあ、世界を救ったり騎士団長と知り合いだったり、魔王の生まれ変わりだったりする男を‟普通”と呼べるかは別として、何もないアザミ・ミラヴァードであったなら話はもっと単純だったろう。この世界じゃ彼が‟魔王”と言う立場にいるからこそ、事態は深刻で複雑で面倒なのだ。地図をしれっと盗んでこれたり地の利があったりと良いこともあるが、理由がなきゃアスランを出られなかったり今回のことだったり、魔王という立場の動きにくさはそれを差し引いても苦い点であった。
「となると、残ったのは一つしかない」
西もダメ、北もダメ。南に行けばそれは撤退であるからそもそも選択肢に無い。
よって消去法で、選ばれたのは東。正確に言えば北東を通りぬけるルートであった。
「元の世界じゃアズヘルン王国、イシュタル帝和国、そして元魔界の三つの領域がぶつかり合う点。そこにそびえたつ、‟霊峰プレイアデス・ウルタム”を踏破するルートだ」
そう言ってアザミがペン先でぐりぐりっと丸印をつけたのは、モルトリンデから北東へスーッと進んだ先。人界を構成する二つの国と魔界の三つの領域がちょうどぶつかり合う一点であった。なぜそこで均衡が守られているのか。それは、その場所にとてつもなく巨大な山が座を構えているからである。
「霊峰プレイアデス・ウルタムって……君、正気? 別名『天を穿つ山』とか『星に触れる地』とか言われてるあの霊峰だよ!? あれを超えようって方がよっぽどリスクあるって!」
心の底から呆れた目でシルリシアはその首を激しく横に振る。甘いことは言わない、やめておけと。
霊峰プレイアデス・ウルタム。それは見上げても頂点など見えるはずもない、まず一般的な感性を持っている者ならば近づこうとも思わない過酷な山であった。場所によって様々な表情を見せるこの大陸らしく、北方は砂漠と切り立った岩肌、南方は苛烈を極める豪雪地帯と二つの顔を持つだけでも困難なのだ。くわえて大陸最高峰の名を持つ。こっちがおまけに思えるほど、かの山は来る人を拒む絶対的なものだった。
(厳しいのはわかっているさ。愚者の教会目指してあのカーマイン鉱山を踏破しただけで疲労困憊だったんだ。それを超える山越えが正気じゃ無いってこと、他でもない俺が一番良く知っているとも)
カーマイン鉱山……それは南部国境と同じく、アザミたちが逆行前に訪れた山だ。それもかなりの標高を誇ってはいたが、けれどプレイアデス・ウルタムと比べれば可愛いもの。
でも、そんな山だからこそ魔界も人界も、まさかプレイアデス・ウルタムを越えて侵入することは無いだろうと踏んでいる。ゆえに警備も少なく、もし攻略できればアザミの理想通り“誰にも見つからず”人界へ足を踏み入れることが叶うはずだ。
「それに、攻略ったってなにも登頂しようってわけじゃ無い。三合目あたりを抜けることさえできれば届くはずだから……」
「……だから、信じて命預けてくれってこと?」
「そうだな。困難だろうが、決して無理じゃないはずだ」
シルリシアの真っ直ぐな視線を、同じく一直線に見つめ返して。アザミは迷うことなく頷いた。
「……そっか」
シルリシアは知っている。アザミがここまで譲らないということは、この先何を言ったって無駄だということを。
納得したわけじゃない。なぜ迂回してしかも厳しい道を選ぶのか理解できないし、ここに来て妥協せず完璧を選びに行く姿勢も意味がわからない。
(でも、まぁこの人がここまで言うならってことでしょ。信頼と実績……ってのは強いものだね)
腰に手を当て、一息ついて。シルリシアは「わかったよ」とついに折れる。フッと見せた笑みは諦めや呆れも混じりながら、でも頷いたのはアザミのことを信じているから。
「ここまで訪れた全ての世界魔法で一度も間違えず、そして今の今まで奇跡を積み重ねてきた。そんなアザミの言うことなら、多分それが正しいんだろうからさ」
「そうですね。世界魔法自体が初めての私が口を挟める話じゃ無いでしょうし。従いましょう、アザミ様に」
レンヒルトもシルリシアに倣いコクリと首を縦に振った。恐れも迷いも、アザミがそう言うなら無視できる。大丈夫なのかなという不安以上に、あのアザミ・ミラヴァードがやると言ったことの安心感の方が上だから。
それこそ、アザミが今までの道のりで積み重ねてきた信頼だった。先の見えない暗闇を一人孤独に走ることに疲れ、一度はすべて諦めてしまおうかとも思った。けれどその日々は決して無駄なんかじゃなかった。その積み重ねがアザミの強さの一つとなっているのだから。
「付き合うよ。ここまでそうやって来たんだから」
それは他力本願や丸投げに聞こえるかもしれない。でもそうじゃなくて、これはアザミに対する全幅の信頼だ。アザミという人間が成し得てきた実績に対する確かな信用だ。
「シルリシア、レンヒルト。すまないな」
「謝らないでよ。私たちはアザミを信じて、そして最後にはちゃんと自分たちで君についていくって決めたんだから」
「そうですよ、アザミ様。私もシアも、別に嫌々従っているわけじゃないのです」
本当に、いい後輩を持ったものだ。盲目に信頼するのでもなく、自分勝手をするのでもなく、こうやって信じ従ってくれるなんて。だから、かける言葉はきっと謝罪なんかじゃない。
「そうだな。ありがとう、二人とも」
それはきっと、感謝の言葉だ。そう言って微笑んだアザミに、二人の少女もフフッと笑みをこぼした。その様子にホッと胸をなでおろし、安堵するサキア。色々と事情を知る彼女にも、それゆえの苦労というものを掛けてしまったことだろう。後で、きちんと礼を言っておかなければ。
「というわけで、決まりだ。明日、俺たちは人界を目指してモルトリンデを発つ」
これが魔界の歩き方、最新バージョン。
気合たっぷりにアザミがバンッと叩いた地図上には、赤色のインクでぐるぐると強調された一点が。それこそアザミたち一行が次に目指す場所だった。少しでもまともな感性の残っている者なら近づこうとせず、遠くから眺めて終わるような遥かの山。人界と魔界の境界上に互いを阻むみたくそびえたつ自然の砦。
それこそ霊峰プレイアデス・ウルタムと呼ばれる大陸最高峰の嶽であった。
この話で出てくる「南部国境」や「鉄甲船」、「廃都マイナ」、「カーマイン鉱山」、「愚者の教会」などは本編の最終章となる第12章、『双星と終の刻戦争〜魔都凱旋編〜』で登場した場所の名前です。大体600話ほど昔のことなので、覚えているわけがないですよね……(雨方もうろ覚えだったのは秘密)
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