94話 夏休み最後の日(2)
『アザミへ 話したいことがあります。
お昼、食堂に来てくれませんか?』
「……お前なぁ、、」
アザミが前に座っているシトラの額をパチンと弾く。
「イテッ!」
額を押さえながらブーッと上目遣いでアザミの方を見つめる。その様子に「はぁ、、」とため息をつくアザミ。コーヒーをゴクリと一口飲む。
「んで? シトラが俺に相談なんて珍しいな。なんかあったのか?」
シトラが「あ、あの……」と少し躊躇うように、恥じらうように手を合わせ、目をそらす。
普段、アザミがシトラにやらされることと言えば“剣の鍛錬をしたいのでパペットを出してください”だったり、“課題のここを教えてください”だったり実践的なことばかりだ。だから、このように呼び出されて相談されるなんて初めての経験だった。
(……これは、一応兄なのだしそれっぽいことやってみるか、、!)
アザミはコホンっと軽く咳払いをして腕を組み、少し微笑んだ優しい瞳でシトラを見つめる。
「それで、どうしたのかな?」
「あ、キモイです」
二人の間にヒューッと冷たい風が通り過ぎる。しばしの沈黙ののち、アザミがゆっくりと腕を元に戻し、最初のように座り直す。
「はぁ。でも、少し落ち着きました。あなたのバカのおかげで」
ぐさりと、その言葉はアザミに突き刺さる。
「それで、相談なのですが……」
どんな話だ、とアザミは軽く身構え、コーヒーをひと口……
「……これは、友達の話なのですが――」
「ブーッ!!」
思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出す。シトラが不快そうに、不満そうにアザミを見つめる。
「なんですか!? 私は真剣なんです!!」
「わ、悪い悪い。……で? 友達の話だっけ?」
笑いを堪えてアザミがシトラに続きを促す。
(……おいおい、『友だちの話』って恋愛の常套句じゃないか、、!)
元魔王であるアザミは、この手の相談は多く受けてきた。『話しやすいフレンドリーな魔王』を自称してきただけあって、部下からは結構慕われており、『あの、部下の話なんですけど、、』と、宰相から見合いの相談をされたり、『上司に聞いて来いって言われたんですけど、、』と、一兵卒の恋愛相談を受けたりしていた。もちろん、アザミ、魔王シスルが恋愛のスペシャリストという訳ではなく、彼らにとっては魔王様の言葉に背中を押して欲しいだけなのだが。
そして今、現代。アザミは目の前の妹から同じ文句で相談をされている。
300年前と同様にシトラの話を真剣に聞くアザミ。友達の話、と言っていたがそれはどう考えても特定のふたりの話。
(あの夜、か。やはりな……)
アザミは速攻で見破る。見破られているとはつゆ知らず、シトラは「どうしたらいいでしょうか?」と不安そうにアザミを見つめる。
それは、合宿から帰る前日の夜のことだった。
「シトラさん、ちょっといいかな?」
トーチが海の方へ歩いていた歩みを止め、そう言って振り向き軽く微笑む。
「……え? ええ。なんですか、、」
シトラは突然のことに驚きながらも、トーチのあとに続く。波打ち際まで歩き、そこでトーチは立ち止まる。白波が二人の足元まで押し寄せ、夜空には瞬く星々。トーチがシトラの方へ向き直る。これまでと違う雰囲気にゴクリとツバを飲み込む。
「……シトラさん、僕とお付き合いしてくれないかな?」
トーチが笑顔でシトラに手を差し出す。「え?」と、シトラは予想外の言葉に驚き、目を大きく見開く。
「あ、あの、、えっと......」
「いや、突然のことですまないとは思っているよ。それにいい口説き文句が思いつかなくてこんなふうに単刀直入になってしまったこともね、、」
ハハッと照れくさそうにトーチが髪を掻き、海の方へ視線をそらす。星あかりが照らしたトーチの頬は軽く火照っていた。
シトラは何も言わない。いや、言えない。どうやって気持ちを伝えればいいのか、頭の中で何度もシミュレートする。それでも何も思いつかなくて、キュッと下唇を噛み締め目を伏せる。
(こういう時、なんて言えば......)
「……返事は、貰えないか、、うん、分かった。いいよ、、」
波音だけがしばらく響き渡っていた夜に、トーチはそう言って気さくに笑う。だが、その心が平静であるわけがない。告白して、返事をもらえなかったのだから。しかも、限りなく『いいえ』に近い沈黙。
シトラは心がギュッと締め付けられたような思いで息苦しさを感じる。
「……あ、あの......!」
それでもなんとか息を絞り出し、トーチに呼びかける。だが、トーチは笑って、
「大丈夫。忘れてくれ......。じゃあ、作業に戻ろうか」
と、踵を返し、また出店の片付けへと戻っていく。シトラは呆然と砂浜に立ち尽くす。波の音と、トーチの足音。そして、シトラの心音のみが響いていた。
(――私は、どうしたら良かったんでしょうか......)
「……で、良い返事が思いつかなかったことを気にしているのか? シトラ」
「はい……い、いいえ! 私じゃなくて、とも、友達が!!」
設定を思い出し慌てて否定するシトラにアザミがコーヒーをクルクルとかき混ぜながら、
「もうその設定はいいぞ? シトラとトーチの話だろ。聞いてりゃ分かるさ。それに、相談したいならはっきりさせておいたほうがいいと思うが。どうだ?」
アザミの言葉に恥ずかしそうに目を伏せながら「はい、、」とシトラが小声でつぶやく。
「にしてもさ、どうして告白された事を秘密にしたかったんだ?」
アザミにそう言われ、シトラがハッとした表情を浮かべる。
(そういえば......なんで、でしょう。どうして私はアザミにこの事を知られたく無かったんだろう、、)
「……わかりません、、」
「そうか。……まあ、シトラらしいんじゃないか。それで、返事は断る方向で、だろ?」
「はい。私は......トーチくんには悪いですが、私は恋愛感情とかをよく知りません。まだ、わからないんです。でも、トーチくんも傷つけたくないんです。同じ生徒会の一員ですし、オルティスアローの仲間でもあります......」
シトラがそう言って胸のあたりをギュッと握りしめ、伏し目がちに俯く。
300年前、シトラにとって話せる友人はミーシャだけだった。当然、男となど話したこともなく、話しかけられたこともない。恐れられていた、のだろう。当時、強くなることにしか生きていると感じられなかったシトラを。
成長してからも、異性と関わる機会など無かった。騎士団長や兵士との会話も作戦に関係のあること、必要最低限のみ。唯一それ以外のことも話したのは副官のエイワス・ザッカリアだけだった。だが、“泣き虫エイワス”と呼ばれていた彼に対して何か特別な感情が湧くこともなく。
だから、怖い。好きになるということを知らないから、知らないセカイが怖い。一歩踏み出すのが怖い。
傷つけたくないという自分の気持ちが逆にトーチを傷つけていることも分かっていた。はっきりとした返事ができなかったのはシトラが自分の心をよく知らなかったから。
べつにトーチが嫌いなわけではない。かと言って、好きなわけでもない。わからないのだ。
自分は彼を好いているのか、そうではないのか。そんなはっきりしない気持ちがもどかしくて、シトラは一層強く胸をぎゅっと握りしめる。
「……シトラ、目を閉じろ」
そんな妹に、アザミは優しく声をかける。シトラがうつむきながら、ゆっくりと目を閉じる。
「想像して。これまでに、誰かに対して心が暖かくなったことはなかった?」
「……あります」
例えば、クリムパニス大墳墓で名も知らぬ少年と過ごした時。
例えば、自分の誕生日にプレゼントを貰った時。
「それは、シトラがそいつのことを好きって思ってるってことだよ。それがトーチなら、『はい』と返事するといい。違うのなら、断ればいい、、」
そう言ってアザミがシトラの目を真っ直ぐに見つめる。
「……決まったか? 返事は」
「はい。ありがとうございました」
まだ、確証はない。慣れないことに喜んでいるだけかも知れない。恋では無いのかも知れない。
少し吹っ切れたようなシトラの様子に、アザミは安堵の表情で頷く。
「……ところで、俺の質問で思い浮かんだ相手って誰だ?」
「――い! 言えるわけがないでしょ!? いくらアザミにでも、教えられません!!」
あわわと手をブンブンと振りグイッと近づいてきたアザミを押し戻す。「チェ〜ッ」と残念そうにコーヒーを飲み干すアザミ。それを見てシトラは赤くなった顔を見られないよう、顔を背ける。
(言える訳ありません。それに、この気持が本当であるわけがありません......)
ふと頭を過ぎったのがアザミだった、だなんて。
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