1003話 魔王シスルは大忙し
大陸の南に位置する大都市、魔都アスラン。魔界の都であり様々な魔族の住まうその街は大陸で一番幻想的だとまで言われるほどの美しい街並みを誇っていた。街の中には水路が通り、風にカラフルな旗がふわりと靡く。立ち並ぶ家々にも統一感があり、朝陽や夕陽に照らされた姿は、それはもう息をのむほどの芸術的なものであった。
そんな魔都アスランの中央にそびえたつ魔王城。魔都アスランがあまり高い建物のない街ということもあり、その城は遠くからでも余裕で望めるほど目立った存在であった。アスランのシンボルであり、そしてそれは魔界における魔王という存在の大きさを語らずとも堂々と示していた。
そして、魔王城は今日も大忙しの大賑わいである。
「魔王様、東の戦場から救援要請が飛んでいます」
「東? 兵を回す余裕はあるのか?」
「いえ、正直厳しいところではあります」
「なら一旦は無理と返答しろ。最悪、東の前線は後退させても構わんと言え」
魔王の言葉を受け取った兵長の鬼族は恭しく礼をして去っていく。と、入れ替わるように。
「魔王様、そろそろ旧ユグラシアで海神祭が行われますが、ご出席賜れますでしょうか」
「いいや、その時期はちょうどアスランを空けている。ユグラシアとは逆にいるだろうから、顔は出せないな。人魚族の姫には伝を書くつもりだから、それで納得してもらえるように伝えてくれ」
「かしこまりました。残念ですが、お忙しいのであれば仕方ありません。姫には私の口からきちんとお伝えしておきます」
魚人の男はしょぼんと肩を落としながら、トボトボした足取りで王の間を後にする。海神祭……それはかつてユグラシアという人魚の国があった場所で行われている伝統的な祭りのことだ。魔界の支配者である魔王シスルもいつもであれば出席しているのだが、さすがに今回は首を横に振った。なんせ、
(ここが300年前の魔界で、別世界線上のイフの一点だとしても、だ。さすがに祭りの参列なんてしている暇はないからな)
怪しまれぬよう、魔王としての責務はきちんと果たしているアザミ。ここが世界魔法の中だからと滅茶苦茶をするわけにはいかず、国を動かしながらいつもみたく世界魔法の旅を遂行しなければならないのだから、大変だ。
「ご機嫌麗しゅう、魔王陛下。ところでお耳に入れていただきたい事柄がございまして、実はサバーニャ侯爵様の娘が先の新月の晩より行方不明となっておるのです。ただいまアスランの衛兵を総動員させて捜索にあたっておりますが、手掛かりは一向に掴めませんで」
「サバーニャの娘が? だが、あれは貴族とはいえ上流の下層だろう? 言い方は悪いが、そんな相手に一都市の警備をすべて駆り出してどうする。捜索の規模は半減させるように伝えておけ」
「ですが、それでは侯爵の怒りが……」
「それがどうした。侯爵ごときが、俺は魔王だぞ?」
シスルのひと睨みに、おどおどした様子の兵はゾクッと身震いをし、そしてそれ以上は何も文句言うことなくカクカクとまるで壊れた人形みたく頷くと、逃げ帰るみたいにササーッと王の御前から去っていった。
「冷たくない? シスル」
「否定はしない。というか、できないだろうな。だが、さっきも言った通り俺は王だ。俺の正義はサバーニャの娘を助けたいと燃えていても、王としての俺は冷静に魔界のことを考えなければならない」
「なるほどねー。つまり魔界のためには心を鬼にすると?」
「まあ、そういうところだ。まさか一介の貴族のためにアスランを無防備にはできないだろう?」
サバーニャ侯爵、といえばパッとシスルも顔が浮かんでこない程度の存在だった。何族かも忘れたし、そもそもあったことがあるかも微妙。おぼろげに、貴族ということだけは覚えていた。ちなみにアザミが彼のことを“貴族の下層”と言ったのは、自分の認識がこの程度だからどうせ大した身分じゃないだろう、なんて失礼な推測ゆえのことだった。
このように、魔王のもとには日々様々な報告が舞い込んでくる。遊び、客をもてなし、女を侍らせ、豪勢な食事をし……なんて悠々自適な生活など決して送っていない、むしろ逆。魔界の誰よりも働き者であるのが魔王シスルという男だった。だからこそ魔界の者たちが彼に続いたということもあるのだが、そんな王らしい王様。前線の情報は逐一彼の耳に入ってくるし、援軍や作戦の認否や、時に策の提言なんかもして、さらには自ら戦場に立つこともある魔王シスル。それだけでも十分働いているのに、各地の有力な者たちと円滑な関係を結ぶための外交までしているのだから驚きだ。加えて、外だけにかまけるのではなく内の問題にも手を付けたりする。魔王城でまことしやかに囁かれる噂、“魔王シスルは実は三人いるらしい”、が現実に思えるような……というか、実は本当に三人いた方が安心できる気がする、それがこの世界で魔王と認められている男であった。
今日も朝から来客がひっきりなしに訪れ、その流れはとどまるところを知らない。
それは魔王シスルにとっての日常なわけだが、ふと思えば今の魔王シスルは本物の彼ではない。いや、本人ではあるのだが、その中身の多くを占めるのはアザミ・ミラヴァードとしての意識である。シスルもアザミも同一であり、考えも意識も同じなのでややこしいが、つまるところ今の“彼”にとって最重要は魔界の勝利や平穏ではなく、神代兵器を見つけることであり究極は元の世界の滅びを回避することである。ここはあくまで過去であり、真に守るべき、救うべき場所じゃない。
そう割り切る意志を取り戻し、アザミは一歩踏み出したはずなのに……どうして、まだ魔王城で魔王の仕事をこなしているのか。
(……ふぅ。疲れるぜ、まったく。というか生前もこんなに忙しかったか? 300年ぶりにしては今のところ違和感なく進められているはずだが、そろそろ余裕を演じるのが難しくなってきたぞ)
涼しい顔の裏で、内心そんなことを考えながら冷や汗をかく。まあつまりは、そういうことであった。結局、魔王シスルは王としての責務を逸脱できない。アスランを離れるわけにはいかないし、王に似つかわしくない自由なふるまいも許されないのだ。だから今もアスランにとどまり、魔王としての役割を全うしているというわけ。
『……これでいいのかしら? 時間、無いんじゃなかったかしら』
「いいわけがないだろう。だから、そのためにも今は大人しくしているんだよ」
『ふーん、なるほど。そういうことなら納得かしら。急に姿を消してしまえば騒ぎになるものね』
こそっと囁いたセラに、チラッと目配せだけをしてアザミはボソッと彼女にしか届かないであろう声量で答えた。
魔王という、この大陸の半分を占める広大な世界の王様が不意に姿を消せば大騒ぎになる。つまり動くには相応の理由がいるのだ。
とはいえここが世界魔法で、だから別にこの世界で魔王シスルの評判が下がったり無茶やって魔界がボロボロになったって構わないじゃないか。この過去を改変したところで、世界線が異なる元の世界には何ら影響しない。ならやっぱり、気にせず好きにやればいいじゃないか。
それはもっともな話だ。けれど、だがやはり魔王シスルはそのような真似を許されないのだ。魔王シスルという存在の大きさは決して馬鹿にできるものじゃない。彼を失った後の魔界がその後300年間、人界との戦いが泥沼化したことからもそれは分かるだろう。
だから、もし魔王シスルが仕事を放棄してしまえば、“もしかすると”、魔界があらぬ方向に暴走する可能性があった。そうなれば神代兵器をどうこうとか言っている場合じゃない。事態は余計にややこしくなり、さらに面倒なことになるだろう。
(だからそのためにも、今は我慢の時だ。確かにセラの言う通り、俺達には一分一秒たりとも無駄にできる時間はない。だがそれでも、下手に動いて厄介に巻き込まれる方が御免だ。鉄の意志で、今は耐えるしかないんだよ)
元の世界、東の国では“急がば回った方がいいんじゃね?”みたいなニュアンスのことわざがあるらしい。うろ覚えのアザミだったが、今はまさにその通りだった。パッパと手際よく王の仕事をこなし、自分が離れてもなんとかできる状態を作る。そうすればゼントもいるし、魔界は何とか現状のまま安定することだろう。そうなればアザミも問題なく動くことができる。「前線の視察に行く」、なんて理由をつけて北へ進み、隙を見て人界に侵入までできればベストまで考えていた。まあそれはバレた時のリスクが大きすぎるのでするしないは微妙なところだが。
だが、いつまでもこの魔都アスランにとどまったままじゃいられないのはその通り。
ということで、魔王シスルは「ふぅーっ」と気休め程度の息だけ吐き出して、また次の客を迎えるのだった。
「しっ失礼します、魔王様っ……。あの、なんと言えばいいか……」
次の客は見るからに動揺している様子だった。まあ、魔王の前だ。世界の半分を支配する男の圧を前に、こうなる者は決して少なくない。だがその男、おそらくはアスランの守衛だろう。彼の様子はシスルへの畏怖とかそういった類のものとは違ってみえた。
「どうした? 聞いてやるから落ち着いて話せ」
「あのっ、えっと……」
しかし、シスルが柔らかく促してもその男の様子はオドオドと休まるところを知らない。先ほどからチラチラと扉の方を振り返っているし、いよいよ様子が変であった。
「……もういい。後で時間をとるから、その時までには―――」
これ以上は埒が明かないと判断したシスルはため息をつき、その男をいったん帰そうとした。シスルは多忙の身であるわけだから、この男の動揺が収まるのをずっと待ってやることはできない。仕方ない、とシスルが王の間に待機する側近に銘じてその衛兵の男を下がらせようとした、まさにその時だった。
「―――さあ、刮目なさい!」
さきほどから男がチラチラと不安げに振り返っていた、王の間の扉がバーンと勢いよく開け放たれたかと思うと、そこから自信に満ち溢れた明るい声が、恐れ知らずにも飛び込んできた。
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