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1002話 事件の香り

「ところで、ずっと気になっていたのですが」

「あん? なんだよ急に。告白か?」

「いいえ。ただ、どうしてジャンは私のことを“お嬢”と呼ぶのかな、と。普通、その呼び方は目上相手に使いませんか?」


 ジャンの冗談を冷たく、一縷の検討もなく切り捨てシトラスはその問いに首を傾げた。相変わらず冗談の通じないやつだな、とジャンは笑いながら、騎士団本部の廊下を進むその足取りを緩めることなく、少し考えこむ。そして「はぁー」とゆっくり吐き出した息と共に、その答えをボソッとつぶやいた。


「……大した理由はねぇよ。ただ、俺はお前をシトラスって名で呼びたくないだけだ」

「それ、なかなか酷い言いようではないですか……?」


 名前の否定はその人自体の否定だ。たとえ“シトラス”という名が、彼女の施設時代の友人であるミーシャ・ロッツォがつけたあだ名であったとしても。親の顔も知らない彼女は当然本名だって知らないし、だからシトラスという名は彼女にとって本当の名前みたいなもので、それなのに呼びたくないなんて言われたら傷つく。


「理由を聞いても? まさかただの嫌悪ではないのでしょう?」

「……さぁな。理由なんてとうの昔に忘れた。それより、資料には目を通せたのかよ」


 そう言ってジャンはくいッと顎で、シトラスの持つ紙の束を指した。彼が浮かべるは遠い目。シトラスはジャンの横顔をまっすぐ見上げているのに、彼の目線はシトラスではないどこか遠くを、まるで彼女とは違う誰かを見ているかのようだった。


(わかりやすく話を逸らされてしまいましたね)


 そんなジャンの態度にモヤッとしたものを心に覚えたシトラス。だってそれはシトラスでもわかるほど露骨なものだったから。よっぽど聞かれたくなかったのか、話したくなかったのか。スッと納得はできないが、でもこれ以上教えて教えてと駄々をこねたってきっと無駄だろう。勇者シトラスとジャン・ミラーは18の時に出会い、そこからは使用者と武器、上司と部下のように一心同体で数多の戦場を潜り抜けてきた。一応、相手の性格は理解しているつもりだったから。ブスッと唇をすぼめながらも、シトラスは逸らされた話に従い目線を手元へ向ける。


「資料……まあ、一応は。この、“連続少女誘拐事件”というのが王都で発生しているからジャンと私が呼ばれた、ということなのですよね?」

「ああ、そういうこった。ったく、魔界のことで手一杯だってのによ。連中、外に目を向ける暇があるならまず内の問題から何とかしろだってよ。チッ、お前らこそこっちの事情を知らないくせに勝手言いやがるぜ」


 そう言ってイライラと、舌打ちしながらガンッと手近にあったゴミ箱を蹴り飛ばすジャン。見た目から受ける印象を一切裏切ることなく、騎士団長でありながら彼の素行不良はその通りだった。慌ててその後始末をする若い団員にズキンと罪の意識を覚えながら、シトラスは彼の歩みに合わせて少し歩幅を大きくした。


「ジャンを動かすとは、まさか王家からの指示なのですか」

「チッ、いけすかねぇよなアイツら。出資してるからってデカい顔しやがって」

「まあ……スポンサーの指示であれば従っておくほうが吉だとは思いますけど」

「んなことは分かってんだよ。真面目かお嬢お前。分かってっから思惑通り動くことにムカついてんだ俺ぁ」


 王都の守護である騎士団、その長を動かすことのできるほどの存在は一つしかない。身内がいくら言おうと、ジャンという男は魔界との戦争に注力し耳を貸さなかったろう。そんな彼を王都に呼び戻し、連続少女誘拐事件なんてきな臭い、でも言ってしまえば“ただの事件”程度に従事させるなんて、相手は王家以外ありえない。


(確かこの時代……ローズウェルハートのお姫様がちょうど十五の誕生日を迎えた頃でしたっけ)


 なるほど……とシトラスは分厚い資料の、その裏にある思惑に勘付いた。大方、連続“少女”誘拐事件なんて大衆の闇に巻き込まれることを憂慮したのだろう。それで騎士団長とその懐刀……人界最強(ジャンとシトラス)を引っ張りだすという大袈裟な真似をしてまで解決を図ろうとしたわけだ。


「一応言っておくが、今の段階じゃまだ犯人の目星は一切ついてねぇ。ここまでの概要はそこの資料にまとめてあっから大丈夫だよな?」

「とりあえず頭には叩き込みましたので大丈夫です。ただ自信があるかと問われると……」

「無い、と? まあ俺もお前もこういう探偵めいた真似は本業じゃねぇしな。クソ犯人(ハーメルン)が正面戦闘を挑んでくりゃ解決はちょちょいのちょいなのによ」

「ええ。そう、ですね」


 ジャンはパチンと悔しそうに指を鳴らす。そんなジャンの傍らで共に長い螺旋階段を下りながら、シトラスは足元を見て俯いた視界の中で「……」と考え込む。


(連続少女誘拐事件、ですか……)


 シトラスはパラパラと読んだ手元の資料、その中身を思い返す。

 

 事件の発端はどうやら1年も前のことらしい。いいや、より正確に言えば事件の“真の”始まりは掴めていない。というのも、1年前の事件というのはあくまで“初めて事件化した”という、ただそれだけだったから。

 1年前、王都のとある中流家庭の娘が行方不明になった。朝のお祈りに行く、と言って家を出たっきり帰らなくなったらしい。夜になっても戻らない娘を不審に思った両親が騎士団に駆け込み、すぐさま捜査が開始された。しかし、少女の足取りは全くつかめない。礼拝堂に訪れた記録は残っているのだが、その先がさっぱり。少女は霧の中に、まるで何者かにいざなわれたかの如く“消えた”。

 その後も、一切の手がかりなく少女が消えるという事件が週に一度ほどのペースで起きた。そのたびに騎士団は駆り出されるが、けれどやはり何も掴めずじまい。両親は泣き寝入りし、騎士団は何もできない歯がゆさを覚えるだけだったその半年後、事態はより深刻なものになる。

 数えること、それは実に18回目の事件。失踪した18人目の少女はいつもみたいに何も手がかりなく、突然消えた。ここまではこれまでと同じだったのだ。しかし、問題だったのはその少女が貴族の令嬢であったこと。今までは貧富の差はあれど、消えた少女たちは共通して一般の家の生まれであった。そんな中、犯人の魔の手がついに貴族にまで及んだわけだ。

 名家ゆえの財力、権力を総動員し、娘を奪われたその貴族は騎士団に圧をかけた。騎士団も貴族様からの依頼となれば今までのように「見つけられませんでした」では終われない。それはもう、血眼になって王都中を探し回った。検問を設置し、誰一人王都から逃がさないようにしてまで。

 だがそうまでしても、消えた令嬢の足取りはプツンと途切れたまま。結局その少女もまた、見つかることなく。誘拐犯はそこからもあれよあれよと貴族の娘を攫っていった。そのあたりからだ。連続少女誘拐事件の噂が王都で囁かれ始め、その恐怖を演出した犯人が“魔笛の人隠し(ハーメルン)”だなんて笑劇めいた名で呼ばれるようになったのは。まるで笛の鳴らした音のように響いてはふっと消える。それは身近に潜む恐怖の存在。

 

 その事件の始まりは分かっていない。ハーメルンの噂が流れてから分かったことだが、1年よりもっと前から貧民街で少女の失踪が増えていたというのだ。だが、それは何も珍しいことじゃない。売春、人攫いに人買い、口封じの殺し。そんなものが蔓延る貧民街で少女が少し多く減ったくらいで騒ぎにはならなかった。今になってみれば、それが始まりだったのかもなんて。一般に魔の手が及ぶようになってから騎士団は動き、貴族の娘に被害が出始めてから世間は恐れるようになり。そうなれば次は―――なんて、王族が不安に思っても仕方ないだろう。


 そんな、一切の手がかりなく、これまでに確認できているだけで29人の少女を闇に消してきた誘拐犯ハーメルン。事件に一切の手掛かりがないのだから、当然犯人の心当たりなんてあるはずもない。


「それを俺たちで解決しろ、なんて無茶を言うぜ。王族ってのは自分たちの都合しか考えねぇ、これだから嫌いなんだよッ!」


 苛立ちがどんどんと募り、そのボルテージが上がっていくジャン。けれどその隣で、シトラスは背中にツーッと冷たいものを覚えていた。探偵の真似事が専門外だから不安……事件の悍ましさから覚える不安……それもあるが、それ以上に。


(私、こんな事件が王都で起きていたなんて……“知らない”、ですよ?)


 ゴクリと思わず唾を飲み込む。ここは300年前の王都で、今の自分はシトラ・ミラヴァードではなく勇者シトラス。つまりここは過去の追体験であり、シトラスが“一度経験した知っている世界”のはずなのに。不気味にも、これはシトラスの知らない記憶であった。もしかしたら過去の王都でも似たようなことは起きていたのかもしれないが、少なくともシトラスは関わったことがない。


(それを解決しろだなんて、私一人でどうしたら……)


 チラッと隣を見上げると、ジャンのイライラした表情。戦力で考えれば人界最強の呼び声高い二人だが、残念ながら事件解決なんて頭を使う分野に関しては……不安しかない。こういう時にアザミが居てくれたら―――と、シトラスが心の底から願ったのは言うまでもなかった。


「チッ、暑い中で似合わねぇ真似なんてさせやがって。今度の円卓会議にのうのうと顔出しやがったらあのクソ王様ご自慢の髭を毟り取ってやるよ」


 騎士団長のものとは到底思えない、聞くところが聞けば顔を真っ青にしそうなセリフを吐き、ジャンは憎々しいほど青い空の下、王都へと繰り出していく。その態度の悪さに諦めと不安を覚えながら、シトラスもその隣に続く。いつもであればむしろシトラスが世話をさせる側なので逆な気もするのだが……。どこか似たような匂いを覚える、そんな狂犬コンビであった。


(とりあえず、やるしかないみたいですね。これがどう繋がってくるかは分かりませんが、アザミもシアちゃんもレンヒルトさんもいない現状、私は今の私にできることをしなければ)


 世界魔法と元の世界とでははっきりと異なることが一つある。基本はイフの世界線であり、ありえた世界のとある一点を抜き出して作られたのが世界魔法。ゆえに歴史は同じように繰り返すはずなのだが、そこに異物が混じれば当然、歴史も歪んでまた違う道を進み始める。その明らかな異物こそが……“神代兵器”。この世界魔法を開いた張本人であり、幕の上がったその瞬間からこの世界魔法がたどる歴史上には存在しないはずの異質な存在。


 この連続少女誘拐事件がシトラスの記憶にない、この世界魔法オリジナルのものであるなら。そこに神代兵器の存在が影響している可能性は少なくない。彼女の存在が作用し、歴史が書き換わった可能性……。であるなら、ジャンと共にこの事件を追うことは世界魔法の剪定、神代兵器から鍵を奪いこの世界を閉じるという旅の目的のための近道だ。


(見ていてください、アザミ。いいえ、この時代だと魔王シスルですか。あなたとこの世界で顔を合わせた時に誇れる戦果をきっと、私は手に入れて見せます―――)


 そんなやる気と共に、シトラスはザッと一歩を踏み出した。どうなるかわからない。不安しかないこの先の道のり。始まったはいいものの、この先どうなるかなんて何一つ見えていないというのに。居ないはずのアザミの存在が不思議とシトラスの心を奮い立たせていた。彼女はフッと零した笑みと一緒に胸元をきゅっと握り、そして王都を覆う闇へと進んでいくのだった。

※今話更新段階でのいいね総数→3342(ありがとうございます!!)

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