四十三話
影の帳からその身体を顕にしたソレは、ただ佇んだ。たったそれだけだった。
恐らく惰情などでは無い、こちらが脅威になりもしなかった。それだけなのだろう。
夕闇に溶け込む様な黒い毛皮に身を包み、口腔よりはみ出した牙は鋭利そのもの、抉る様に大地を蹴る脚には刃の様に長く鋼が如き爪を持ち合わせた四脚の獣。
狼に酷似したソレは、真紅と群青、二つの獣眼で此方を品定めしていた。そう、過去形だ。
眼前、目前に迫る刃状の爪を、逆袈裟に振るった剣で対抗する。
獣の体重がかかった飛びかかり両碗の一撃、剣を伝って分かる重圧に眉を顰めつつ、相手が空中で踏み込めない事をいい事に振り切って斜め上に放る。
着地の後、瞬間で詰め寄りとんできた追撃を、身体を前方に倒し四肢の内側に入り込む事で回避。後ろ足を過ぎた辺りでUターン、武技アーツを叩き込む。
「【双炎剛断】ッッ!!」
武技アーツの使用を皮切りに燃え盛る愛剣を切り上げ後ろ足に、上段からの振り下ろしを支柱となっている前足にあて、即座に後退する。
帝都を確実かつ迅速に守る為には、魔物たちの殲滅は必須。依然としてにらみ合いを続けている奴、黒狼以外にも気の抜けない気配は幾つもあった。黒狼が取り分け強大で、瞬時に攻撃を仕掛けてきた為に、先頭にいた私が受けたのだ。
「各員、状況を報告せよ!」
剣を下段に、足に力を入れたまま情報の収集を待つ。悲鳴が聞こえたが、傍目に大きな損害はないように見える。最も、後方を見る余裕はないので、周囲の状況から察するにといったものだが。
「報告します、一部が先程の咆哮で恐怖状態に陥り、侵入を許しかけましたが防ぎました。受けた怪我の大部分は軽傷です」
「神殿に神官の増援を要求させろ、無理ならば重症者の保護を頼め」
咆哮に合わせるという知性、自発的なものではあるまい。散発的だった魔物の襲撃も、黒狼が現れる前にはピッタリと収まっていた。情報は十分、黒狼が襲撃の主とみていいだろう。
武技の効果が全く出ていないことを見るに、奴を仕留めるには恐らく私の切り札が必要なレベルの相手。加えていうなら、相手は俊敏、攻撃も撤退も高速だ。攻撃が当たるとも限らないし、気功を溜める間にこちらが崩壊するかもしれない。
『別に討滅にこだわることはないのですよ、アルテミス殿下。こちらの勝利条件は帝都の防衛、魔物の掃討ではありません』
「いきなりの念話はやめろ、ましては戦闘中だ」
脳裏に音を伴わない他人の意思の登場、念話だ。突然過ぎて、言葉で返してしまった。恐らく聞こえているだろうけど。
『失礼。こちらの作業もあと十五分ほどで終了するので、ご報告を、と』
『了解した。わかっているとは思うが、大将格のお出ましだ。忠告通り、こっちは防衛に回る』
気付いたら目的と手段が入れ替わっていた。魔物は打ち倒すもの、という無意識が悪さをしたようだ。アドバスがなければ、勝ち目の薄い戦いに挑んでいたかもしれない。自戒の念に、少し唇を嚙んでいた。
『その大狼、もしやすると西部の森の主を模したもの、あるいはその血脈かと。十分ご注意ください』
「了解した。専守防衛ッッ!魔物の一切に門をくぐらせるな!!!」
命令と同時に襲い来る魔物を切り捨てた。長い長い十五分が、始まった。
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念話を終えて、意識を術式のデバック作業に集中する。今現在も歯車人形達はエラーを吐きまくっており、その数、百は優に超える。なんでこんなにエラーが多いのか、不思議でならない。作成者はどこの誰だ。そんな事を魔術で吹き飛ばした爆心地の中心で思う。
冗談はさておき、そんなのは裏作業でいい。本題はこの状況をどこの誰が招いたのか、ということだ。急ぎ、『森の主』に繋ぎを取りに使役体の幾つかを思考並列に回すのではなく、かの古狼の領域に足を踏み入れさせている。
残念なことにティルフザールの新型機計画は完遂していないし、この場で作成可能な媒体で、僕の装備を上回るものはない。龍器でどうにか回すしかあるまい。最大行使可能術式数は減るが、この場合の最適解はこの手の中にある。
「……………ペルソナ」
ペルソナの術式範囲内の探索結果に、新規の敵影は無し。デバック作業のさらに裏で、幾度となく同じ結果をこの目で見ている。魔力だけを使った、条件なしの通常探査魔法。隠匿術式を貫通できないか。
「できうる限りのソナーをすべて使え、術式処理限界を突く。不可能なら、不審なまでに映らない場所に包囲攻撃の準備をしろ」
『イエス、マスター。αクラス確認、非表示操作:死神の目、発動』
確かにペルソナ構築当初の目標は帝国勢力の強化であったが、主要目的に使う術式を書き終えた時点で、かなりの術式的空白があったのだ。当然、攻撃術式等を書きこんだ。
まぁ、僕以外の手にペルソナがわたる可能性もあったから、マスター権限とクリエイター権限と分けてこの様に封じていたわけだが。
『〈死神の目〉発動まで残り十分、従って発動遅延を用い歯車人形のアップデートと合わせます」
「異存はない、逆転は素早く、大規模に。移動が厳しい様なら転移術式も使用する」
完全な包囲というわけでもないが、帝都からそう簡単に出られる状況ではない。皇帝陛下は後進育成の為に上位勢の介入を禁じている様子だが、平民たちから不満不平が出るに決まっている。
(多少)暇なときに襲ってきた魔物を切り開いて診てみたが、得意な部位は見受けられなかった。赤くなっている眼球も、数分経てば元来の色に戻るようだった。
魔物に感染症の様な類の痕跡はなし、奇妙である。操られているような特徴を強く持っているのに。
第二皇女殿下は割と戦闘狂な感じ。敵は殺す、主将の首は飛ばす、的な考えがデフォルトです。




