二十九話
初めに聞いときゃよかったなぁ。そんなことを呟く精霊は、先刻の感情の噴出を無かったかのように付いてもいない埃を払う。人間の振りをしているのか、単なる癖なのか。掴み取れない動作だが、賢者イーステアが好意的に書き記した理由が分かったような気がした。
「ま、呪いは干渉できないようにしてやるから、頑張れよ」
幻影の準備を終えたのか、光の霞に変わる体の中で原初の避役はそう呼びかけた。激励か、哀れみか。僕には判別できなかった。それを知るためには、影を破る必要があるだろう。
「【龍器召喚】。コアたちは………魔力接続以外はカットされてるね。シリスティアも呼べそうにないか」
媒体を呼び出すついでに、状況確認。使役術式の繋がりはあったが、本人を呼ぶことは出来ないだろう。龍器も確認すれば、全体的に大きく、深い魔力を纏っている。心做し魔力も操りやすい。
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そうして、全ての確認を終えた頃。幻想的に緑を称え、神聖という言葉さえ似合う広場の植物が急速に枯れていく。茶色の領域が広まると共に、ピリリと肌を刺す重い空気が湧いてきた。
直面したことのない事態に警戒し、直ぐに術を扱えるように魔力を高めていたら、ちょっと前に会ったメタルイーターの王が三体ほど余裕で入る空間の七割方が生気のない光景に変わった。変貌ぶりに眉をひそめる。これほどのリソースを使って何を呼び出すつもりなのか、臆病風が吹き付けた。
『久方ぶりに呼び出されたと思うたら、処女宮の天使を宿す小僧が相手とは。佳き余興になりそうだ』
その声が響いていたのは、広場の丁度中心。瞬きをした一拍の中に術式の展開をしたとでもいうのか、極彩色の魔導陣が開いていた。植物から吸い取ったと思われる精彩を贄として、術式が姿を変えていく。
黒く黒く、闇夜の宙色の鱗。その背に固着した苔とそれを大地として根を張る木々。もはや爬虫類ではなく、龍のそれを凌駕する深淵を思わせる眼球。呼吸の為に開かれた口内には肉食動物特有の槍先似た牙が覗く。刃が重なる様にして構成された剛角。
だが、それらの特徴を凌駕するのは、何よりもその大きさだろう。全てが大きく、人と比べれば月と鼈ほどだ。世界蛇との二つ名が名高い彼の存在の名は……
『我が名はヨルムンガンド。小僧、準備は佳いか?』
はっきりと質問に答えるなら、ノーと言ってしまいたい。腕の震えが止まらない。どうしようもなく、体が怯えている。
今の体では、十全に勝つなど不可能だ。そう、事実が告げてくる。
本物が受肉を果たした魔導生物は、本来のスペックを遙かに凌駕する。そう、知識が告げてくる。
本能が。知性が。僕を止めてくる。『逃げた方が楽』なんて不義理な弱音が、煩いぐらいに反響する。
瞼を閉じれば、脳裏に幼き頃のティーナの笑みが浮かぶ。
それは古びた写真で、それ以外は思い出せない。
独白すれば、僕の記憶に彼女の姿はほとんどない。
簡略化された出来事とたった一つの笑みだけ。
別人といっても、差支えなど無いだろう。
それでも、ティーナは受け入れてくれた。
過去の僕は、逃げるなんて選択しないし、抑々選択肢に無いだろう。
なら、僕がすることは一つ。
気づけば、震えは止まっていた。片手で持っていた龍器を両手で掴み、横に構える。
普段はしない、主体攻撃を基本とする構えだ。
「構いません」
『その意気や佳し!』
その直後、ヨルムンガンドが吠えた。耳を轟音が劈き、衝撃波となって枯れた森を吹き飛ばす。
「……なんてパワー。相殺できたのはほんの一部か」
痛い。痛覚が叫ぶ。木の葉のようにこの身は空に舞っている。どうやら、事前に貼った結界はもう壊されたようだ。権能を発現し、翼を生やして、同じ舞台にやって来たヨルムンガンドに対応する。
「どんな原理で飛んでるんだか、あんな質量浮かべたら一億あっても魔力は足りないんだけど……」
『ふむ。まだピンピンしておるな』
上昇行動のままに突進してきたヨルムンガンドを上に避け、召喚した剣達を伴って攻撃。
「〈収束する光の矢〉」
『その程度で我が鱗は貫けんわ!』
剣先がヨルムンガンドに触れたとき、刃など無意味という様にその身を捻じって、回転力と図体を持って作り上げた風によって剣達は全滅した。僕の術式も攻撃を通すには至らなかったし。
生半可な攻撃じゃ、魔力の浪費に繋がるだけか。硬いだけなら、振動か脆弱化でどうにかできるけど…
『来ないようであれば、此方から行くぞ!デッドリーファング!』
その声と同時に再度の咆哮が轟き、魔導を発動する。魔導陣を読む限り、無属性遠隔攻撃。でも、紋章はヨルムンガンドのもの。何が起こるか予測できない。
『恐れ、慌てふためくがいい!』
感覚を研ぎ澄まし、術式行使と共に巨躯が生み出す絶大的な攻撃範囲と破壊力を活かした噛みつきを繰り出したヨルムンガンドを視界に収めつつ、攻勢魔力を探す。
魔導陣は既に崩れた。今は現象に転化しているはず。
右へ、左へ、右と見せかけて左、左に行ってから背中への転移。目の前を山を飲み込めそうな巨大な顎が横切る。回避の結果は上手く行っているが、過程が危なっかしい。
五回。今までの十五回の噛みつきの内、足が巻き込まれかけた回数だ。
『ふ、そろそろか』
序盤から変わらぬ余裕気な声が、僅かに期待を孕む。先刻の術式も姿を表していない。そこにヨルムンガンドが期待を寄せる何があるのか……
「一体何をっグゥアあ!」
突然の激痛が全身を襲う。しかし、体のどの部分にも傷ができていない。傷みと矛盾が思考を狂わせる。これでは、満足に術が使えない。
全身を噛み砕かれたそんな錯覚さえ覚えた。おかしい、被弾は一度としてしていないのに。
『クックック。ソレはな、対象が牙による攻撃を避けた回数分、避けたダメージ分の痛みを与える術だ。面白かろう?避ければ避けた分だけ傷みが走り、体は動かなくなる。しかし、避けなければ待っているのは死のみ』
種は最初から撒かれていたのだろう。初手の咆哮も、魔導陣に記された内容もブラフ、全て囮だったわけだ。さりとて、対抗手段が無いというわけではない。
「使うのは久々ですが、上手くいきますかねぇ?〈痛ミハ思イニ〉」
対拷問用の魔法。と言っても、近年の封印術式の効果の向上の結果、対象のマジック発動を禁止することが出来るので、産廃になり下がった術式だ。
強張った筋肉が解れ、赤が肌から引いていく。代わりに、魔力が回復する。と言っても、過剰回復なので、コアたちに流す。
『ほう。珍しい魔法であるな。もはや使うものは居ないと思っていたが』
物理攻撃の有効性は剣達で確認済み、マジックも大して効いていなかった。じゃあ、複合属性を試すか。〈両義の刃〉を杖先に展開する。
「本の虫の振りをしていた成果ですよ。ッシ!」
『勤勉なのは佳いことだ。しかし、愚鈍な突撃は寿命を縮めるぞ?』
ヨルムンガンドの巨槍ともいえる角を狙ったものの、結果は失敗。表皮に小さな切り傷を付けるに終わった。相手は微動だにもしていない。
斬りつけの速度を維持し、鱗を狙ったが、結果は同等。斬撃は相性が悪いかと思い、途中から〈両義の刃〉の形状をハンマーに変えたが、砕けたものは一枚もない。
『くすぐったい物よ』
煽られている。
一度、何も考えずにぶっ放すのありなのではと、心の底から思う。
効率と検証。試練故に失敗を恐れているのもあるが、腰が引けていたのだろう。
「基礎攻撃じゃ防御を抜けないか、自信作だったんですけどね」
『見くびられた物よ。ヒト程度の魔導体系で我に若干の傷を付けた小僧はよくやったものだがな』
実のところ、そうなのだろう。長年のときを経た人類の魔導技術は確かに質を上げている。しかし、それ以上にヨルムンガンドが鍛え、研鑽を重ねた技術は更に上を行くのだろう。
「龍体を出しても、押し切られるのは確実ですし。賭けに出ますか」
領域支配術式はヨルムンガンドに破られそうだし、抑々コンセプト的に相性が悪い。アレは対多数・軍勢用に作った物なのだ。そんな訳で、今回が初運転となるクロノクルスを取り出す。
「弾数は十分。問題は貫通力ですが、武技と特殊弾で補える事を期待しますか」
無駄に量産した弾倉三千を超え、燃料となる魔力は問題なし。怖いのは武技に使用する気功が枯渇しないかだ。
……………こんなつもりは無かったんですけどねぇ。戦闘シーンってどーしても切りが良いところが見つからなくって。
何時になったら長くできるんだろうか。




