始まり
少女が泣いていた。何故か、世界がぼんやりと、ふやけたようで明瞭としない。少女は顔を両手で覆っている。
——なんで、泣いてるの?
僕が問いかけても、少女から反応らしきものは感じられない。
「なんで、私を捨てたの……?」
少女は泣きじゃくりながら、低い声でうめく。僕は、彼女に近づこうと
したが、身体は鉛のように重く、身動き一つとれない。
「寂しいよ……。寒いよ。お願い……私を一人にしないで……」
——泣かないで。僕で良かったら、話を聞いてあげるよ。
少女が、微かに顔を上げ、こちらを振り向いた。
「私を見つけて……お願い。だって、私はあなたのことが——」
目を開けると、雪化粧に彩られた田園地帯が、車窓から飛び込んでくる。
——夢か。僕はうつらうつらしながら、大きく伸びをした。電車内の暖房が、ほどよく効いて、強烈な睡魔を与えてくる。
特急電車の座席から、僕は窓辺を流れる景色を眺めた。季節は二月。一年の中で、もっとも底冷えが厳しい時期だ。電車は北に進路をむけガタガタと、一路、祖父母の住む街に向かっていた。
この時期に、祖父母の家に行く理由は、二つあった。一つは正月に帰省することが出来なかったこと。もう一つは、祖父が雪かきの最中、転落して怪我をしたらしく、ピンチヒッターとして、僕にご指名がかかったことだ。
両親と暮らす自宅から、父方の祖父母の家までは、特急で三時間もかからない。いざとなれば、日帰りでも出来る距離だ。
最寄り駅に到着し、僕は暖かな電車から、木枯らしの吹くホームにでた。
チラチラと、粉雪が舞うホームを早足で、通り過ぎ階段を降りる。
古びた駅舎の改札を抜けると、駅ロータリーの一般車両スペースに停まっている、ホワイトの軽乗用車がクラクションを鳴らす。
僕が視線を向けると、軽自動車から柔和な顔つきをした、中年の女性がこちらに歩いてくる。
「蓮ちゃん、久しぶりだねぇ。寒いでしょう。早く車に乗りなさい」
「叔母さん。ご無沙汰してます。ほんと、よく冷えますね」
挨拶もそこそこに、僕は、軽自動車のドアを開け、助手席に座った。
寂れた商店街を走り抜け、山手に向かって車を運転しながら、叔母が快活な声をあげる。
「どうだい、大学は。楽しくやってるの?」母親のような口ぶりだが、一点違うのは、説教のたぐいとは違う、可愛い甥っ子に対しての愛情だ。
「はい、楽しくやってます」僕は、社交辞令のような回答を返す。
「そうかい、そりゃなによりだね。蓮ちゃんはハンサムだし、もう恋人の一人や二人出来たんじゃないかい?」
返答に困る問いがきた、と僕は思った。父方の祖父母や親類は、揃って幼少時から、帰省するたびに、これ以上は無いというほど、僕のことを可愛がってくれた。
おかげで、僕は彼らが暮らす、このド田舎の雰囲気を含めて、祖父母達に対して、深い親愛の情を覚えるようになった。
「いや……。どうだろうな。モテたことが無いんでわかりません」
僕は、その場しのぎの返答で取り繕ろうとした。叔母は、笑いながら「そうなの?蓮ちゃんが気付いてないだけでしょうに」と温和な口調で返してきた。
窓から見える風景は、長閑そのものであり、古い建築様式で建てられた平家が、広大な田んぼに挟まれるように、ポツリポツリと立ち並んでいる。
「そういえば、ヒマちゃんとアッちゃんは元気にしてますか?」
話を逸らしたかった僕は、沈黙を打破するべく、話のネタを見つけて、叔母に振る。
「元気にしとるよぉ。ただ、もう高校や中学生になると、私に反抗してばっかでねぇ。この間なんか『お母さん、私、目と鼻を整形したい』なんて言ってからに。親からもらった大切な顔に、傷をつけるなんて許しませんって怒ったもんだよ」
「年頃の女の子らしいですね」僕は、愛想笑いを浮かべながら、月日が経つのは速いなと思った。