4月11日(木)☀:アキラとイブとクララ
【京一】
「やべえよ。俺、ほとんど寝てねえんだ。今日提出の数学の課題に朝までかかっちまって」
うなだれるような声で遠野晃が言った。
「あれ、一週間前から出されてたろ。溜め込んでたお前の自業自得じゃないか」
とはいえ晃がちゃんと自分で解いて提出日に間に合わせたのはよくやったと思った。
いつも家でゲーム漬けの彼にしては非常に珍しいことだ。もう今日は雨雪どころか槍とか豚とか飛行石を持った女の子とか降ってくるかもしれない。
僕らは駅から学校までの道中を歩いていた。
晃とはほぼ毎日、登下校を共にしている。
彼もまた、幼馴染と言えば幼馴染なのだ。
僕と凛は物心つく頃からの縁だが、晃とは小学校の頃から一緒だ。さほど変わらない。
ただし、こいつの場合は幼馴染というより腐れ縁って感じだ。腐った縁なのだ。
「それより京一、どうだったんだよ昨日!」
「昨日?」
「とぼけんじゃねえよ、宮本のことだよ。一緒に図書委員の仕事したんだろ、それでお前、連絡先ぐらい聞けたんか?」
「そんなわけないだろ。なんにもないよ」
「は? お前、マジで言ってんのか。あの学年人気ナンバーワンの宮本と狭いカウンターの中で二人きりでいたのに、なんにもなかったって、お前本当に男かよ」
飛行する円盤でも見たかのような大袈裟な顔をして言う晃。
「……ほほう、なるほどなるほど、わかったぜ」晃がにんまりと笑った。「お前、実は狙ってんのは宮本じゃなくて凛なんだろ。言われてみりゃそっちの方がよっぽどフラグだしな」
「はっ? いや、なんでそうなるんだよ」
「だってお前、家が隣同士の幼馴染で、しかも高校までずっと一緒なんだぜ? これはもうむしろ使い古された黄金パターンだぜ」
僕と凛はそれ以前の物心つく頃から遊んでいたとはいえ、そんな僕らを小学校の時点から見ている彼にとって、僕と凛が特別な関係になんてなり得ないことはよくわかっている筈であるが。
「それにな、凛も意外と男子から人気あるんだぜ。ほら、クールビューティーみたいな」
「だからなんだよ」
「いやだからお前、それを踏まえてあいつと幼馴染っていうのはかなりいい立場なんだぞって話だよ」
「…………」
まったく余計なお世話である、このゲーム脳め。
教室に到着したのは授業開始前ギリギリだった。
教室内はまだ騒がしくはあれど大方の生徒が自席に座って授業に備えている。
その中で堂々と入室するのは本来であれば気まずいだろうが、僕らにとっては毎朝のことなので特に気にしない。
「小智くん、遠野くんも。おはよ」
「あ、うん。おはよう」
教室に入った僕らを見て、宮本が声をかけてくる。
「もうすぐ一時限目始まるよ、ギリギリだね。もしかして寝坊?」
意地悪っぽい笑みでわざと咎めるように言う。
朝からかわいい。
彼女の笑顔はなんというか、天然のそれだけで男の弱点にうまいことぶっ刺さるのだ。
自分の席へ向かい、ふう、と一息ついて座る。
じとり、と横から視線を感じる。
「ギリギリじゃん」
刺さるような言葉。
「……お、おはよう」
「おそよう」
ぴしゃっ、と言い切るのは凛。
隣の家に住まう者同士、何の因果か、座席まで隣合わせの僕らなのである。
彼女の顔を見ると、ふと、昨晩の夢を思い出した。
子供の頃の姿になって、凛が魔法少女に変身して怪物を倒すとかいう意味不明の夢だ。
一夜明けて改めて自分の夢の異様さが自覚されて恥ずかしさが込み上げてくる。
「なに、変な顔して。私の顔になんかついてる?」
「い、いや別に……」
「へんなやつね」
無慈悲にそう言い、すぐに正面に向き直る凛。
その挙動に合わせて、まさしく尻尾のようにポニーテールが翻る。
授業が開始しても、相変わらず昨日の変な夢のことが思い出されてしまって、そんな状態では到底、授業には集中できなかった。
いや、いつもであれば集中しているのかというとそうではないが。
授業内容が頭に入ってこない。
どうせ入ってこないなら聞かなくとも同じことと悟り、僕は机に突っ伏す。
そうして授業開始すぐにもう意識が遮断され、気がつけば授業が終わっている。それを繰り返す。
業間のたび、隣の席の学級委員長が僕に咎めるような鋭い視線を向けてきていた。
・・・
昼休み。僕は晃と共に食堂の隅のテーブルで日替わり定食をむさぼっていた。
悲しきかな昼食を共にする相手は決まってこの腐れ縁なのである。
「あ、やっと見つけたー。こんな隅っこで食べてるなんて、なんか暗いよ!」
僕と晃が座るテーブルに、不意に二人の女生徒がやって来た。
開口一番に他人のことを陰気だと揶揄するなんて失礼なやつだ。
明るいブラウンのロングヘアをなびかせ、同じくブラウンの色をした瞳でこちらを見据える少女。
その後ろに一歩下がって隠れるようにしている幼い見た目のもう一人の少女。
「おー。イブとクララじゃん。よお」晃が片手をひらりと上げる。
「イブって呼ぶな!」
彼女の風貌は割と目立つ。
本来なら校則違反に当たる明るい茶髪だが、その面立ちを見ればそれが染髪でないと察せられる。
彼女はハーフなのだ。
「……ここ、座らせてもらうからね」
「どうぞお好きに、イブちゃん」
「だからやめろってば!」
そう言って晃の頭をばしんと叩き、彼女はその隣へ座った。
「いってえ。なんでだよ、昔っからそう呼んでたじゃん」
「こんなとこで呼ばないでよ、中学の時みたく広まっちゃうでしょ」
「いいじゃねえか別に」
「や、やだよ。もう高校生なんだよ? 子供じゃないんだよ。変なあだ名で呼ばれたくないじゃん、ねえ蘭子」
「私は別にいいけど」
もう一人の女生徒が、あっさりと否定する。
「私も隣いいかな、京一君」
「いいよ。くら、……じゃなくて蘭子」
小さな彼女はちょこんと僕の隣に座った。
きめ細かく流れる黒髪にショートボブ。その髪形がより一層彼女を幼くしている。
「えへへ、クララでいいよ。あ、ていうか、私たちの方こそ先輩って呼ばなくちゃいけないよね」
「えっ。やだよ」イブが即答した。
「おいこら待てやイブ。子供じゃないとかいうなら、ちゃんと先輩への礼儀も……」
「うっさい!」
「…………」
指宿美代と大倉蘭子。
あだ名はそれぞれ『イブ』と『クララ』。
二人は僕らの一つ年下で、小・中学校とずっと同じだった。
去年、僕らが中学を卒業してこの高校に入学し、今年になって彼女らも同じ高校に入学してきたというわけだ。
小学生の頃は、ここに凛を含めた五人でよく遊んでいた。
「ふう。ごっそさん」
定食を平らげた晃。昼時のラーメン屋にいる中年オヤジみたいな言い方だ。
「ときにイブよ」
「だからイブって呼ぶな」
「食堂でわざわざ俺らを探しに来るなんて、お前たち、さてはまだ友達作れてないのか?」
「はあ? そんなわけないじゃん何言ってんの」
「いやいや、隠さなくてもいい。よくある話だからな。
昔からの仲良しと同じ高校で同じクラスになって、出だしボッチじゃなくてよかったと安心してても、結局その他に友達が作れないってこと」
「それってあんたら二人のことでしょ」
「はあ? そんなわけねえだろ何言ってんだ」
さっきのイブと全く同じ反応の晃。
「俺らだって他に友達がいないわけじゃねえぞ!
同じクラスの山本っていうやつがいて、三人でよくつるんでるんだよ。いやあ山本はおもしれえやつで……、」
「じゃあなんで二人でこんな食堂の隅っこで食べてんのさ。その山本って人は?」
「……や、山本には、彼女がいるから……。昼休みは彼女と一緒に……」
「あ。なるほど、ごめん……」
少し気まずそうな顔をするイブ。
山本耕太郎という友人がいる。
彼は新聞部に所属しており、同じ部に交際相手の女生徒がいる。
今は部室で彼女と昼食をとっているはずだ。恨めしい。
「で、結局君らはどうなんだよ、他に友達はいねえのか」
半ばヤケクソ気味に、晃がイブに食ってかかる。
「……別に、友達作れてないとかじゃないよ。蘭子以外にも同じクラスに友達はいる、けど、なんていうかさ……」
むむ、と少し言い淀むようにしてから、続けた。
「あーもう、ぶっちゃけめんどいんだよね。
わあハーフなんだあ、とか。
どこの国のハーフなの、とか。
でも名前は普通なんだねえ、とか。
英語しゃべれるの、とか。
なんで初っ端からやたらプライベートなこと聞いてくんのよ! ていうか英語なんか喋れるわけないっつーの。パパはドイツ人だし! ドイツ語も喋れないけど!」
日独ハーフ十六歳の心の叫びであった。
「京一君。凛ちゃんと同じクラスなんでしょ?」
晃とイブのやり取りはさておき、といった感じでクララが僕に話しかけてきた。
「ああ。そうだけど」
「じゃあ、凛ちゃんとは一緒にお昼食べたりしないの?」
「いや、そんなことしないけど……」
凛は、毎日弁当持参である。
わざわざ食堂まで来ずに教室で食べている。同じく弁当持参の宮本と一緒に。
凛と宮本は去年から同じクラスだったようで、仲が良いのだ。
「でも、せっかく五人とも同じ学校なんだし……、昔みたいに楽しくお話ししたいけどなあ……。京一君、凛ちゃんに、お昼一緒に食べようって誘ってみてよ」
「え。凛を誘うの?」
晃とわちゃわちゃ話していたイブが、クララの言葉に急シフトで反応する。
「うん。だって昔は五人でよく遊んでいたし。お昼ごはんとか一緒に食べたいよね」
クララの言葉に対し、少し考えるようにしてから、イブは言う。
「いやでもさ、食堂のテーブルは四人ずつだし。五人だと一人あぶれちゃうから……」
「えー、でも見て? 余った椅子持ってきて五人で座ってるところ、あるよ? ここみたいに端っこのテーブルだったら邪魔にならないし」
「……それ、いわゆる『お誕生日席』でしょ。そういうとこに座るの、恥ずかしいじゃん。だから、誰がそこに座るかで揉めちゃうよ。やめたほうがいいよ」
「私、お誕生日席でいいよ」
「や、やめなよ。蘭子が座ったらもう本当に、お誕生日会みたいになるよ」
「それはうれしいな」
「…………」
炸裂するクララの天然に、返す言葉を失うイブ。
そうして、ある意味コントのような空気になって、
凛をこの昼食の場へ誘うだかの話はやんわりと空中分解し、そのまま昼休みを終えた。