5月4日(土)☀:それは現実
【京一】
「せっかくの連休なんだから部屋の片づけしておきなさいね」
母にそう言われて、仕方なく自室の片づけをした。
片づけの最中、押入れの奥からあるビデオテープが出てきた。
今やすっかり見かけなくなったVHS。
ラベルには汚い文字で、『カミカゲマン』と書かれている。幼い頃の僕が書いたものだ。
我が家にはもうビデオデッキがないのでそれを再生することはできない。
中でテープが絡まっているようなので、どのみち再生は無理そうだが。
『忍者ヒーロー・カミカゲマン』。
凛の好きだった『マジカル☆マリーちゃん』と続けて放送されていて、その時間は二人で並んでテレビ画面に食い入るように観ていた。
テープの再生はできずとも、脳裏には鮮明に蘇る。
陰ながら街の平和を守る影のヒーロー。
主人公は普段は冴えないコンビニアルバイトである。
渡すタバコを間違えて客に怒鳴られたり発注を間違えて店長に怒られたり、とにかく惨めな生活を送っている。
だが、ひとたび街に怪物が現れるとすぐさま『カミカゲマン』として参上し、影を操る能力で敵を倒して平和を守る。
しかし、戦いが終わると陰に潜んで帰ってしまう。
その正体を明かすことはない。彼はまさしく、影のヒーローなのだ。
僕はそのアニメが好きでたまらなかった。『カミカゲマン』に憧れていた。
なぜそこまでそのアニメが好きだったのか、そのビデオデッキを眺めていると、ふとその理由を思い出した。
僕は当時、いつも兄の背中の陰に隠れるようにしていた。
優秀で格好いい兄に憧れる反面、自分には自信がなく、自分は兄とは対極だと思っていた。
『おまえは和哉の背中に隠れてばっかりだな、まったく』
そんな僕のことを、父がそう詰った。
父の言葉にショックを受けて泣きべそをかいていた僕に、兄が言ったのである。
『なーに泣いてんだよ京一。陰に隠れてたっていいじゃないか。陰からみんなのことを見守って、誰かが困ってたら陰から助けてやればいいんだ、カミカゲマンみたいにさ』
その言葉は、当時の僕にとって鮮烈なものだった。
それからだった。僕はすっかり『カミカゲマン』に憧れてしまったのだ。
・・・
なんとか部屋が片付いた頃には、もう夕方だった。
「京一、もうすぐごはんだから、」
部屋の扉がノックされ、母が声をかけてきた。ごはんだから降りてこい、だと思ったが違った。
「凛ちゃんを呼んできてちょうだい」
昨日と同じく、凛を食卓に招こうとする母。
そこに異はないが、しかしなにゆえそれを息子に頼むのか、母よ。
隣家へ行き、チャイムを鳴らす。変な感じだ。
玄関から出てきた凛の顔を見て、途端に今朝の夢を思い出してしまった。
凛は自然な顔で僕を見るが、僕は内心戸惑っていた。
なるべく自然体でいようと気を張ってしまう。
逸る動悸を抑え、あくまで冷静を装う。
同じ食卓に母と父と幼馴染がいる。
昨日と同じ状況だが、まだ慣れない。
むしろ昨日よりも緊張した。
いやに緊張した。
対して隣に座る凛は、まるでかねてからずっとそうしていたかのように自然体で、笑顔で小智家の食卓に加わっている。
夕食後、凛が僕に言う。
「京一、数学の課題、どうせ終わってないよね?」
「……うん、まあ、終わってないけど……」
「じゃあ一緒にやろうよ。私もまだ残ってるから」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「問題集持って、私の部屋来なよ。私が持ってくるよりもその方が早いし」
淡々と、凛はそう言う。
……どういう風の吹き回しだ、凛が僕を部屋に招くなんて。
とにかく、別に断る理由があるわけではないので、僕は自室から問題集を取ってきて、そのまま凛と共に彼女の部屋へと向かった。
・・・
凛の部屋に入るなんて、もう何年ぶりになるだろうか。
部屋の中心に置かれた丸テーブルを挟んで座る。
緊張のせいか集中できず、冊子に羅列された数式がなかなか解けない。
緊張がなければすんなり解けるのかというと、必ずしもそうとは言い切れないが。
黙々と二人で数学の問題集を解き進める。
僕はまだ全体の一割ほど、彼女は課題が与えられたその日からすでに進めていて、もう半分以上は終えていた。
こうして誰かと対面で取り組むと、一人でやるよりもずっと集中できるものだ。
気がつけばもう結構な時間が経っていた。
「ちょっと休憩にしよっか」
凛が言った。
厚みのある問題集を、ぱたん、と閉じる。
そして静かに立ち上がった。
「夜食、作ってきてあげるよ」
「え?」
「おにぎり」
それだけ言って、部屋を出て行く凛。
僕が腹を空かせているように見えたのだろうか。別にそんなことはないが。
なんなのだろう。凛の意図がつかめない。
それとも別に何の意図もないのか?
だめだ、彼女の考えが読めない。……モノローグが読めない。気になる。
十分ほどして、凛はいくつかおにぎりが載った皿を持って、部屋に戻って来た。
「はい」
僕は、彼女が差し出してきたおにぎりを受け取る。妙な感じだと思いつつも一口食べる。
「どう?」
「……う、うん。旨い」
実際、それは旨かった。
普通のおにぎり。白米に塩をまぶして三角の形を作り、のりを付けただけのはずだが、なぜかやたらと旨く感じた。
「ま、美味しいに決まってるよ。昔、お母さんに教えてもらった通りにやったからね」
「へ、へえ……」
「でもやっぱり、私にも美味しく出来たってことは、『そういうこと』なんだな……」
「……?」
彼女が何を言っているのかわからない。
あくまで口調は落ち着いているが、言っていることの意味は皆目分からない。
「……えっと、何の話?」
「何の話って……」
なんと言おうか、考えるようにして少し黙る凛。
そして急に、意を決したように居直り、僕の方をじっと見て言う。
「私が京一を好きだっていう話」
彼女の瞳は、まっすぐと、僕に向いていた。
「…………、え?」
僕は固まる。
しかしそんな反応は想定内だと言わんばかりに、凛は冷静なまま、追撃をかましてくる。
「なに黙ってんのよ。ちゃんと答えてよね。……私はちゃんと『頑張った』んだから」
「答えって、えっと……」
全く予想外の状況である。
急かされても、いきなりすぎて冷静でいられない。
……正直に言って、冷静に考えれば、導かれる答えは一つしかないと思う。
昨日、病院の待合室で思わずときめいてしまった。
そしてその夜はあんな夢を見る始末。
そこへきて今、凛からこんなことを言われたのでは、僕が答えるべきは一つなのだ。
しかし、彼女のその強い視線を向けられては、僕は気が急き、冷静な思考などしていられなかった。
「……僕も、好きです……」
凛があまりにまっすぐ僕を見るものだから、僕は慌ててそう答えてしまった。
自分で自分の気持ちを整理してからそう言ったというより、凛に促されるままそう答えさせられたようになってしまった。
まあ、いずれにしても出される答えは同じだが。
そうだ。僕は凛のことを好きになっていたのだ。
いや、正確に言えば、心の奥底に沈んでいた恋心がまた表層部に浮上してきた、ということである。
なにせ彼女は僕の初恋の相手なのだから。
僕の返答を聞き、満足そうに微笑む凛。
してやったり、という笑みだった。
その強かな笑顔を見せられて、また僕はときめいてしまった。
いやもう、抜群に。




