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5月3日(金)☀⇒☽:待合室にて、2人



 【京一】



 本日からゴールデンウィークになった。


 連休だ、例年なら、さて思う存分だらだら過ごしてやろうと意気込むところだ。

 もちろんそのつもりではあるが、それよりもまず気にかかることがあった。

 凛のことだ。



 結果的に言うと、その日は色々とあって自堕落な休日とはならなかった。


 凛の父親が入院することになったのだ。

 入院といっても重大な病が発覚したわけでなく、ただの検査入院である。

 とは言えその検査の結果で重大な病が発覚する可能性を否定はできないわけだが、その場合にも早期対処ができる。

 そのための検査入院。何も悲観的なものではない。


 どうやら、凛の父はここのところ働き詰めで疲労を蓄積させてしまっていたらしい。


 凛の父というと、思い出すことがある。

 小学生の頃、ある年の運動会で、夜勤明けで疲れ切っている体で娘の活躍を見にやって来た。

 彼の妻や、僕の両親までも制止する中、その疲労困憊の体で父兄参加競技にまで出場したのだ。

 もはや体から負のオーラを発していたが、それでも娘には爽やかな笑顔を向けていた。


 凛の父親は、そんな人なのだ。

 ここ数年はまともに会う機会はないが、たぶん今でも変わらずそういった『無理をする』体質なのだろう。それが崇ってしまったわけだ。


 ただ、話しによればどうやら今日も無理を押して仕事に行こうとしていたところを、凛が休んでくれと強く言ったらしい。

 だから、こうなった。

 凛がいなければ、きっとさらに無理を続けていたに違いない。



 そこで察したのは、数日前から凛が悩んでいたのはそれだったのだろうということ。

 以前から凛が心配していたが、彼女の父は頑として、自らの体にムチを打っていた。

 頑固なのだ。凛の父だけあるな、と思う。


 つまり凛は、父のその頑固さ、無理をしてでも頑張るという『硬い意思』を前にして、どうしても身を引いてしまって強く言えなかったのだ。


 それが今朝になって、思い切って、仕事を休むように言った。


 昨日の夜、夢の中で僕が行ったことがその手助けとなったのかどうかは分からない。

 そんなことは確認のしようがないことなのだ。

 だから、ただ単に彼女が勇気を出せたということで良い。


 なにせ凛はとても強い人間なのだから。僕はそれを知っている。



 念のため病院で診てもらおうということになり、そして入院の運びとなった。

 凛の父の入院に際して、僕の母が色々と世話をした。

 隣人に世話をかけてしまうことに恐縮する彼を、「こういうときはお互いさまだから」という常套句で堂々となだめる母。


 母に連れられて、僕も病院に行った。

 しかし僕が同伴したところでなんの役にも立つわけでもなく。


 久しぶりに見た凛の父親は、確かにいかにも仕事疲れを溜め込んでいる様子ではあったが、その表情はどこか清々しくもあった。

 しかしそこに僕がいることにはさしたる意味はないはずである。

 なにゆえ息子を連れてきたのか、母よ。


 凛と顔を合わせると、彼女はなにやら複雑そうな顔をしていた。

 その表情から、胸中にどのような思いを秘めているのかは図りかねた。


 入院手続きの最中、僕は凛とともに待合室の片隅で待たされていた。

 静寂な病院の中、凛と並んで座っているとなにやら緊張してしまって、紙コップのコーヒーをガバガバと飲んだ。

 飲み物用の容器が燃えるゴミへとすぐさま立場を変えてしまう。

 それを捨てに行くため、あるいは気まずい空間から一時離脱するため、僕は立ち上がった。



「これで、よかったのかな……」


 そのとき、凛がぽつりとつぶやいた。


「病院で診てもらえるなら安心だけど、でも父さんも急に仕事を休んだから職場の人に怒られるかもしれないし、もし元気になっても戻りづらいかもしれない……。

 私がもっとはやく言ってれば、よかったんだよね。私がもっとしっかりしてればこんなに大ごとにならなかったよね……」


 僕のほうを見るでもなく、ただ俯いて自分の足元を見ながら力なく言う凛。


「…………」

 僕は少し考えてから、言った。

「凛は正しいよ」


「え……?」


「というか別に大ごとでもないだろ、ただの検査入院だしさ。

 そりゃもっと早く言ってれば入院までしなくても良かったかもしれないけど、でも凛が最後まで何も言わなかったらおじさんはあのまま無理を続けて倒れてたかもしれない。

 『もしも』の話をするんなら、わざわざ悪い方だけ考えなくてもいいんじゃないか」


 なぜかすらすらと、自然と言葉が出た。

 それが自分の考えであるというよりは、そう言えば凛の気持ちが安らぐだろうと感じたまま口を出た言葉だった。



「…………」

 凛はなにかを言おうとしていた。

 しかし喉元にひっかかって言いづらそうな様子だ。


「……あ、……」

 凛は、ゆっくりと顔を上げた。

 潤んだ瞳で僕のことを見上げる。


「…………ありがと」


 しぼり出した、小さな声。


 言った途端に彼女はくっと唇をつぐみ、恥ずかしそうに顔を背けた。

 ポニーテールが、ひらりと揺れる。


「お、おお……」

 思わず、変な声になってしまった。


 何に対する感謝の言葉なのかもよくわからなかったが、あまりの不意打ちに戸惑ってしまった。



 そのまま沈黙。

 いたたまれなくなり、そういえば紙コップを捨てに行こうとしていたのだと思い出して僕はそそくさとゴミ箱に向かう。

 踏み出した足がおぼつかなくて、敷き詰められた蒟蒻の上でも歩いているかのようだった。


 なんだろう、この感じ。

 初めて見た。凛のあんな顔。


 不覚にもときめいてしまった。……いやもう、抜群に。


 ・・・


 その日、我が家の夕食の席には凛がいた。


 父の入院中はもちろん彼女は家で一人きりとなる。

 そのことを心配し、食事はうちでしていきなさいと母が凛を誘ったのだ。

 はじめは恐縮して断ろうとしていた凛だったが、母の強引さに負けてしまったらしい。


「うちは男だらけだから、凛ちゃんがいると嬉しいわあ」


 母は上機嫌だった。

 それを見て、凛も居心地の悪さなどは感じていない様子だった。むしろ楽しげにしている。


 僕はというと、正直、居心地は悪い。

 悪い、とは違うが、なんというか、同じ食卓に凛がいるという違和感のせいで気が休まらないのだ。


 母は嬉しがって手の込んだ料理を作ったが、僕はその味を楽しむ余裕はなかった。


「じゃ、おやすみ」

 夕食を済ませ、うちを出るとき、彼女は僕にそう挨拶した。笑顔だった。


「あ、うん、じゃあ」

 僕は、淡々とそう返した。


 夜、ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。妙な気分だった。



 そういえば凛の夢はどうなるのだろう。

 昨日、あの怪物は消滅した。

 僕が介入する前は、悪を働く怪物に対して為すすべなくやられそうになってしまう……ということが続いていたわけだが、今晩の夢ではそのようなことはなくなっているだろうか。


 とにかく今晩の夢で、以前までのように魔法少女が怪物をなんなく倒せてしまえば、凛の心が晴れやかになったことを意味する。そうなればよい。



 しばらくして僕の意識は次第にまどろんでいき、夢へと沈んでいった。

 …………

 ……

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