5月2日(木)☀:距離感、電車
【京一】
目が覚め、ゆっくり上半身を起こして時計を見る。
「…………」
やってしまった。寝坊だ。
僕はいつも授業開始直前に教室に入っているわけだが、そのいつもの電車にさえ間に合わない。
言い訳の弁もたたない、直球ど真ん中スレートの遅刻である。
寝坊し、いつもの電車に間に合わない胸を晃にメールで伝えたところ、「じゃ先に行ってるわ」と、淡泊な返事が返って来た。
まあ、いつぞや僕も彼が寝坊した時に同じく淡泊に返してものだし、別に気にはしなかった。
ここまでがっつり遅刻だと、いつも以上にきつく凛に睨まれるなあ、と思いながらも急いで用意を済ませて最寄り駅へ向かった。
そこで驚愕した。
駅のホームに、凛がいたのだ。次にやって来る電車を待っていた。
その電車に乗って学校へ到着しても、その頃には一限目は終了している時間である。
凛は僕に気付くと、ものすごく苦い顔をした。
「り、凛がこんな時間に登校なんて、……どうしたんだ?」
「……別に。私だってそういう日もあるわよ」
ツン、とそっぽを向いて言う凛。
そういう日もあると言うが、僕の知る限り彼女が遅刻をしたことなんて今まで一度もない。
それは高校生になってからだけでなく、小・中学生の頃を含めての話だ。
凛と並んで座り、電車に揺られる。
いつもの登校時には、大方いびきをかいて爆睡する晃が隣にいるので、こうして彼女と一緒に登校するのはとても違和感がある。
「凛が遅刻するなんて、初めてだよな……」
「そうだったかな」
「そうだよ。今までそんなことなかったから。なのに今日はどうして?」
「別に、なんでもいいでしょ」
見た限り、あるいはこうして話している感じからして、体調が悪いわけではなさそうだ。
僕に対してやや攻撃的な口調で話すのもいつも通りだし。
「もしかして、寝坊した?」
隣に静かに座る彼女に、僕は訊ねてみた。
「あんたと一緒にしないでよ」
「じゃあなんでこんな時間に?」
「…………」
むむ、と口をつぐむ凛。
「うるさいな、もう。なんだっていいでしょ」
そう言って彼女は顔を背ける。
その態度にはこれ以上聞いてくるなという『硬い意思』が感じられた。
ここで、聞き出そうと無理に迫れば、凛に嫌われてしまうかもしれない。
いや、もともとそれほど好感度があったようには思えないが。
しかし、しつこく問いただすのは嫌がるだろう。
なにか悩みがあるのなら、聞いてやりたい。
そうは思うが、言いたくないことを無理に聞き出すのは良くない。
仮にそれが相手の助けになってやりたいという正義心に基づいてであれ、配慮を欠くのは好ましくない。
自らの正義を無理に押し付けるのは、いっそ悪にさえなり得ると僕には思えるのだ。
かといって放っておくことはできない。
この状況で、僕になにか出来ることはあるのだろうか。
ガタンガタン、と揺れ動く車体の中。僕は静かに考えてみた。
…………。
・・・
その日は図書委員の当番だった。
放課後、宮本と共に図書室へ向かった。
もう委員の当番も何度かこなしているからだろうか、図書室のカウンターで宮本と二人きりという状況にも大分慣れて、緊張もしなくなっていた。
「今日、小智くんと一緒に凛ちゃんも遅刻してたよね。……凛ちゃんになにかあったの?」
僕にだけ聞こえる小さな声で、彼女は聞いてきた。
「さあ……、詳しいことはわからない」
「そっか……。凛ちゃんって、あんまり他人にそういうの、言わないもんね。
ホラ、この前、授業でカエルの解剖したときだって、自分がカエルにトラウマがあるってこと言わずに、無理に頑張ろうとして。それで倒れちゃったんだもんね。……やっぱり心配だよ」
宮本はそう言って、切なげな顔をする。
あまり彼女には見られない表情だ。
そんな顔を見せられて、僕が何も思わないわけもなく。
「大丈夫だよ。……凛がなにか悩んでるんなら、僕がなんとか力になってみるよ」
宮本の不安を拭うべきそうは言ったが、しかし非常に曖昧な言い方である。
なんの説得力もない。
いつも、昼に宮本と凛は二人で弁当を食べている。
今、宮本がこうして僕に聞いて来ている以上、凛は仲の良い宮本に対しても悩みの相談などはしなかったということだ。
凛は宮本には心を許しているのだと思うが、いかんせん凛の心は強固なのである。
例の小人が言うには、夢世界において、僕は凛ともっとも近くにいるという。
それを考えれば、……こう言うのはどうしても違和感を覚えざるを得ないが、まあ、僕は彼女と心の距離が近いということなのだろう。
ならばやはり、僕がなんとかするのが良いのだ。
「うん。凛ちゃんのこと、たのむね。……ふふ、さすが小智くんだなあ」
そう言って、柔らかに笑う宮本。よく見る顔である。
・・・
図書委員の仕事を終えて、宮本と並んで昇降口に向かって廊下を歩いていたところ、晃とイブとクララの三人とばったり遭遇してしまった。
おそらくいつも通り手芸部でだらだらとしていたのだろう。
「おやおやぁ? おい京一、なんで宮本と二人でいるんだよ」
新聞部の眼鏡女よろしく、晃がにやにやした顔でこちらを見て言う。
なんでも何も、同じ図書委員だからだってことは彼には分かっている筈なのに、まったくわざとらしい。
ただ、晃に言われてはじめて、いま宮本と二人きりで廊下を歩いていたのだと意識した。
以前までだったら意識しまくりで緊張しまくりだったはずだが。何事も慣れてしまうものだな。
「あ、この人が宮本さん?」
イブとクララが近寄って来た。
二人は宮本の名前を知っていても会ったことはないのだ。
「宮本、紹介するよ。この二人が手芸部の一年で、クララとイブ……」
言いかけたところでふとイブを見ると、こちらをじとりと睨んでいるのに気づく。僕は、はっとして言い直す。
「……ごめん、えっと、大倉と指宿」
イブは、人前ではあだ名で呼ぶなと、よく晃にキレている。
そのあだ名が広まってしまうことに抵抗があるようだ。
宮本にしてみれば何やらよくわからないといった感じだが、彼女はなんとなく察した様子で「よろしくね」とだけ言ってにこやかに会釈した。
「それよりさ、京一。今日、凛と一緒に遅刻してきたってホント?」
イブがぐい、と顔を近づけてきて言った。
「あ、うん……」
「なに、なんなのそれ。あの凛が遅刻するなんて。大丈夫なの? なにがあったんじゃないの? しかも京一と一緒に遅刻ってどういうこと?」
ものすごいまくしたててくるイブ。
「いや、僕は遅刻常習犯だし、今日は凛とたまたま同じ時間になっちゃっただけだよ」
「凛ちゃんになにかあったんだったら心配だよ。凛ちゃんって、あんまり弱気なところは見せない人だから……」
クララが俯いて言う。
「そうだよなあ。俺も、凛が遅刻してくるのなんて初めて見たぜ」
「でも明日から連休だし。凛とは会えないもんね……。
ねえ、京一は凛の幼馴染だし家隣同士だし、なんだかんだ言って凛と仲良いんだからさ、凛のことよろしく頼むよ!
もし私らに手伝えることあったら言ってよね!」
イブがまっすぐな瞳を向けて、力強くそう言った。
晃とクララも同意だと言わんばかりに頷いている。
「……うん。なにか手伝ってほしい時は、ちゃんと声かけるよ」
そして、宮本とは別れ、三人で帰宅の途に就いた。




