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4月18日(木)☽:―指宿美代の夢―



 【京一】



 見渡す限り広大な大地。

 草原と森林。

 地平線の向こうまで緑一杯だった。

 風がそよぐ。草原がさざ波のように流れた。


 風に乗って草木がざわめく音が耳に入り、そして、猛き咆哮がこだまする。


 見上げると雲一つない真っ青な空。

 そこに大きな躯体が数体、まるで遊泳するかのように縦横無尽に飛び交っている。


 どうみても、それは、ドラゴンだった。


 ずん、と地面が揺れた。

 背後におぞましい気配を感じて振り返ると、空をとびまわっていたドラゴンのうちの一体がそこへ降り立ち、僕を見下ろしていた。

 十メートル以上はあるだろう緑色の巨体で、グルルルル、と低い唸り声を漏らしている。

 ゴツゴツしたうろこ、鋭い爪、大きな口、そして背に生えた両翼はすさまじく広くて大きい。


 間近で見るとその質感や迫力はリアルだった。

 現実で見たことがないので「リアルだ」という表現が適切かは分からないが。


 ドラゴンは僕をじっと見据えている。

 やばい、食べられる、と直感が叫んだ。

 僕が硬直していると、僕の視線の先、目の前のドラゴンの背後にもう一体のドラゴンがどすん、と降り立った。

 僕を食しようと目論むこいつよりも、一回り小さなドラゴンだった。あごに携えた太いヒゲがゆらゆらと揺れている。


「待って待って。だめだよグリ、それはエサじゃないよ」


 ヒゲのドラゴンの背中に、一人の少女が乗っていた。

 髪はブラウン。

 小学校低学年ほどの幼い少女である。


 その少女の制止に緑のドラゴンは大人しく従い、大きな翼を羽ばたかせてまた青空へと飛び立っていった。


「そんなとこで突っ立ってたら危ないよ京一」


 ドラゴンにまたがるブラウン髪の少女。ものすごいファンタジーな画だった。

 彼女はドラゴンの背から飛び降りる。原っぱの上に着地しようとしたが失敗し、足を滑らせてすっ転んだ。


「いったぁー……」

「だ、大丈夫か」

「う、うん……。いつもならカッコよくできるのに、おかしいなあ」

 腰をさすりながらおもむろに起き上がる。


「……えっと、このドラゴンは?」

「ふふふ、私の可愛い相棒、フトアゴヒゲドラゴンのドラコちゃんだよ!」


 幼い姿の指宿美代は、胸を張りながら高らかに言う。


 ドラコというと確かペットのトカゲの名前である。

 そういえばあのトカゲと同じく太いヒゲがある。

 なるほど多くのドラゴンが飛び交う中でも、やはり自分のペットには特段の思い入れがあるようだ。



 ここは、指宿美代の夢の中である。


 夢の深層部、すなわち彼女が無意識上で形作る世界。

 広大な空を飛び回るドラゴンたち。

 ……つまりこれが彼女の憧れる世界なのだろう。

 トカゲへの偏愛、特に飼育しているトカゲをまるでドラゴンのようだと言って自慢していたが、つまりイブはトカゲをドラゴンに見立てて愛でているのだ。


 僕がここに来たのは、イブの本心を聞きたいからである。


 凛とのことだ。

 クララが手芸部に入りたいと言い出したことがきっかけになって、現在、色々とややこしい状況になっているが、その問題の根幹部はイブと凛の関係にある。

 イブは凛と気まずいと言うし、凛は凛でイブに嫌われているんじゃないかと言う。

 しかし、その辺の本当のところの、はっきりした意思は聞けていない。


 イブの、具体的な気持ちはどうなのか。それを聞くために、ここに来た。


 初めて凛の夢に入ったときと同じような感じだ。

 僕は幼い頃の体格になっていて、またイブの方も幼くなっている。

 そして、僕がここにいることを疑問に思うような様子は彼女には見られない。

 ここは無意識の世界で、目の前のイブもあくまで無意識上の存在。本来の十六歳のイブと違って、現実的な観念は持っていないのだ。


「なあイブ、あのさ、聞きたいことが……」

 幼い姿のイブに対して、僕は早速、本題を切り出そうとした。「凛のことをどう思うか」、と聞くのだ。

 そしてその返答、彼女の本心を知りたい。


 しかし彼女は、僕の言葉を遮って口を開く。

「あ、さっきのグリっていうコはね、グリグアナドラゴンなの。ごめんね、普段は大人しいんだけど、お腹減ってたみたいでね」

「あ、うん。それはまあ置いといて……」

「あと、あそこを飛んでるのがナイルオオドラゴンのモニちゃん!」

「えっと……」

「それでねそれでね、あそこにいるのがプレートドラゴンのオニちゃんでしょー、その隣にいるコがクレステドラゴンのゲッコーちゃん!」

「…………」

「あ、今向こうであくびしたのがヒョウモンドラゴンのモドちゃん、かわいいねー!」


 聞く耳持たず、とはまさにこのこと。

 おそらくどれも実在のトカゲがモチーフになっているのだろうが、僕にはさっぱりである。



 結局、さんざっぱらドラゴンについて語られたのち、ようやく僕の話を聞いてくれた。


「なあイブ。今日はちょっと聞きたいことがあって来たんだ」

「うん、どったの?」

 僕らは草原に並んで腰を下ろしている。傍らにドラゴン。異色な光景である。

「イブはさ、……凛のこと、どう思ってる?」


「…………」

 きょとん、とした顔で僕を見るイブ。


「なあーんだ、改まって聞くからなにかと思ったよ。そんなの決まってるよ、凛は友達だよ! 昔から一緒に遊んでたじゃん」

「……うん、そうだよな。イブは凛のこと嫌いになったりしてないよな?」

「何言ってるのさ、当たり前だよ!」

 イブは力強くそう言った。


「…………」

 なんともあっけない。これが、イブの本心。


 以前、凛に素っ気ない態度を取られてしまって、それ以来疎遠になってしまっていた。

 だから今更話すのは気まずい。そう言っていた。

 それは確かに事実だろうが、それはあくまで話しづらいというだけのこと。


 イブにとって、凛は昔からの友達で、彼女のことを嫌いになってなどいない。


「昔はいつも五人で一緒にいたじゃん。いっぱい遊んで、いろんなところ冒険してさ。また五人で一緒に冒険がしたいなあ」

「……冒険?」

「そうだ、京一、今から一緒に行こうよ!」言うが早いか、彼女はすっくと立ちあがった。

「え、なに、行くってどこへ」

「冒険だよ。伝説のドラゴンを探しに行くの! 伝説の、『アルマジロドラゴン』!」


 ・・・


 幼い頃、僕ら五人がそろって遊ぶとき、室内遊びをすることは基本的になかった。


 晃が率先して適当な目的地を決めて、そこへ行く。

 森に入ったり川で遊んだり内容は様々だった。

 僕らはそれらをまとめて、『冒険』と称していた。主にそう言っていたのは晃だが。


 思えばイブはそうした外遊びで、晃と一緒になって、物怖じもせず積極的に前を歩いていた気がする。

 ほとんど晃とイブが二人で楽しんで、僕と凛とクララはその後ろについていくような感じだった。


「ジローはね、荒れ地にいるの。でも数が少ないから、なかなか出会えないんだよ」


 イブが言う。

 だが、風を切る音がすさまじくて聞き取りにくかった。


 強引なイブに連れられて、僕は彼女と共にドラゴンの背中に乗って大空を飛んでいた。

 アルマジロドラゴン、愛称をジローというらしい。

 それはおそらく、イブと晃の会話の中で出てきたアルマジロトカゲとかいうのを想定したドラゴンではないだろうか。

 僕が今しがみついているこの『ドラコ』はイブが部屋で飼っている同名のトカゲの特徴がそのまま生かされている感じなので、おそらくアルマジロドラゴンというのもそうなのだろう。


 ドラゴンの背中に乗って、大空を飛ぶ。


 アニメや漫画で見る限りでは、その様はとても格好良いものだ。

 しかし実際は、爽快感など感じる余裕もなく、ただただ恐怖しかない。

 振り落とされまいと必死だ。落ちたら死ぬ。

 ここは夢の中だが、どうなるのだろうか。もしかして精神的な死とかになるのだろうか?

 そう思うとめちゃめちゃ怖い。



「着いたよ、荒れ地だ!」

 ドラコがゆっくりと降下し、そのまま地上へ降り立った。

 僕はその背中から飛び降りて大地に着地した。

 イブも同じく飛び降りるが、またしても足を滑らしてすっ転ぶ。

「いたぁ……、おかしいなあ、今日は調子悪いや」


 そこは荒れ地というか、もうほとんど砂漠のような場所だった。

 ゴツゴツした岩が露出し、はるか遠くに砂岩の丘陵が長々と続いている。

 ずっと見通しても植物の姿は一切見受けられない。さきほどまでいた草原とは対極の土地である。


「この荒れ地のどこかに、きっとジローがいるはずなの」

「どこかに、って……、広すぎない?」

「臆病な性格だからドラコがいると隠れちゃう。だから、ここからは私たちだけで探すの」

「え、もしかして、徒歩で……?」

「もちろん」

「いやいや、いやいやいや、無理でしょこんなとこ」

「今から弱音吐いててどうすんのさ、ジローを一目拝むまでは帰れないんだからね!」

 腰に手を当て、威厳高に言うイブ。


 しかし、その広大な土地には生物の気配など感じられない、途方もない捜索になることは明らかだった。



 それから僕はイブと一緒に、すさんだ荒野を黙々と歩いた。

 目的の伝説のドラゴンはいわばウルトラスーパーレアだ。

 どこにいるのかは目星もつかないのでただ闇雲に歩いて探すしかないのだという……。


 何時間か経った。


 いや、夢の中に時間経過という概念があるのかは分からないが。

 ただとにかくずいぶんな距離を歩いたはずだった。

 しかし、その伝説のドラゴンとやらが現れる気配はなかった。

 それどころか荒れ地に来てから一切の生物も目にしていなかったのだ。


 自分は一体何をしているのだろう、という疑念が沸々と湧いてくる。


 ここには、イブの本心を聞くためにやって来たはずだった。

 その目的は果たされたというのに、流れに身を任せるまま伝説のドラゴンを探すのだとか言って荒野を歩かされている。

 いつも凛の夢では、『マジカル☆リンちゃん』の活躍劇を傍観するだけなので苦労はなかったが、まさかイブの夢で、こんな苦行を強いられるとは。


「なあイブ、ほんとにここにいるのか、その、アルマジロってやつは……」

 僕はたまらず、イブに聞いた。

 長く荒野を歩く中で、この質問をするのはこれで何度目になるだろうか。


「……もう、弱音を吐くなって、言ったじゃ、ない……」

「いやでもこれだけ歩いても出会えないんじゃあ、さすがになあ……」


 僕が前を歩き、後ろからイブがついてきていた。

 僕は蜃気楼で揺れる地平線を見つめながら、イブに話しかけている。


「…………」

「イブ?」

 返事がなかった。

 もしやネガティブなことを言いすぎて怒らせてしまったのかと思って振り向く。


 イブは地面に手をついて、肩で息をしていた。


「おいイブ、どうした?」

「……ごめん、やっぱり、今日は調子悪いみたい……」

 僕はあわててイブに駆け寄った。

 イブの体が熱い。

 汗もすごく、一見すると脱水症状のようだった。

 そのときには夢の中で脱水とは一体どういうことだなどと考えている余裕はなかった。



 少し先に大きな岩を見つけ、今にも倒れてしまいそうなイブを抱えて、急いでその岩の影に入る。


 そういえば今日もまだ、彼女は熱を出して学校を欠席していたのだ。

 もしかすると現実での体調が夢の中でも影響するのだろうか。


 手元には何もない。扇いで風を送るものさえない。

 どうすればいいのだ。僕は焦りながら、岩を背にして懸命に辺りを見回した。


 すると、この岩の影の形がおかしいことに気付いた。

 この緊急事態にそのようなことを気にしている暇はないはずだが、どうしても違和感があったのだ。


 この大きな岩は丸い形をしていたはずだ。

 なのに、その影が刺々しい歪な形をしていた。

 それだけでなく、さきほどまでより影自体がとても巨大になっている。


 僕は、はっとして後ろを振り返った。


 岩の影が形を変えたのではない、岩の上から更に別のものが太陽を遮っていたのだ。


 そいつは巨岩に手をつき、その長い首を伸ばして僕らのことを覗き込んでいる。

 まるで鎧をまとっているように硬くて刺々しいうろこが体全体を覆い、背中から生えた両翼は幼い僕らなど軽く吹き飛ばせそうなほど大きかった。


 それは紛れもなく、ドラゴンだった。


 意識朦朧としていたイブが、それを見た途端、カッと目を見開く。


「……ジロー……」

「えっ?」


 イブの顔にみるみる生気が戻ってゆく。そして勢いよく立ち上がった。


「ジローだよ! ほら京一、このコがアルマジロドラゴンっ!」

 嬉々としてイブが言う。先ほどまでの具合の悪さは一瞬にして吹き飛んだといった様子である。……なんだ、心配して損した。


 イブの大きな声に驚いたのか、ドラゴンが急に顔を引っ込めて後ずさりした。

「あ、待って、怖がらないで大丈夫だから」

 イブが制止しようと近づくと、余計に距離を取ろうとする。

 アルマジロドラゴンは臆病な性格だと言っていた。

 岩から離れるが、その岩以外に周囲に隠れられるようなものがない。

 逃げ場がないと悟ったのか、そいつが慌てて妙な体勢をとった。


 その場に座り込んで、自らの尻尾を咥えて体を丸めたのである。


「きゃああああっ! 見て見て京一っ、あれだよあれ、ジローは敵から身を守るときに丸くなるんだよ。かわいいーっ!」


 イブは瞳を輝かせながらそう言い、嬉しさのあまりぴょんぴょんと飛び跳ねる。


 彼女が跳ねる度、ブラウンの髪がふわふわとなびいた。

 その髪に陽光がキラキラと反射し、光の粒が舞っているかのようだった。


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