4月18日(木)☀⇒☽:化学教師のうんちく、再び
【京一】
図書委員の当番を終え、宮本と共に並んで廊下を歩く。
初めて彼女と図書委員の当番で二人きりになったときと比べれば、さすがにもう、がちがちに緊張することはなくなっていた。
不意に、廊下の向こうからなにやら見覚えある二人組が歩いて来るのが見えた。
「おやおやっ、有紗と小智君? 放課後の学校で二人でいるなんて、一体なにしてるんですかぁ?」
赤い眼鏡をくい、と釣り上げて遊免一佳が寄って来た。
その後ろにひょろ長い男もいる。
「あ、一佳。耕太郎くん」
宮本は遊免のことを下の名で呼ぶ。
そしてやはり山本も下の名前で呼ばれている。
僕の中で醜く嫉妬心がくすぶる。……いやまあ、遊免も含めて三人は同じ中学出身なのだから、自然なことだろうか。
遊免が僕の方に寄って来て、こそっと耳打ちで聞いてきた。
「手芸部の件、どうなんです? 進展は?」
「なんでコソコソ聞いてくるんだよ」
「いや、なんとなく」
「……まだ決まってない」
「ふうん? そうかと思いました。小智君、なんだか浮かない顔してますもん」
妙に察しが良い遊免。まるであの小人のような口ぶりだ。
というか、そもそもこのハイテンションな眼鏡女とあの小人は少し似ている。
胡散臭いところとか特に。
「京一、そういえばお前、入部申請書は持ってるのか?」
「あ……」山本に言われ、僕は初めて気づく。
入部申請書。
昨日、イブに手渡したあれだ。
彼女は新入生だからクラスで配られたわけだが、僕らはそうではない。
「確か、申請書は担任からもらわなきゃいけないんじゃなかったか。真田先生なら、ちょうど今、職員室にいるぞ」
「そうか。ありがとう。……さすが新聞部は何でも知ってるな」
・・・
「おやおや、小智クン、キミが遅くまで学校にいるなんて珍しいネ」
「……図書委員の仕事です、先生」
真田先生は自らのデスクにつきながら僕を見上げる。
遊免と話した直後に真田先生と話すと、奇妙な感覚になった。
この二人の間にも、少し似た雰囲気を感じる。
胡散臭いところとか。
あとは芝居くさい喋り方とか、内に秘めきれていない変人オーラとか。
「あの、真田先生。入部申請の書類をもらいたいんですけど」
「入部申請? 小智クン、部活に入るのかネ」
「ええ、まあ。後輩に頼まれて、人数の埋め合わせで。手芸部に」
「似合いませんネ」
「そう思います」
それ以上突っ込んで事情を聞いて来ることはなく、先生はデスクの引き出しを開ける。
探し始めてからすぐに目的の書類を発見し、渡してくれた。
僕はあと二枚を要求した。
すなわち僕以外に、晃の分と、一応、凛の分。
真田先生のデスクは、意外にもきれいに整頓されていた。
彼のことはマッドサイエンティストのような人物だと認識していたので、その印象でいくと物の整理なんかは苦手でデスクはぐちゃぐちゃであろうと思ったが。
別に狂人的で無頓着というわけではなく、常識人的な几帳面さもあるのか。
そのギャップがむしろ怖い。
「しかし小智クン。なんだか浮かない顔をしてますネ、悩み事ですか?」
「…………」
この男も妙に察しが良い。
不快な既視感が襲う。
「まあ、悩み事っていうか、手芸部の人数合わせがあまりうまくいっていなくて」
「フウム。人間関係の悩みですか。キミもそういうことを考えるんですネ、小智クンは他人には無関心なものかと思ってました」
あなたにだけは言われたくありません先生。
「明晰夢というのを見られれば、人間関係のお悩みなんてすぐに解消できるのですがネ」
「えっ?」
「知りませんか? 明晰夢。夢の中で意識を持って自由に動けるというものですヨ。しかも、夢世界を自由に行き来することすらできると言いますからネ」
相変わらず、唐突に夢うんちくを語り出す真田先生。
確か、大学のときのゼミの教授からの受け売りだと言っていたが。
「へ、へえ……、そうなんですか」
正直、僕には非常に身近な話だが、あくまで初耳を装って相槌を打つ。
「でもなんで明晰夢を見られれば、人間関係の悩みを解消できるなんてことになるんですか?」
「いやなに、この間も話したでしょう、レム睡眠とノンレム睡眠のことです。
ノンレム睡眠のときに見る夢というのは、意識の深層部、無意識の世界なのですヨ。
明晰夢の力があれば他人の深層夢世界に介入することができるのですから、すなわち、その人の剥き出しの本心に触れられるというわけなのですヨ。
『この人は自分のことどう思ってるんだろう?』なんて疑問は、即刻解決ですヨ。その人の夢に行って、聞けば良いのですから。
しかもそれを聞いたということはお相手の記憶には残らない! 素晴らしい」
そう言ってにやにやと笑う真田先生。
本来、その狂気的な笑みを見れば心の底から恐怖が込み上げるのが自然だろう。
しかしそのときの僕は違った。
彼の言葉を聞いて、ある考えが浮かんでいた。
――そう、今晩のことを考えて頭がいっぱいで、担任教師に恐れを抱くどころではなかったのだ。
……
…………
「こんばんは京一サン、夢の案内人キューピーデス! どーもデス!」
帰宅後、夜。
ベッドで横になり、まどろんでいるうちに意識が沈下する。
そして再び意識が浮上したとき。
辺りは一面薄紅色のもやに囲まれていて、その中で小さな羽をぱたぱたさせて浮遊する小人が溌剌と名乗ったのだった。
「ああハイ、どうも」
「なんデス、ずいぶんと素っ気ないデスネ。……エ、ひょっとしてもうワタシのこと、飽きちゃってマス?」
心底ショックそうに、顔を引きつらせる小人。
「ひどいデスヨ、京一サン。毎晩夜を共にしているというのに。ワタシはこんなに献身的だというのに……」
「そんなことより、お前に確認したいことがあるんだ」
「…………。確認したいコト? フム、なんデショウ」
言葉を遮った僕に対し、いささかむっとした顔をしつつも、小人は聞く姿勢をとる。
「ちょっと聞いた話があってさ。夢の深層部っていうのは無意識の世界だから、その夢世界の中なら、その人の本心を聞くことができるんだっていうこと。……それ、確かなのか」
「フム……。間違いないデスヨ。
無意識の世界では、なにか尋ねられた問いに対して、取り繕ったり嘘を言ったりはできまセンネ。だから、明晰夢の力を持った人というのは、他人の心を丸裸にできちゃうワケデス。
機密情報を盗んじゃったり、
それだけじゃなくて、例えば特定の印象を植え付けたりとか、
もっと言えば洗脳とか精神攻撃的なコトとか、できちゃいマスから。
それだけ夢世界を渡航する力というのはすさまじいのデス」
「いや、そんなSF映画みたいなことはどうでもいいから」
きっぱりと言う僕に対し、また小人はむっとする。
あからさまに頬を膨らませるその仕草がいちいち芝居くさくて腹立たしい。
「とにかく! お前は『夢の案内人』なんだよな。じゃあ、凛以外の夢にも連れて行ってもらえるのか?」
「当然デス。京一サンにとって意識上のつながりがあるのなら、ワタシがどこへでも、誰の夢世界へも、ご案内して見せまショウ!」
「なるほど。……じゃあ連れて行ってくれ。
――指宿美代。イブの夢に」




