4月10日(水)☀:幼馴染、恋、それは幻想
【京一】
――『しかし叶わぬ恋である』。
図書委員の仕事を終え、学校を出て、駅のホームのベンチに座って、さきほど宮本に本気でときめいてしまったことを考えていたが、すぐにその結論に至った。
ちなみに宮本は徒歩通学で僕は電車通学。
校門を抜けたところで彼女とは別れた。
もし同じ通学路だったなら流れのまま共に下校できただろうか。宮本と一緒に下校……、そんなの至福の時間だ。
にぎやかな声が、線路を一つ挟んで向こうのホームから聞こえる。
図書室の閉館時間はすなわち学校全体の最終下校時刻である。
このタイミングの駅舎の中にはちょうど部活動を終えた生徒たちが多くいる。
同じ学校の生徒であるはずなのだが、帰宅部の僕のこの目にはまるで別世界の住人に見える。
彼らはまさしく青春の体現者。
ただ、確かに彼らの方が僕よりもずっと充実した学生生活を送れているのだろうけど、しかし日々過酷な練習を課せられることがその対価なら、僕はその幸せを享受できずとも良く思える。
一定の幸せが確約されていたとしても、そこへ至るに努力やら苦労を強いられるのなら、僕は迷わず身を引く。やぱり、頑張りたくはないものだ。
まして、頑張った末に幸せを得る確率が限りなくゼロに近いとすれば、なおさら頑張ろうなどとは思えないものである。
……すなわち宮本の話だ。
叶い難きことを分かっている以上、どうにか頑張って彼女を振り向かせようなんて考えない。
ただ、夢見るだけなら一向に構わない。
僕が何を夢見ようとも、誰に暴かれるものでもなし。
今後とも、宮本との図書委員の仕事を楽しみにしていよう。
というわけでやりきれない気持ちが収束して、ふう、と一息ついたところだった。
「なに一人で溜め息なんかついてんの。辛気臭い」
そう言って、すっ、と僕の座るベンチの隣に立つ一人の女生徒。
西日の照射で出来た彼女の長い影が、僕の視界の中を横に切る。
「いや、別に。ちょっと考え事してて」
「ふうん」
心底関心がなさそうだ。
クラスメイトの宮本有紗のことを想っていたなどとは言えまい。
ここにいる彼女もまた同じクラスメイトで、彼女は特に宮本と仲が良いから。
「ていうか、なんであんたがこんな時間に帰ってるの? いつもは授業終わったらとっとと帰ってるのに」
「委員の仕事があって」
「ああ、そういえば有紗が言ってたわ。今日、図書委員の担当日だって」
彼女は線路のほうに目線を遣ったまま、淡々と言う。
図書委員の件についてそれ以上話題が広がることもなく、僕らの間に会話がないまま数分が過ぎる。
対して向こうのホームからの喧騒はなお続く。
僕が乗り降りしている路線は、この大きな駅舎の中で一番端の小さなホームである。
同じ学校の生徒も、この路線で通学している者は少ない。その少数のうちの一人が、今まさに僕の隣に立つ彼女である。
やがて、僕らが待つホームに電車がやって来た。
きいいい、と甲高い音を立てて停車し、ドアが開く。
「さ。乗ろうよ」
短く言って、彼女はさっさと歩き出す。
幼い頃から変わらない、後ろ頭に垂らしたポニーテールがふわりと揺れる。
クラスメイトの高槻凛に続いて、僕は電車に乗り込んだ。
見慣れた景色が右から左に流れていく。
車体がガタガタと小刻みに揺れるのを感じながら、僕は何気なしに対面の窓の向こうを見つめていた。
木々や家々が通り過ぎる瞬きの合間に、西日が車内に差し込んでくる。
たまたまホームで会ったのでそのまま流れで一緒に乗車しているが、普段は凛と一緒に帰宅の途に就くことはない。
そもそも下校時間がかぶること自体がないのだ。
高槻凛は、僕や宮本と同じクラスで、学級委員長を務めている。
さすがにクラスを取り仕切る委員長をクジで選ぶわけにはいかないので、前もって立候補が募られた。そこで颯爽と手を挙げたのが彼女である。
凛は昨年度も委員長をしていた。
高校に入ってからだけではない、昔から、彼女はそういった場面で率先して名乗り出るような人間だった。幼い頃から一緒にいた僕はよく知っている。
さらに現在は学級委員だけでなく生徒会にも所属しているようで、何かと忙しいらしい。下校時間が遅いのもそのせいだ。
隣り合って座席に座るが、特に会話はなし。
沈黙の中、がたんがたん、と車両の揺れる音だけが聞こえる。気まずいとは感じない。
凛は鞄から取り出した文庫本に視線を落とし、僕は対面の窓の向こうで流れる景色をぼうっと眺める。
「……凛と一緒の電車に乗るのって、久しぶりだよな」
ふと、つぶやいてみた。
凛が僕の方を一瞥した。
「だってあんた、いつも朝は授業開始ギリギリの電車で来るし、放課後になるとすぐに帰ってるじゃん」
「あ、はい。ごめんなさい」
別に何か悪いことをしたわけじゃない筈なのに、凛の語気の強さに無意識に謝罪の言葉が出てしまった。
凛は咎めるような目つきを伏せ、視線を手元の本に戻す。
目的の駅に到着した。電車を降りて改札を抜けると、そのまま凛が足早に歩き出す。
僕も彼女に続く。二人、無言で歩みを進める。
僕の少し前を姿勢よく歩くその姿は、名前通りに凛々しい。
彼女が歩くのに合わせて、ポニーテールが右へ左へと踊る。
少しして自宅が見えてきた。
駅から歩いたのはせいぜい五分ほどだが、いつも一人でぼうっと考え事をしながら歩く道のりより長く時間を感じた。
僕は自宅の前で足を止める。凛は何も言わずにそのまま数メートル先まで歩いて、隣の家の前で立ち止まった。
「じゃ」凛がこちらに向き直り、短く言った。
僕は、「あ、うん、じゃあ」と返す。
お互い隣り合った家々に入っていった。
・・・
凛と僕は、いわゆる幼馴染という間柄だ。
幼馴染ときいて世間一般が思い浮かべる俗的なイメージといえば、小さい頃からずっと一緒にいてお互いをよくわかりあっている無二の友人といった具合かもしれない。
ことさら男女の幼馴染といえば美化されがちだ。
しかしそんなものはフィクションである。
幼馴染とは、字面から読み取るに『幼い頃よりの馴染み』という意味であって、それ以上の特別な意味はない。
挨拶をしても素っ気なく返されるだけ。
他愛のない話で盛り上がることもないし、
わざわざ示し合わせて登下校を共にすることもないし、
友人関係も別々に築いている。
幼い頃には仲が良かったが、高校生にもなると関係性もお互いの性格も大きく変わるものだ。
例えば僕が甲子園出場を目指す野球部のエースだったとしても、
隣人で幼馴染である凛が心から応援してくれて陰ながら支えてくれて、
あまつさえ恋愛関係に発展するとか、
そんなことにはなり得ないだろう。
それこそフィクションの中のもの、夢や理想の中のものなのである。




